2010年10月7日木曜日

さらば、朝青龍

今年1月の初場所限りで引退した大相撲の元横綱朝青龍(30)、本名=ドルゴルスレン・ダグワドルジの引退断髪式が20101003、東京国技館で行なわれた。

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(はさみを入れた後の白鳳)

その断髪式後、土俵に分かれのキスをする元横綱の写真が新聞に載っていた。彼らしい行為に、相撲関係者はどう感じたのだろうか、と脳裏を過(よ)ぎった。現役中ならば、関係者から横綱の品格を問われることになったかもしれない。相手に勝って土俵の下と言えども、万歳と両手を広げて観衆にアピールした。ガッツポーズもあった。それらが、横綱の品格を汚したと物議を醸したのだ。私は、個人的には決して朝青龍の挙措(きょそ)が横綱の品格を汚したとは思っていなかったが、なんだか私の想像以上に風当たりは凄かった。

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(土俵に別れのキスをする)

相撲が国技と言うが、誰がどのようにしていつ国技になったのか、私は知らない。相撲と同じように日本人に愛されている格技に柔道や剣道がある。どちらの競技にも、礼儀の正しさは求められるが、相手を倒した時、相手に勝った時、その勝利の喜びを自由に表現している。当然、倒した相手に対しては、礼儀を重んじることは言うまでもない。1964年、東京オリンピックでの柔道無差別級で、オランダのアントレ・ヘーシンクは日本代表の神永昭夫を袈裟固一本で金メダルを獲得した。勝負が決まった直後、歓喜のオランダのスタッフがベンチから勝者のヘーシンクに駆け寄ろうとした。試合を行なった畳の上で抱き合って喜びたかったのだろう、それを外国人のヘーシンクは手で制した。敗者に対する敬意を表したのだ。その流石さに、関係者は納得した。

07年の夏巡業を腰痛などの理由で休みながら、モンゴルでサッカーに興じていたときのビデオが、テレビで放映された。中田英寿もその試合に加わっていたことで、話題が盛り上がった。大層批判を受けた。サッカーを多少なりとも専門的にやってきた私には、朝青龍のサッカープレーの身のこなしに驚嘆した。

決定的には今年の初場所中、泥酔して暴行事件を起し、横綱審議会から引退を勧告された。この稿は、20101004の朝日新聞の記事を素にに文章をまとめた。

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20101004

朝日朝刊

天声人語

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朝青龍と白鳳が東西の横綱を占めたのは16場所、その間、本割りでの対戦は11回にとどまる。やんちゃと優等生の対比が鮮烈なためか、青白(しょうはく)時代はもっと長かった印象だ。「青」絡みの騒動が絶えなかったこともある。

「白」の連勝が称賛される中、朝青龍がまげを落とした。〈自業自得〉と銘打った引退興行。稀代のマルチタレントは「次の人生に夢をかける」と、土俵に分かれのキスをした。相撲取りを天職というより、自己表現の一つだったのだろう。

東大でモンゴル語を教える木村理子(あやこ)さんは、青白をそれぞれ授業に招いている。白鳳は日本語で話し始めて先生を慌てさせたが、朝青龍はほぼ母国語で通したという。木村さんは二人の行き方の違いを見た。

近著『朝青龍 よく似た顔の異邦人』(朝日新聞)にある。「モンゴル人として祖国で祖国のために活躍したいと願う朝青龍と、ゆくゆくは日本に帰化して親方になるであろう白鳳。人生の目標は別の方向を向いている」。

白鳳は「すごいスポーツ選手でした」と、先輩を巧みに評価する。正統あっての異端。7連覇の頃は暴れん坊が歴史を作るのかと心穏やかではなかったが、今は愛すべき人間味が懐かしい。世界を視野に、英語を磨きたいと語る姿は、白鳳とは別の意味で不世出に違いない。

長い取材者は「強いけど悪い、悪いけど憎めないーーー横綱としては許せなかったが、気がつけば人として魅力を感じていた」と好意的だ(横野レイコ『朝青龍との3000日戦争』(文芸春秋)。30歳の再出発を見守りたい。

