私、NHK受信料の支払いをためらっています。
先日、朝日新聞(他紙にも掲載されていたのかは調べていない)の社会面に、次回のNHKの大河ドラマの内容、スケジュール、配役、脚本家の紹介記事が掲載されていた。
テレビドラマには、感心がないので、記事の内容については記憶には残っていない、が、ただ、正確な記憶ではないのですが、がっつ~んと頭に残った断片がある。それは、制作費が、年に14,5回放映される、その1回の制作費が何と5、000万円とか7、000万円とか書いてあったのだ、その金額の大きさに吃驚した。それって、総額7億とか10億円になるってこと。直接の制作費意外に、職員の給料、事務所経費を入れると、その1,2~3倍はかかるのでしょう。これは、ちょっと黙ってはいられない。虫酸が走った。
第一、NHKに果たして、大河ドラマ、大晦日のNHK紅白歌合戦、一連の娯楽番組を現在のように、制作し続ける必要があるのか? この類の番組は十分民放で補われているのではないのか。
この記事を見て、朝日新聞がNHKの広報部の役目を果たしているように思えた。朝日が「国民の皆さん、そろって、大河ドラマを見ましょう、楽しみですね」そんなアピールを、敬愛している“朝日新聞“がしているように感じて、不愉快だった。裏には、見たら、ちゃんと受信料を払うんですよ、と圧力をかけているんじゃないか、と、まで。
NHKは、広く国民(受信料支払い者)に、誰にも支持を得られる番組編成をしなければならないのではないか。
関連子会社が50社近くあると言われていて、ちゃんと退職後の天下り先がセットされている。 闇費用を捻出するためのダークな下請け会社が跋扈、完備されている。国民から徴収したお金を、NHKから下請けに実際よりも多い目には支払われ、その多い目に支払われた分が、職員のポケットに、飲食やギャンブルに、愛人との同伴出張費に、あてがわれる。
職員の経費水増し請求もあったな。出張もしない架空旅費を請求する手口だ。
政府・与党のおエラ方の意向に、簡単に番組の編集方針変更に応じてしまう、体質。
イヤになる事を積み上げればきりが無い。
そこで、だ。
NHKの受信料のことだ。
使った水の分量だけ、支払う。使った電気の量だけは、支払う。これらを支払うことについては、当たり前のように納得している。
だが、私には、見もしないテレビの受信料を払えと言われたって、そう簡単に納得して、支払うことができないのだ。
元朝日新聞記者の本多勝一氏が朝日ジャーナルに書かれていた一文を転載させていただく。
「朝日ジャーナル」1988 8 12号
たとえば新聞や雑誌なら、少なくとも講読をやめることによって最低限の影響力は行使できる。ところが、NHKだと見なくてもなんでも、テレビを持っているだけでも、強引に受信料を払えという。だが、払っても番組や経営に参加できるような制度は全くないのである。株主が経営に対して全然口をはさめない会社などは存在しない。NHKには株主総会にあたるものがゼロなのだ。
*本多勝一氏には「“NHK受信料“拒否の論理」という本を著しておられる。15年程前に読みました。面白かった、と言えば著者に失礼かな。一考させられました。
NHK出身の評論家・小中陽太郎曰く
「経営委員会は一般企業であれば、株主総会に匹敵する。株、つまり受信料を支払っているわれわれに、個々の委員に対する信任投票がないのは、おかしな話ではないか」
それでは、経営委員会とは~
経営委員会を構成する委員12人は総務省が人選し、内閣が国会の承認を得て、3年の任期で任命する。当然、政府・与党の自民党の意向で決まることが多い
よって、経営委員会や番組編成会議に国民(受信料支払い者)が参加できるような仕組みにしていただかなければ、始まらない。『NHKならではの機能』が十二分に発揮されるようになれば、受信料徴収率もあがることでしょう。
ところで、ラジオの受信料はどうなっているの?
NHK受信料 2007年2月5日 朝日社説より
支払い義務化を急ぐな
一連の不祥事から発したNHK改革の流れが、根本的な変革とはほど遠いところへ向おうとしている。総務省は今国会に出す放送法改正案に受信料の支払い義務化を盛り込む方針だ。現行法では、テレビのある世帯はNHKと受信契約をしなくてはならない。この契約義務に代えて支払い義務を明記することで、受信料の徴収率を高めようというのだ。
だがそれでは、自らの不祥事がもとで不払いが広がったのに、NHKに甘すぎるのではないか。そんな反発を考えたのだろう。総務省はNHKに受信料を2割程度下げるように求めている。
視聴者にしてみれば、値下げはうれしいが、いくつも疑問や心配がある。
支払い義務にしても、不払いが激減するとは考えにくい。効果がなければ、不払いへ罰則をかける動きが出てくるだろう。そうなると受信料は税金に近づき、視聴者に支えられる公共放送というよりも国営放送に近くなってしまう。
英国の公共放送BBCは罰則まであるが、それは政治権力から自立しているという評価があってこそのものだ。
それに比べて、NHKは政府や与党に弱い。国会議員らの意図をおしはかって、慰安婦問題の番組を改編した、と東京高裁の判決で指摘されたばかりだ。
NHKは罰則には反対だが、支払い義務化は歓迎している。受信料を集めるには、背に腹は代えられないということだろう。徴収率が上がれば、値下げも考えるという姿勢だ。
しかし、受信料を集めるために住民基本台帳ネットワークを使いたいというのはいただけない。
視聴者の転居先を突き止めるのに苦労しているのはわかる。だが、住基ネットはプライバシーを侵すとして住民訴訟が各地で起きているし、もともと政府と自治体の利用しか想定していない。その枠を真っ先に破れば、いよいよ政府機関に近い性格を強める。
統制力が弱くても国民の8割が払ってきたのが、世界がうらやむ日本の受信料制度だ。7割に落ちたからといって、政府に頼ろうというのでは、自立した報道機関とはいえまい。
もちろん、受信料の公平な負担は大切だ。「NHKを見ているのに払わないのは許せない」という声は当然だろう。
だが、見ない人が増えている事実にも目を向ける必要がある。NHK放送文化研究所の昨年11月の調査で、NHK総合テレビを1週間に5分以上見た人の割合は62%だった。前前年の68%、前年の63%から減った。教育テレビは30%だ。
見なくても払う。国民全員で支える。これが受信料制度の根っこにある考え方だ。国営放送への道を歩むのではなく、公共放送としてとどまるにはどうすればいいか。それがNHKに問われている。それには出費の無駄をなくしよい番組を作ることで信頼を取り戻すしかない。
支払い義務化は急ぐべきではない。
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