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著者・佐江衆一
発行・新潮社
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作者(夫)は、自分たち夫婦の壮絶な老老介護の実体験を、文学作品に仕上げた。迫真のドキュメンタリーです。
湘南に住む還暦間近の夫婦に92歳の父と87歳の母を介護することになった。物語は、栃木県に住む老父母を自分たちの近くの貸家に住まわせたことから始まるのです。
母は転んで、大腿骨を骨折する。手術で人工骨を埋める。夫は交通事故を起こして入院。母は入院してリハビリに励む。妻の腰痛が激化。母は痴呆を発症する。母は退院して自宅に戻るのですが、喧嘩でもしたのか、錯乱か一時的な感情の高ぶりか、深夜父の首を絞めるようなことが起こった。ベッドのなかにいる時間が長くなった。自の意志で絶食を仕掛ける。衰弱が進む。妻は介護に疲れ、夫婦関係も最悪の状態に陥り、離婚して妻を解放してやらねば、と考えるようになり、そのことを妻に話すと、妻はその前に、あなた、お母さんのオムツをかえてみたら、と言われ、慣れない手つきでやってみたものの、耐え難いものだった。妻は懸命だ。褥瘡(学習=じょくそう・床ずれのこと)にならないように、体の位置をこまめに変えてやる、便秘気味の糞詰まりを指で栓になっている便をとる。
介護疲れで夫に何も話さなくなった妻。妻の介護の努力は涙ぐましく、献身的だった。母が最後のお話があると枕元に自分の息子とその嫁を呼びつけ、あ・り・が・とう、と言った。その後には、私は結婚してないのよ、とも言った。何かがあったのだろう、父を許していないようだ。母の容態を窺う父を、シッシッと追い払う母。最期には、こ、ど、も、とうわ言を言った。だが、母は介護も空しく命を絶った。
夫として、妻に母の介護に対する感謝の言葉の一言もかけてやれなかった悔いと、そのことを娘から叱責されたことにショックを受けた。
父を夫婦の家に引き取る。それから、夫婦は今度は父の痴呆に振り回される。その顛末に悲しくなることが多いが、辛いけれど懸命に介護に励んだ。病院や介護施設への送り迎えのために軽自動車を購入した。夫は、長年の持病だった痔ろう『痔の薬の宣伝コピーでは、「じ」ではなく「ち”」を使ってますね、何故だ?ち(血)が出るからか』の手術入院をする。父をショートスティの養護施設に入所させる。週に1回の大学の講師としての仕事を辞める。入所中に、この時とばかりに、妻を連れてスペイン旅行に出かけた。この施設で、父に恋人ができた。退所後は、ラブレターの交換が始まる。徘徊が始まった。恋焦がれ合う年老いたカップル。自殺を仄(ほの)めかす父、そのため四六時中警戒していなければならない。父の部屋の様子が気になって、夜は眠れない。小田原に住む彼女から父に会いたいと、電話をかけてくるようになった。彼女に会いに行きたがる父。
また妻には、自分の老母がいてそちらの方にも、泊りがけで介護に行かなければならなかった。
私=ヤマオカがこのような事態になったら、私は一体どのような行動をするのだろうか。主人公のように、父母に接することができるだろうか。母と息子とその妻とのことについては、過酷な介護の中にも心温まる意思の交流があって、読者の気持ちを少しは治まらせてくれるのですが、男親である父の場合は、一人で居るときは、腹がへった、目が見えない、聞こえない、あ~あ、とかう~うとか意味もなく大声上げて、静かにしているなと部屋を覗き見れば、貯金通帳を長々と眺め、そしてお金を何度も何度も数えたり、それでも好色だけは衰えず、二階からは唾を吐くこともあって、この父を介護する側からは、どうも可愛くなく、愛嬌もなく、気持ち悪くて、介護相手としては難物過ぎるのです。私=ヤマオカも、こんな難物になるのだろうか。
著者はこの作品でドゥ・マゴ文学賞を受賞した。
(注。パリのドゥ・マゴ賞(1933年創設)の持つ、先進性と独創性を受け継ぎ、既成の概念にとらわれることなく、常に新しい才能を認め、発掘を目的に創設された。bunnkamuraが主催する文学賞。)
この本の中で、感動した一場面を、この場に及んで思い出した。母は息子の嫁に下の世話から何から何までお世話になりっぱなしで、気を揉む日々が続く。これから先、どれほど長く自分は、この息子の嫁にお世話になるのか、時には絶望的になることがあって、そんな時、母は嫁に聞いたのです、「これから、私はどうすればいいの?」。その質問に嫁は「いいのよ、このままでーー」と応えた。私は、この問答を読んで、瞼が熱くなった。できた嫁さんだ。
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ところで、私のことだけれど。
私には、介護する父も母も、もういない。
私の兄は、私よりも5歳年長なのですが、母の時も父の時も、体を酷使する農作業の合間に、病院への送り迎え、入院中にも毎日必ず様子を窺いに顔を出し、医者と打ち合わせをし、退院後は自宅での療養の手助けをよくぞマメにやってくれた。兄嫁は、宗教には熱心なのですが、実生活では頼りにならなかった。何の為の宗教なのか、この人に限っては、宗教なんて屁の突っ張りにもならない(この表現は、私の田舎ではよく使うのですが、何の役にも立たないし、何の効能もないときに使う常套句です)。そんな妻に対して兄は、何も文句も苦言も発しなかった。面倒なことは一身に引き受けてくれた。
この小説を読んで、私には介護する老人がいないので、介護する側からではなく、介護される側の私のことについて、考える時間をいただいた気がする。きっと私も時間の経過と共に、必ず老いる。そして、必ず私にも介護の手が必要になる時がくる。自力で在宅療養、それから民間ヘルパーのお世話になる、それから介護施設、病院へと、どのような経過をたどるのだろうか。
そこで、子ども達にはできるだけ負担を少なくしたい。負担をかけなくて済まされるものなら、そうしたい。できるものなら、自分の身の処し方ぐらいは自分で判断して、その選んだ方法・手段で、余生を暮らすことができれば最高なんだろうが、本当に、できるのか、不安だ。
果たして、私にはどんな老後が待ち受けているのだろうか。
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