2010年10月6日水曜日

ザッケローニの指導が嬉しい

ザックJの初陣が近い

日本代表が4日、アルゼンチン戦(8日)と韓国戦(12日)に向けてさいたま市内で合宿に入った。アルゼンチン代表チームは、8強入りしたW杯南アフリカ大会メンバーからは14人が入っている。そのメンバー23人を日本サッカー協会が発表した。ほぼベストメンバーだ。メッシ、イグアン、テベスが目の前で、テレビの画面を通してだけれど、どんなプレーを見せてくれるのだろうか。まだ韓国代表メンバーの発表はないが、対戦相手からして最強のメンバーを立ててくる筈だ。試合を楽しみにしている。テレビでは、アルゼンチン戦前に、中田英寿とザッケローニ監督との対談が放映されると聞いている。通訳を介しないイタリア語での対談らしい。録画は済んでいる。これも楽しみにしている。対戦する両国のチームにお願いしたい、親善試合だけれど、本気の本気で戦って欲しい。初めて招集された選手の起用も、できたら叶えて欲しい。

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(西畑志朗撮影)

ザッケローニ監督が練習を初指導した内容が、20101005の朝日朝刊のスポーツ欄に載っていた。その内容を転載させていただいた。ザックさんは攻撃的なチームを作ると言っていたが、先ずは守備面から指導しだした。

攻撃のためには、先ずは堅い守備があってのことだ。イタリアのカテナチオだ。このイタリア語は、日本語に訳すると、閂(かんぬき)だ。私は大学時代、守備専門の特殊なプレーヤーだっただけに、ザックさんが本場イタリアの守備の極意を伝授してくれることを、何よりの喜びとしている。

その内容は次の通りだ。

さっそく4バックでの守り方を選手に落とし込んだ。最初は静かに見守っていたザッケローニ監督。ウォーミングアップが終わると、まず右から内田(シャルケ)、今野(FC東京)、栗原(横浜マ)、槙野(広島)と4バックに並べた。「サイドからのクロスはあまり怖くない。中央をスルーパスで破られるのは厳禁」という考え方のもと、裏を取られないような体の向き、相手に素早く重圧をかける動きを繰り返した。「新しい監督が来れば新しいものが注入される。選手は集中して話を聴いてくれた」

そして、20101007の朝日新聞・スポーツ欄に、かってザッケローニ監督がイタリアのクラブを率いていた時、その下で元ドイツ代表FWのオリバー・ビアホフ(42)は飛躍を遂げた。そのビアホフ氏がザッケローニ監督のことを語ったことが掲載されていた。ザッケローニ監督の考えがよく解るので、その記事をここに転載させていただいた。

「戦術練習の指示は細かい。スローインの状況も繰り返し練習して体に覚えこませた。ミニゲームは自由にやったことがない。常に目的がはっきりしていた」。

「例えば、前線ではリスクを冒せるが、後ろでは許されないという原則。また、守備的MFを2人置くと、『2人は常に球の後ろにいること』という原則もあった。守備の動きについては、『自分の後ろで起きることは注意しなくてもいい』と言っていた。自分の前の選手だけを見れば、後ろにいる仲間が見てくれている、と。ACミランのスター選手でも特別扱いしなかった」。

今日(8日)は、アルゼンチン戦だ。20101008の朝日朝刊スポーツ欄には、昨日のザックJの様子が掲載されていた。その中で、ザックが選手たちに指導した内容を記事のまま転載した。

「日本代表にかける選手の思いの強さを感じる。時間は短かったが、私の哲学を伝えたつもり。全てをこなせるとは思わないが、目指すサッカーの実現にトライして欲しい」

攻撃のキーワードは「縦」だ。

監督は「日本のパス回しは世界有数かもしれないが縦に球を運ぶ意識が薄い。ゴールに直結する攻撃を心がけろ」

球を奪ったら、まずFWへのくさびのパスを考えろ。横パスを減らし、素早くゴールへ。そう意識づけされた。守備は4-2-3-1の形を崩さず重圧をかけるのが基本。

多くの選手が「決め事が多い」と感じる。球や相手の位置に応じた各ポジションの動き方が、岡田監督時代より事細かに指示されている。

 

