私は二浪した後、大学でサッカーをやるためだけに田舎から出てきた。
チャンピオンチームに所属したかった。今までに数回、そのときの心境を、大学時代に書き残した文章で、ブログを利用して自己紹介をさせてもらった。
新しく入社した者は、私の実像を知りたがり。また、弊社に入社することを検討している者たちには、ナマの山岡を知って貰うために、3年前の手記を公開することにした。
二階から落ちたのです。
「若秩父関のまわしが、落ちた」は、大学に入った頃、放送禁止用語が続発する歌で、アングラでもてはやされた。まわしが落ちた、その後の顛末が卑猥とみなされたようだ。私には卑猥でもいやらしくも、なんともなかったのですが。その落ちたではないのです。
本当に、二階から落ちたのです。
その後、弊社の販売部長の「E」さんが、私の姉の旦那が、二階から酔っ払って落ちて、結構大変な怪我をしました、と報告を受けた。
04 7 23(fri)
酔っ払って、自宅の二階から隣の小坂さんとの境のアルミフェンスの上に落ちた。
午後3時 株式会社東京Tにて「M」常務(現在は、代表取締役専務です)と解体工事費についての打ち合わせの後、東京駅から東戸塚(当時は、東戸塚に会社はあった)の会社に戻った。
昨今、仕事は順調、資金繰りもそれなりに廻っている。
商品の回転がいい結果だ。売れれば、全てがうまくいく。
だが慢心はどんな時機にも禁物だ。
わが社は最悪期を乗り越え、耐え忍び、藻掻き苦しみながらも、なんとかかんとかまあまあの状態までたどり着き、最近は哀れなドタバタ劇もなくなり、今こそ我が社の発展の再スタート地点に立ったのではないのか。
車中、そんな気分の高揚を楽しんだ。
でも、車窓に映る俺の顔、ぼさぼさの髪、無精髭のなんとむさくるしいことか。我ながら自分の面貌にうんだりした。よし、髪をばっさり切って丸刈りにしよう。丸刈り頭で念力をこめて、鉄兜の緒を締め直すのだ。
そして田舎から野心を抱いて大学に入った頃のことをもう一度思い返して、第二弾のロケットエンジンを噴射させ、新たなステージへの挑戦のために未知の世界へ突入しよう。
そんな大げさなことではないのですが。
会社の近くの散髪屋さんで、丸刈りにした。どうしたのですか?と、散髪屋のスタッフは聞いてきたけれども、スカッとしたいのだよと答えた。俺は鏡に映った自分の丸刈り頭に、ニコッと微笑んだ。マンダラでもない、わりと精悍じゃのう。
会社に戻ったら、大学の1年生のときから一緒だった青ちゃんが、「どうしたんだよ、その頭。学生時代とちっとも変わってないじゃないか。ほんとに学生時代と一緒だよ」と褒めてくれたのか、面白おかしく笑われていたのか、えらく盛り上がってくれるものだから、俺も何だか意味もなく嬉しくなって、ついつい大酒を呷ってしまった。
酔っ払ってしまった。
コマツに迎えに来てもらった。我が家に着くなり泥酔の態(てい)で二階に直行した。網戸の内側に厚手のカーテンがかかっていたので、そのカーテンを引いて、開けようとしたんだけれども、酔っていたんだ。体重の全てを抵抗のない網戸とカーテンに掛けてしまった。
暖簾に腕押し状態だ。
瞬時に小坂さんとの境に転落、気がついたときは仰向けになって下から天を眺めながら、どうしたんだ、どうなったんだ、と喚いていたそうだ。
その一部始終を向かいのYさんが見ていたそうです。さぞかし、吃驚されたことでしょう。
コマツの車に乗せてもらって東戸塚記念病院で応急治療をしてもらった。鎖骨が折れた。
酒の勢いも手伝って、俺はお医者さんに対しても横柄だったようだ。
翌日、さすがの不死身の俺でも、全身打撲の痛みがじとっとして、体がぐったり重い。
鎖骨そのものは、骨格のなかで余り重要な役を果たしていないそうだ。
これが折れている様子ですよ、とレントゲンの写真を見せてくれた。治療方法には二通りあります、一つは手術すること、もう一つは帯のようなもので固定させて骨がくっつくのを待つやりかたです。
手術すると綺麗につきますが入院が必要です。帯で固める方法は外形的には多少変形する場合がありますが通院でオッケイ、それも一週間に一度の診察でいいのです。
子供の場合は、知らないうちに折れて、知らないうちにくっついていることもママあります。俺は帯にしてくださいとお願いした。
どういう訳か、俺が鎖骨を折ったと言ったら、聞かされた者は誰もが、にこっと笑って喜ぶのです。何故じゃ? 何がそんなに、面白いんだ?
この事件には、私の大きいミスがあったのです。酒に酔ったのが、ミスではありません。暖簾に腕押しの、カーテンに体重をかけたのも、ミスではありません。20年ほど前に家を増築したときに、坂西さん(今のティー・エー・ユニオンの坂西さんです。以前は、工務店の社長さんでした)が、私にアドバイスをくれたのです。「ここに、手摺がいりませんか」と。私は、経済的フトコロ事情から判断して、危険性については一切顧みず、坂西さんのアドバイスをノーと却下したのです。安全はケチッてはいけない、こんな大事なことを無視したのです。どこの工事現場にも標語として、看板が掲げられています。水戸黄門さんにも、叱られました、「安全第一」が目に入らぬか、と。
俺が二階から落ちて1週間ほどたった日の朝刊に、作家の中島らもさんが酒に酔っ払って二階の階段から落ちた際の強烈な脳挫傷が原因で亡くなったことを報じていた。
くわばらクワバラ
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