2006年12月29日金曜日
「いのちがけでかく」教えた先生 灰谷 健次郎
立派な人が次から次と逝去される。朝日新聞の「惜別」では、亡くなった方々の、お人柄や業績、諸々を紹介している。どの人の場合にも、感心させられる内容なのだが、私にとって、今回はちょっと気分よくさせてもらったので、記事にめぐり合わなかった人に、読んでもらいたい、と思ってキーボードを叩いています。筆者の大野博人さんは、朝日新聞社の記者の方だと、思い込んでいいのかな。その紹介はなかったので、勝手に思い込んでしまうことにしましょう。小学生だった大野さんが、作家になる前の先生・灰谷 健次郎さんとの(てがみ)を通しての交流を著していた。読者を、楽しく、微笑ましくさせる文章作法で。灰谷先生との邂逅が、記者・大野さんの人格形成に大なる影響を与えたことなのでしょうね。灰谷先生は、教師を辞めて、作家活動に入る。一方の大野さんは、勉学を重ねて、新聞社に入社。モノの考え方、文章の綴り方で、恩師からの教えの通りに精を出して、その仕事の一部が今回の記事なのでしょう。
私のような者が言うまでもないが、灰谷 健次郎さんは天国で、大野さんの記事のできばえをさぞかし、満足されているのではないでしょうか。こんな、偉そうなこと、書いて、失礼しました。もう、仕方ないことだけど、私も、あなたたちの中に、飛び入りたかった。
2006年12月25日 朝日(夕)
惜別 灰谷 健次郎さん
1冊の古い便箋が手元に残っている。ぼろぼろの表紙には「ひろひとちゃんと先生のてがみ」とユーモラス文字。書いたのは灰谷先生だ。45年前の神戸市立東灘小学校で、ぼくら2年2組の担任だった。便箋に、友達と遊んだ話や詩をたどたどしい文でつづると赤ペンで返事をくれる。先生はクラスのみんなとそんなやりとりをしていた。 面白い表現があると「きょうまでのてがみのなかでいちばんよかった。さいこうやな」とほめる。でも、いい加減な文章には「こんな詩あかんワ。自分をふりかえってみることができるのがつづりかたや。そやないと、ちょっとあたまのええ、もんくのよういうふつうのにんげんになってしまうぞ」。で、「ごめんなさい」と書くと、「いいたいことがあったら、なんでそのことを紙いっぱいにかかへんのや。先生ごめん、なんてあやまるのはかしこいのとちごうて、ずるいのや」。それに反発すると「おこってるときのほうがよっぽどええわ。おまえがわかるまでなんぼでもけんかしたるぜ」
「絵や詩は、先生にいわしたらいのちがけでかくもんや。ひろひとみたいなやりかたでかかれたら、先生までばかにされたような気がするわ」。
二十代。まだ作家として世に出てはいなかったが、表現することの切実さを幼い子供にも懸命に伝えようとしていた。授業でも本気で向き合うから、子供達には圧倒的な人気があった。
大好きな先生とも別れる学期末。「てがみ」のおしまいに先生はこう書いた。
「むかしの中国の詩人が、さよならだけが人生だ、とかいている。にんげんはいきているあいだ、なんかいもしたしい人とさよならをせなあかん。さびしいこっちゃ。でも、それがにんげんのべんきょうのみちや。まあ、そんないみやな」
「サイナラ。また、あそびにこいな」
あそびにいきたいよ、せんせい。
2006年12月27日水曜日
その個性を壊すな、自然のままが一番。
世界に通用する次代の科学者を育てようと開かれている、高校生の科学技術コンテスト「ジャパン・サイエンス&エンジニアリング・チャレンジ」(朝日新聞社主催、内閣府、文部科学省、農林水産省、経済産業省ほか後援)の最終審査の結果、科学技術振興機構賞を受賞した山口県立厚狭高校2年生の3人組(阿部美弥子さん、井上真理子さん、植田奈津美さん)の研究成果を紹介している記事を見つけた。他にもいろいろな研究の成果の紹介はあったのですが、科学に弱い私には、この山口県の3人組の研究の記事しか関心が湧かなかったし、他の賞には理解できなかった。
「善意のメダカ放流」警告、
のタイトルを見て、わが意を得た思いで、ニタットとしてしまった。
内容は、私が考えていたことと、随分違うのだけれども、川のメダカの生態をよくも、こんなに気を揉んでいてくれて、よくもこんなに科学的に調査して、何気なく行われてきたメダカの放流に警告を発した。川を、水中に棲む魚や虫たちのことを、常に気に留めている私には、彼女たち3人の行為が嬉しいのです、感謝しているのです。彼女たち3人組の研究の成果は後のほうで新聞記事を転載したので、その項で確認してください。いく種類もいるメダカのそれぞれの個体としての保存が必要なのでは、という問題提起である。