 

 

 

どうか、監督と選手がいい関係になって、いいチームを作ってくれることを願って止まない。

2010年9月29日水曜日

俺にとっては、怖い話です

スクラップしてあった新聞記事が赤茶けていた。それほど、切り抜いてから時間が経っているようだ。この記事をマイファイルする。昔から他人の言うことに耳を貸さない私だけれど、賢人からのアドバイスは、見ない振り、聞かない振りをいつまでもしているわけにはいかなくなった。ここにきて、やっと分別のつく年齢になったようだ。身を正して再読することにしました。

やっとのことで、長い長い暑い夏が終わった。真夏日が記録的に何日も続いて、また気温も異常に高くて日本中がウンザリした。ところが一週間前に気温が一気に下がって、急に涼しさを飛び越して、寒くなった。冬着が直ぐに出せない私は、夏服をを二枚、三枚と重ね着をしてしのいだ。油断一発、クシャミものだなあと気に掛けていたのに、案の定、今は風邪気味なのです。布団をがっぽりかぶって寝ている。夜のとばりが下りるのが早くなり、夜明けも少し遅くなった。秋の夜長の始まりだ。そんな時期、夕食には熱燗にお決まりだ。焼酎はお湯割りが楽しい。鍋物がいい。

毎晩、毎晩、酒を呷(あお)りながら時事放談、勝手にホザイテいる。嘆かわしい事件が多すぎるのだ。他人は私の飲酒に関しては、それぞれに有り難い忠言をしてくれるが、私は私なりに守らなくてはならない原則をちゃんと作っている。それは、翌日に酒の酔いを残さないようにすることだ。この加減が実に難しいのだが。日本酒を飲み過ぎたかな、と思ったときには水を多い目にとるようにしている。枕元に、水のペットボトルを忘れない。私は生まれながらに、臆病者で、小心者で、慎重派なのです。

でも、これからマイファイルする下の記事はよくよく理解して頭の隅っこにでも大切に仕舞っておきましょ。酒を飲んだら、「顔が真っ赤になる人タイプ」の私は、要注意らしいですゾ。クワバラクワバラです。

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毎日新聞の或る日の記事より

中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長

Dr 中川のがんから死生を見つめる

「赤くなる人」酒控えめに

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アルコールそのものに毒性はありませんが、アルコールが分解されてできる「アセトアルデヒド」に発がん性があります。これを解毒する酵素「ALDH2」を作る遺伝子は、両親から一つずつ受け継ぎます。そのうちの一つだけが分解力弱いタイプ(ALDH2部分欠損型)であっても、ある程度はお酒を飲むことができます。

しかし、部分欠損型の人は、アセトアルデヒドを完全には分解できません。この分解されずに体内に残ったアセトアルデヒドによって顔が赤くなるのです。つまり、顔が赤いということは、体内に発がん性物質が分解されずに残っていることを示しています。昔は飲むとすぐ真っ赤になったけれど、今はずいぶん飲めるようになった、という方も多いと思いますが、アセトアルデヒドに体が慣れただけですから、要注意です。

ALDH2欠損型はアジア人だけに見られ、酒で顔が赤くなる現象は「アジアン・フラッシュ」とも呼ばれます。世界の人口の約8%、5億4千万人が、このタイプと見られます。酒で顔が赤くなる人(部分欠損型)は、赤くならない人(正常型)よりも、同じだけ酒を飲んでも、がんになる危険性が高くなります。部分欠損型の人は、正常型の人より、食道がんのリスクが10倍近く高くなるといわれています。赤くなる人が1合程度に酒を抑えるだけで、日本人の食道がんが約半分に減るという計算もあります。

自分がどのタイプかは「遺伝子検査」をすれば分かります。しかし、全くの下戸(げこ)の人は完全欠損型、すぐ顔が赤くなったり、飲み始めて1~2年はビール1杯だけで顔が赤くなったりしていた方は、部分欠損型と考えて間違いありません。

