2011年1月2日日曜日

今年は川崎大師にチャレンジだ

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(川崎大師平間寺)

昨年、一昨年と大晦日の夜、21:00頃自宅から歩いて、寒川神社に初詣をしてきた。地図上で、簡単に距離を想定したら、自宅から23キロぐらいだった。休憩、牛丼、ウンコの時間をいれて、片道大体5時間は要した。帰りは、昨年はバスと電車だった、一昨年は朝会社に出社してから参拝に来た同僚と合流して帰った。昨年は、次女・花の夫・竹ちゃんと二人で、一昨年は会社の同僚・出さんと長さんの三人だった。

今年は、何処に行こうかと思案していたら、川崎大師を思いついた。竹ちゃんは、同行を非常に喜んでくれた。ちょうど、寒川神社とは距離も同じぐらいですよ、と竹ちゃん。お参りの後は海側に出て、東京湾からの日の出を見ようと盛り上がった。行きは歩き、帰りは交通機関に恵まれているから、どうにでもなる。その竹ちゃんが、最近どういうわけか、ランニングに懲りだして、走る距離をドンドン伸ばし、走る頻度もドンドン増(ふ)やして、結局、お股部分の骨か腱か、筋肉がやられてしまって、今回は無念の欠場。無理はイカン。私一人の、独歩行とあいなりました。

仕事において難事を抱えており、明日元日も朝早くから打ち合わせることになったので、それならば、早くに行って早く帰って打合せに備えなくてはならない。余裕をもって、明日の仕事に影響が出ないようにしなければならない、ならば、21:00ではなくて、18:00に出て、ちょっとでも早く寺の近辺に着いて見学を済ましておけば、帰りは早く、明日にも万全だ。

仕事をしている古さんに、悪いなと言いながら、我輩は事務所を後にした。

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それでは、20101231~20110101の川崎大師初詣、徒歩でお参りに行きます。

進む方向は、東京に向かっていけばいいのだ。どの電車も、東京に向かっている。それに沿って行けば、大きく逸(そ)れることはない、何とかなる。

弊社がスタート地点。缶ビール2缶で景気づけた。帷子川を渡ったのが、18:06.八王子街道(通称・16号線)の宮田町二丁目の信号を右折、洪福寺。手前で、松原商店街の一画に足を入れる。ここは、横浜の台所、と言われているかどうか知りませんが、お客さんを惹き付ける魅力あるお店が多くて、訪れる買い物客は多い。今は、商売を終えてどの店も片づけが行なわれていた。今日は大晦日なのだ。それから、環状一号線で、浅岡橋、浅間町、浅間下、楠木町。iroiro 011

よく食べに行くラーメン屋さんの前を通る。店は閉まっていた。お兄さん、久しぶりだね、彼女、元気、なんて声を掛けてくれるグレートなママさんがいるんだ。鶴屋町。環状1号=第二京浜(国道1号線)をJR東海道線に沿って、川崎方面。桐畑、反町、東神奈川。ここで、間抜けた友人からメールが入る。コンビニで、日本酒を買う。内容が下らないものだったが、こちらからは気の利いた返信をしてやろうと、小休止も兼ねて立ち止まった。ヴァッカスを味方につけた。相手をやり込めてやった。ここで、19:12だ。

浦島丘、七島町、入江町、新子安、子安台、岸谷、東寺尾、荒立、響橋の下を通った。響橋の写真を撮ったのですが、巧く写っていなかった。東寺尾北台、諏訪坂、下末吉。このままこの方向に進むと川崎から、今更ながら外れていくことに気づいて、下末吉の交差点を右に、末吉大通りから三角通りを歩いて、鶴見駅西口入口から東海道線の線路の下を通って、区役所通り、第一京浜(国道15号線)の職安入口を左に第一京浜を川崎方面に向かう。鶴見川の鶴見橋を渡る、20:30。

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鶴見駅の近くには、有名な曹洞宗の総持寺がある。その寺院が運営している鶴見女子中学校がある。大学も、高校もある。この学校は教育熱心な先生が多く、私の娘は中学校でお世話になった。詳しいことは次の機会にしたいのですが、私の娘を担当した当時の、担任、学年主任、教頭、副校長はことごとく退職されたり配属替えになって、娘の前からは居なくなった。娘にそれほどの何かがあったのでしょうか。ミステリアスですなあ。

菅沢町、市場富士見町、市場大和町、池田、元木、貝塚、東田、榎町、多摩川の手前の競馬場の信号を右折、大師道をひたすら京浜急行大師線の川崎大師駅をめざす。コンビにで缶ビールのロングサイズを買って、小用をすます。まだまだ、遠いですよ、とは奇麗な店員さんの励ましの言葉。それでも、23:28、川崎大師に到着した。

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除夜の鐘が撞かれた。いっせいに本殿に向かうのですが、ここでは「護摩木」という、四方がほぼ1センチ角の、長さが30センチほどの白木が用意されていて、そこに祈願する内容、名前、年齢を書き込むのです。

私は、自分のことはそっちのけで、昨年、病気や怪我、仕事に恵まれなかった人を家族含めて20人分は書いた。順風満帆の人には、あえて何もしなかった。名前や年齢、祈願する内容以外にも、私は裏表横のスペースに書き込めるだけ書き込んだ。商売繁盛だけではなく、契約が多く取れるようにとか、いい家を作って見せますとか、コストを意識して作業に取り組むとか、具体的に書いた。尿結石で悩んでいる人には、尿結石だけにしてくださいなとか。思いつくまま書き込んだ。空海さんなのか、御釈迦さんに、随分強欲な奴だと思われただろう。そんなに思われたって構うもんか。

私個人のお祈りはと言えば、ただただ健康に恵まれますようとお願いした。今年は特に精神的にも肉体的にも、タフでハードな一年になる。どのようなことにも、真摯に誠実に、真面目に取り組みたい。精神的には、常に心がけてはいるものの、病が不意にやってくるのが怖いのです。お百度ではあるまいが、このように自らの体に鞭打ってお参りにきたのです。よろしく、お願いします、と何度も何度も頭を下げた。少々のアルコールはお許しください。

友人にくず餅(包装紙には久寿餅と書いてあった)を頼まれたので最小の物を800円で買った。本殿までの広場では屋台がたくさん出店していた。私が子供の頃とは売っているものが全然違う。私たちが子供の頃は、コマや鉄砲のおもちゃ類、金魚や水の入った風船玉のようなものを釣ったり、水飴類、焼きそば、イカの焼いたものだった。

歩行距離は20キロぐらい。真剣に歩けば、3時間で歩き通せるだろう。帰りは電車で帰った。当初考えていた初日の出は帰ってからにした。住まいに戻ったのは、02:30だった。

ーお勉強ですー

1128年、平間兼乗という武士と高野山の尊賢上人が建立したのが、現在の川崎大師平間(へいけん)寺。真言宗智山派のお寺で、成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに、智山派関東三山の一つ。ご本尊は弘法大師像。1813年、徳川幕府の将軍家斉が厄除けに訪れたことから厄除け大師として広がる。お護摩とは、梵語でホーマといい『焚(た)く』『焼く』などの意味をもつ言葉で、仏の知慧の火をもって煩悩(苦の根源)を焼き尽くすことを表しています。

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