以前(2006年9月29日 金)に、この私のブログで、川に放流された鯉が異常に大きくなって群遊、大きな口を広げて小魚、虫を、あたかも鯨のように、何もかも漁ってしまう。一網打尽。平和だった頃の川は、農薬などは流れ込んではこなかったし、両岸には草が繁茂していて、陸(土)の世界と水の世界が一つになって、交流しながら調和がとれていた。
その大きい鯉を間引くことで、水中の世界を自然な状態に戻したい、と思ったのです。
この考え、間違っていますか? 間違っているとお思いの方はどうぞ、お知らせください、納得できれば、いつでも主義主張を換えられます。
メダカや鮒、タニシやヤゴ、小魚、虫が大きな鯉に食われたくないのです。
善意の方が、善意で、何かいいことでもするように、鯉を放流したのでしょう。これは、大きな勘違い、大きな間違いです。
私には科学的な思索ができないので、誰か、私が危惧する問題を科学的に証明して欲しいのです。
2006年12月23日 朝日
科学技術振興機構賞
「善意のメダカ放流」警告 山口県立厚狭高校(2年)
動物園の協力で、サギなどの鳥に野生メダカとヒメダカを食べ比べさせてみた。よく目立つヒメダカの方が、圧倒的に食べられやすかった。彼らが自然界で生き残れない理由がよくわかった。
遺伝子汚染を調べるきっかけは、ある新聞記事だ。学校近くを流れる川に、毎年、大量のヒメダカが放流されていることを伝えていた。ヒメダカは、川ごとに遺伝的な特徴を保って生きながらえてきた生き物。「その個性を消すようなことをやっていいのかしら」
ヒメダカ由来の遺伝子検出の有効な方法が今のところ見つからず、野外の固体にヒメダカを交雑させる方法で検定に取り込む。大量放流された川にヒメダカの痕跡がないのに、放流の記録の無い川に交雑固体が確認される、といった不思議な現象もあり、まだ解決すべき問題が多い。大陸産のメダカが交じっていると疑われる川もある。
放流は、ほとんどの場合が善意から行われるので、やっかいだ。「それでも、訴えるべきことはちゃんと訴えたい」と阿部さん。
「メダカの遺伝子汚染」
広く飼育されているヒメダカは、生物学的に野生のメダカと同じ種で、自由に交雑する。ヒメダカ放流が、野生集団にどう影響するのか、野外調査や各種実験、遺伝子レベルでの比較による検証を続けている。
2006年12月23日土曜日
悪風なびく今こそ、弊社のチャンスだ
売り惜しみが加速
不動産研究所は今月14日に、首都・東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)で06年中に発売される新築マンションが前年比15%減の7万2000戸程度にとどまる見通しになったと発表された。
売値が、地価上昇、建築費アップによる影響を受けることは必至だ。その売値をめぐって、我々業界は今、販促活動は休眠状態にある。それはお互いに他社の動きを牽制し合っていると言うほど激しいものでなく、静かに相手の動向を窺がっている、と言ったほうがいいだろう。
最近の地価の上昇は顕著、弊社のモノサシではどうしても事業化を断念せざるを得ない案件でも、大手デベロッパーは仕入れて事業化を目論んでいる。土地取得については、大手さんは非常に派手です。私は、ホンマに大丈夫かヨ、と懸念している。
どこかの会社が高値で売り出して、その高値に追随して「お客さん、土地は高くなったし、工事費も高くなったので、しょうがないでしょ」と言いたいのだろう、か。その節目でちゃっかり余分に儲けよう、との魂胆が垣間見える。そんな状態が、結果的に、売り惜しんでいると、言われている理由です。
そのように、欲ぼけした売値を、我々業界人は「新価額」といって、「あそこにある物件の新価額は幾ら?で売りにでるのでしょう」なんて、話し合っているのです。
弊社には、07年秋に完成予定で進んでいるプロジェクトがある。
パラジスハウス 伊勢原・桜台タワーです。
小田急線 伊勢原駅徒歩10分 32戸 2タワー 全室角部屋 各室2面採光が特色
ここで弊社の営業をかけようとするのが、このブログの主旨ではない。
弊社は、売り惜しみ状態を利用?して、新価額で利益を上げようとする風潮とは一線を画して、独自の戦略を立てなさいと指示している。
従来通り、普通通りで、いい。
できる限り、品質を高め、経費を削減、他社よりも手ごろな価額で買ってもらえるようする。この悪風なびく今こそ、事業拡大可能なチャンスとみた。