東京・新橋あたりで真っ赤な顔で飲んでいるお父さんを見ると心配になります。小澤征爾さんも、桑田佳祐さんも酒をずいぶん飲んでいたそうです。2人が赤くなるタイプかどうかは分かりませんが、飲んで真っ赤になる人に、お酒を勧めることは慎むべきでしょう。

2010年9月27日月曜日

高校時代、養命酒の配達をしていた

高校時代、サッカー部の練習がないときは、宇治市にあった灰山急送(今もあるかどうか、知らない)で、アルバイトをした。私の当時の時間の過ごしかたの優先順位は、1にサッカー、2にアルバイト、3は勉強だった。サッカーが優先順位で1番だと言っても、いつもの練習には10人とは集まらない、貧困なクラブだった。そんなクラブに心血を注いでいたのです。

灰山急送は、一般的な荷物を全国ネットの運送会社から、委託を受けて、集配をしていた。当時、私よりも5,6歳年上の運転手が3人いて、私は年齢以上の働きをするものだから、どの運転手も私を助手にするのを快く思ってくれた。

その運送会社の定期的な収益の柱は、養命酒の配送だった。京都の何処か?伏見だったか?に養命酒の配送センターがあって、南京都や宇治、山科方面の小売店に独占的に配っていたのです。一つの箱には、6本が入っていた。赤い箱と、黄色い箱の2種類があって、黄色い箱は薬用養命酒、赤い箱は一般的な養命酒だ。センターでは、ベルトコンベアーで出てくる養命酒を、指定された伝票通りにトラックの荷台に配達しやすいように積み上げるのです。

養命酒とは、そのような縁があるものだから、養命酒の宣伝が目につけば、どうしても最後まで、気が済むまで読むことになるのです。そのアルバイトの最中に、養命酒を小さな盃に一杯だけ飲ましてもらったことがある。大人はどうしてこんな不味いものを飲むのだろうと不思議だった。体の弱い人にとっては重要な滋養になると聞かされていた。百姓育ちの私には、そんなもので滋養を取るなんてことが信じられなかった。

その養命酒がスポンサーで、敬老の日を意識した今朝の新聞広告が、いやがうえにも目に留まってしまった。だが、これはいい広告ではないか。人間が加齢していく各節目を意味する用語?をこのように整理してくれている。これは一つパクラせてもらおう。

後学のために、ここは新聞広告をそのまま、転載させていただく。

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60歳:還暦=60年で十干十二支の組み合わせがひと回りすることから

70歳:古稀=唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんで

77歳:喜寿=喜の草体が七十七と読まれることから

80歳:傘寿(さんじゅ)=傘の略字が八十と読めることから

88歳:米寿=米の字が八、十、八に分解できることから

90歳:卒寿(そつじゅ)=卒の通用異体字が九十と読まれることから

99歳:白寿=百の字から一を引くと白になることから

108歳:茶寿(ちゃじゅ)=茶の字の草冠を二十、その下の部分を米という字に見立てて八十八、合わせると百八になるこ とから

111歳:皇寿(こうじゅ)=皇の字を白、一、十、一に分解。九十九を表す白に一、十、一を足すと百十一になることから

2010年9月26日日曜日

誕生日に思ったこと、それは感謝だ!!

1948年(昭和23年)9月24日生まれなので、今日で62歳になった。3日前から、女房の母親は、私らの長女夫婦(義母にとっては孫夫婦)が、我が家の近所に自宅を新築したのでそのお祝いに、京都から来ていたのです。義母と女房、長女とその二人の娘、長男の嫁とその娘、それに三女だ。権太坂地区の山岡家系婦人部の皆さんだ。長男は仕事。向かいに住んでいる次女が加われば、完璧なのだが、生憎次女は夫と息子を引き連れて何処かへ行っちゃった。

自宅のリビングのテーブルには赤飯に、蟹すき。蟹は、長女の旦那が貯めたマイレージによる持込み。皆から数々のプレゼントを頂いた。明日からの活力にとお酒と焼酎、犬の散歩時のための帽子、休日に寛ぐため?のシャツ。南区六ッ川のフランス菓子店に予約してあった特製ケーキのローソクの灯を、孫の楓と一緒に吹き消した。ケーキの上面には誕生日おめでとう、ジジーと書かれていた。「ハッピー、♯、バースデイ、♭、ジジー」の合唱には、涙が滲んだ。嬉しいのに、感謝の気持ちを上手く表現できない。情けないジジーだ。果たして、ローソクは何本立っていたのだろう?数えることもしなかった。このように皆が健康で、こういう機会を作ってくれて、そして和やかに談笑ができるとは、なんちゅうシアワセもんだろう。義母もいたって健康だ、女房の股関節も復調中。この一年間で、孫が二人増えて四人になった。みんな丸々と太っている。

三女から62歳の誕生日は、どんな感じっ?と聞かれて、私は感想を答えられなかった。そうだなあ、と一言発したものの、次の言葉が出てこない。

この年になって、今日の誕生日に思うことは感謝だ。他に何があると言うのだ。不動産業という生業を選んだものだからしょうがないと言えばしょうがないのだけれど、なにせ浮き沈みの激しい業界で、いっぱしの経営者を張っていくには、辛いことばかりだった。幸い、心身とも強靭なスタッフと賢明なアドバイザーに恵まれているので、なんとか撃沈せずにここまで来られたのですが、これまでの人生の中で、この25年間は、ジェットコースターのようだった。

資金繰りに親身に相談に乗って頂いたS信用金庫の皆さん、ノンバンクの担当者、担保も取らずに一時的に用立てしていただいた方、金融機関との付き合い方の指南をして頂いた大手地方銀行の融資担当者、大工さん、数々の職人さん、建材会社の担当者、リフォーム会社の方々、測量士さんに司法書士、弁護士の先生、大学時代の先輩後輩、同業の皆さん。我が社の疲弊した状態にもかかわらず、元気よく会社を盛り上げようとしてくれているスタッフたち。

実際には、人との付き合いにおいて嬉しいことばかりではなかった。心無い言辞に傷ついたこともあった。が、そんなことに構ってはいられない。支えてくれている人たち、励ましてくれる人たちに、何とか早い時期に安心してもらえるように、頑張りたい。この三年間ほど、人の温かみのありがたさを身に沁みたことはなかった。

ここに来て、この場に及んで、まだまだ感謝、そして感謝、もっともっと感謝の日々だ。有難うございました。今後ともお付き合いをお願いします。我々は、本分を全うすることを誓います。

2010年9月24日金曜日

この検事なら、小沢を無罪にできる

前代未聞、特捜主任検事が逮捕された

郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件で、押収品のフロッピーディスク(FD)のデーターを改ざんしたとして、最高検は21日夜、この事件の主任を務めた大阪地検特捜部検事の前田恒彦(43)容疑者を証拠隠滅の疑いで逮捕したと発表した。また、大阪府枚方市内の前田検事の自宅を捜索した。(20100921 朝日夕刊より)

前田検事「以下、前田検事のことを『この検事』とした」は、7ヶ月も前にFDの書き換えた経緯を特捜幹部に報告していたという。最高検は、この検事のかっての上司で、この事件の捜査を指揮した大阪地検特捜部の前部長と前副部長を聴取した。

この報道を知って、このような検事が他の事件ではどのように捜査しているのだろうか、頭を廻(めぐ)らしてみた。家人に、この検事なら小沢一郎を無罪にすることだって可能だよと話した。そして新聞を読み続けていくと、この凡くらな私の想像が、図星だったのだ。この逮捕された検事が、陸山会の政治資金規正法違反事件で元秘書を取調べをしていたのだ。

小沢一郎の資金管理団体(陸山会)の大久保隆規・会計責任者兼公設第一秘書が政治資金規正法違反で逮捕された。元秘書の石川議員、元私設秘書の池田光智の二人も逮捕されたが、この資金管理団体の責任者である小沢一郎は、この事件に関ったのではないかとの疑いがもたれ、再三再四の東京地検特捜部の任意出頭に応じてきたが、立件されずに今にいたる。小沢一郎はこの取調べに対して、「不公正な国家権力、国家権力行使」と非難した。また国策による捜査とも言って抵抗している。検察審査会は、この事件が10月じゅうに強制起訴されるかの判断が下される。