私の07の初夢は、新価額で売り悩む会社を尻目に、弊社の売り出し現場はヤイノやいのの大賑わい、お客さんに大いに喜ばれて、~そんなようになりそう。
07には大きく飛躍するぞ。
2006年12月22日金曜日
「超一流」の言葉の繊細さ
それから、松井秀喜のコメントだ。このコメントも、スポーツ紙で読んだその時、彼ならば、そのように発言するだろう、と思った。
じとっと、彼の心境を理解できた。
そんなことが、新聞社の記者には、ネタになるのだ。文章を綴れる能力を持っている人が羨ましい!!わ
「超一流」の言葉の繊細さ
2006 12 19 朝日より
アスリートの発する言葉の繊細さに驚くことがある。
「元々、僕は夢という言葉は好きでない。見る事はできても、かなわないのが夢。大リーグで投げられると信じて、目標にしてやってきたので、今ここにいると思う」
レッドソックスの入団が決まった松坂大輔のボストンでの記者会見だった。「夢が実現したが」という質問に答えた。「夢」という言葉を彼はきちんと定義し直した。
超一流の選手たちは、独特の感性を持ち、それを言葉にする。例えば、イチローはこんな言葉を残してきた。首位争いをしているとき、ライバルの名をあげられると、「他人の打率は僕にコントロールできない。意味のない質問ですね」。「自分にコントロールできることとできないことを分ける。自分で制御できないことに関心をもたないことです」。
ヤンキースの松井秀喜のセリフがイチローのそれに似ていて驚いたことがある。入団1年目、不調が続いた時、ニューヨークのマスメディアにバッシングされた時だ。「人の書く記事を僕はコントロールできないでしょ。だから全く気にならないですよ」
ニューヨークよりも厳しいかもしれないボストンのマスコミに対しての心構えとして、松坂への有効なアドバイスにもなるだろう。
「目標」という言葉にも、厳密な定義を与えたアスリートの一言も忘れられない。スピードスケートの長野五輪金メダリスト、清水宏保はこういった。「目標とは達成すべき結果のことです」
「夢と目標」。漠然と口にしがちな言葉に、彼らは人生の意義をこめ、再生させる。
2006年12月21日木曜日
沢村栄治さんって、どんな人?
私の机を移動することにしたので、この際とばかりに本棚、引き出しを整理していたら、黄色染みた新聞が出てきた。私は、これはという記事を見つけたときは、取り敢えず切り取って(どこか)に仕舞って置くようにしている。でも、きちんとファイルをしてないので、今回のように、思わぬときに、飛び出してくる。毎年プロ野球のシーズンが終わると、その年度に活躍した選手の表彰が行われる。そこで投手部門に沢村栄治賞というのがある。私は、出身が京都だから、沢村栄治のことは、よく知っている。でもその人と、なりについては何も知らない。そういうわけで、私は新聞を切り取っておいたのだろう。その記事を此処に転載したので、読んで欲しい。
1997年 朝日新聞 月日不詳
戦争が奪った「160キロ」の速球
容赦なく3度出征・最後は代打だった
宇治山田の小学校から旧制京都商業まで、沢村とずっとバッテリーを組んだ山口千万石さん(80)は、元気に故郷で少年野球の世話をしている。
「栄ちゃんは、そりゃ、すごかったよ。中3(京商3年)の時、急に速よなって、ひざの高さの球がきゅーん伸びる。ドロップは肩からひざまでストーンやった、サイン間違ったら絶対に捕れへん。練習で受けるときも命がけやった」
「毎日三百球は投げていた。天才いうけど努力家や。ふだんはおとなしい。やさ男で、ピアニストみたいに長い、細い指してた。それが試合になるとものすごい強気で、追い込んで変化球のサイン出すと、怒って、『三振とるのは直球や、頭に入れといてな、千ちゃん』
やった」
千ちゃんの手は突き指だらけで、第一関節はどれも曲がったり節くれ立ったままだ。千ちゃんの宝物である。「ようけ三振とったなあ。野球の醍醐味、味わわせてもろた。戦争なかったら四百勝は楽にしてたやろ」
沢村の伝統的快投は昭和9年〈1934年〉秋、来日したベーブ・ルースら「史上最強」の全米軍相手に投げた静岡草薙球場の試合。0-1で負けたものの、ゲーリックの本塁打1本に抑えた。この時の全米軍は十八戦全勝。前の三試合だけで五十得点をあげていた。十七歳の沢村はこの猛打線をわずか五安打に抑え、四連続を含む九個の三振を奪った。
千ちゃんと夏の甲子園大会に出場した三ヶ月後である。「トライキ(ストライク9!)。千ちゃんが小学校から叫び続けてきた快速球に、ルースもゲーリックも三振した。四番ゲーリックは三球で。巨人軍の故・青田 昇さんは「百六十キロは出ていた。落合や清原、イチローでもバットにかすりもしなかっただろう。」と書いている。
沢村はこの日からちょうど十年、終戦の前年に、三度目の出征で台湾にに向う途上、輸送船が米潜水艦に撃沈され、戦死した。
戦後五十年の記念の年、米大リーグのオールスター戦のマウンドにドジャースの野茂投手が立った。試合開始前、センターの大スクリーンに、真珠湾攻撃と、戦場に向う大リーガーたちの記録フイルムが流され、白髪のジョー・ディマジオがグラウンドに現れた。
=一部、焼き鳥のタレのため読解不可能=
沢村は「快投」の翌年、誕生直後の巨人軍のエースで渡米、若きディマジオとも対戦した。本塁打を打たれたが、大リーグから何度も誘いを受けた。迷いつつ、「こんなでっかい国と戦争したらあかん」と沢村。
「大リーグの主力選手は危険な戦線には送られなかったんだよ」と、元ニューヨーク・タイムズ紙のD・ハルバースタム記者に後日、聞かされた。沢村らには容赦なかった**?〈刺身用の醤油のシミと、思われる、読めない〉中国戦線へ。
その前の*(ソースの零れと思われる、読めない)年秋、プロ野球公式戦がスタート。沢村は二度のノーヒット・ノーランなど、その秋と春で通算三十七勝六敗。柔らかいフォームからの抜群のスピードと制球力。が、二年の兵役で手投げ弾を投げすぎて肩を痛め、左手には銃弾を受けた。帰国後、スピードを失う。
二度目は初恋をやっと実らせた新婚五ヶ月で、フィリッピンのジャングルへ。一年余りでげっそりして帰国。今度は制球力も失う。四十年十月、六番青田の代打出場が最後だった。巨人軍をくびになり、失意のなか、出征。生まれた長女の顔を見ることもなく戦死した。二十七歳だった。
「最後はくやしかったやろなあ。あの気の強い栄ちゃんがノックアウトならあきらめたやろけど、代打やったんや」
千ちゃんと育った伊勢市の。近鉄・宇治山田駅のすぐ近くに一誉坊墓地。お墓は近所の石屋さんがひと肌脱いだ。遺骨はない。大切にしていたベーブ・ルースのサイン入りボールなどが葬られた。
日米戦での快投で、日本のプロ野球誕生の原動力になった。
(大リーグからの誘いに)「わし、行ってみたいが、怖いわ」
2006年12月20日水曜日
もう、面接なんかしたくなあい!!
もう、私、面接なんかしたくありません。こりごりだ!!
現在、弊社は社員募集中です。面接に来る誰もが、それぞれに過去の実績を履歴書、職務経歴書に書き込んでやって来る。これが、私には苦痛なのです。それぞれに、「実録人生物語」を引っ提げて。失敗談、成功談、苦笑混じりでないと語れないこと、涙なしでは語れない、聞けない話が、初めて会う人の口から溢れ出す。
私は、その場から逃げ出したくなるのです。
面接中、この人はどんな人なのだろうか?と一生懸命に思いを巡らせる。
今までどんな仕事をどのようにしてきたのですか。
何を思って生きているの、何を背負ってる、何を目的に、何を目標に、夢は、希望は、人生で一番大事にしているものは、尊敬する人は、軽蔑する人は、愛する人は、好きなもの、嫌いなもの、趣味は、と聞きまくる。
極彩色に彩られた、人生模様が私を圧倒する。
弊社に足りない部分の補充なのか、事業拡大したい部分の補強なのか、何れかの目的で、募集をかけている弊社の都合を、我はすっかり忘れてしまい、頭は蚊帳の外へ。
人と会って見て、誰がいいのか、判断がつかないのです。
人を見る目が無い私は、社長としては、落第かもしれない。
長所と思われる部分は、それを伸ばしてやればいいし、短所と思われるところは改善・修復すれば、済むことなんだけれど。
会社を立派にして、入社を望む人なら誰でもが入社できる会社にしたいものです。この思いつきは危険ですか。
あいつ
前の(ID 137)で、現東京都知事のことを「あいつ」なんて、書いてしまったものだから、又また、茨木のり子さんの詩を紹介したくなりました。
あいつ
〈あいつの言葉は腐っている〉
人ごみのなかで 通りすがりに
吐き出すような台詞が耳朶を打った
あいつとは どいつなのか 知らないが
私はただちに了解した その内容もわからずに
〈そう あいつの言葉は腐っている〉
なぜなら日々
腐った言葉に首まで漬かり
憤懣やるかたないのだから
自分の言葉にすらそれを感じ
身ぶるいすることがあるのだから
あいつが どいつでも おんなじだ
私は、茨木のり子さんが存命中に聞き質したかった。
茨木のり子さんの、「のり」は何ですか? お父さん、お母さんはどういう思いを込められたのでしょうか?