検事は自分の描いたシナリオに沿って、それに都合のいい物証を集め、都合のいい証人や参考人を呼びつけて、取調べ調書を作成する。被告人に対して供述を誘導する。公判においては、検事が作成した被告の供述調書がものを言う。鬼に金棒か、金科玉条か。

今回の郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件では、公判の中で検察の雑な強制捜査と無謀と思える取調べが明らかにされた。でも、明らかにされたことで幸運だったと喜んでいる場合ではない。怖い検察庁の仕業だ。

この段の文章は、20100911の朝日新聞の記事をそのまま転載させていただいた。検察の取調べに元局長の関与を認めた当時の上司や部下らは、自らの調書について「検事の作文」「検察から言われて認めた」などと説明。上村元係長は「検事に『自分の判断でやった』と言っても調書に書いてくれなかった」と涙を流して訴えた。検察幹部らによって、さらに衝撃的だったのは、取調べだけではなく、必要な裏付け捜査ができていなかったことが公判で明らかになったことだ。「凛の会」元会長が、証明書発行の「口添え」を厚労省側へ頼んだとされていた石井一・参院議員が、元会長と議員会館で面会したとされる当日、ゴルフ場にいたことが明らかにされた。この事件の決裁にかかわった在京の幹部の一人は「無から有を生んだのではない。なぜ、あんなあに捜査段階の調書と、公判での証言が違ってしまったのか、不思議で仕方がない」と強気の姿勢を崩さなかった。だが、捜査にかかわった現職幹部は「本来やるべき捜査をしなかった点は認めざるを得ない」と話した。

小沢一郎の元秘書、大久保隆規の取調べは、今回逮捕された検事が行なったが、小沢氏本人を誰が取調べたのか、その報道はないが、検察庁が立件するか?しないかは、取調べを行なった検事らのシナリオの匙(さじ)加減一つだとしたら、こんな恐ろしいことはない。社会の空気を意識して、三人の秘書は立件して、小沢氏には影響を少し及ぼす程度にして、シャンシャンと終わらせようと思えば、終わらせることができる、なんてーーーー。

今回の事件は、被告人の家宅捜査で得た証拠品にこの検事が改竄(かいざん)したのだ。今後の公判において捜査段階の供述調書の補強になると考えたのだろう、と新聞記事にあった。こんなことが実際に行なわれたのです。検察が信頼できないような事態になって、どうすれやいいんだ。嘆(なげ)かわしいノウ。

こんなことがあった後だから、今後、捜査の可視化を促す動きが増すだろう。

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郵便不正事件(20100921の朝日朝刊より)

障害者団体向けの郵便割引制度を悪用し、実体のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件。大阪地検特捜部は昨年2月以降、郵便法違反容疑などで広告会社元取締役らを逮捕した。捜査の過程で、自称障害者団体を同制度の適用団体と認める偽の証明書が厚生労働省から発行されたことが発覚。特捜部は発行に関与したとして、同省元局長の村木厚子氏らを逮捕・再逮捕した。

村木氏の公判では、同氏の関与を捜査段階で認めたとされる元部下らの供述調書が大阪地裁に「検事が誘導して作成した」と判断され、村木氏は今月10日の判決で無罪を言い渡された。

2010年9月23日木曜日

「落雁」(らくがん)を初めて知る

弊社と取引のある生命保険会社の担当者、伊さんが、所要で軽井沢に行って来たのだと、お土産を持って来社した。そのような手土産はできるだけ早く開封しなくちゃと思う私は、その包みを我武者羅に急いで破いた。高級な菓子では、と直感したのでした。これあ、貧乏育ちの浅知恵かも。

その様子を見ていた経理係の古さんは、冷静にラクガンらしいですよ、と言う。古さんの声は耳に入ってくるのですが、それが何を、どのようなものを意味するのか、私には解らなかった。

お菓子の一つの包みが一辺2センチの真っ角で、上品な和紙に包まれ、それらがきちんと小さな容器に納まっていた。何重にも包装されていた。

ラクガンは、落雁(らくがん)という漢字を用いるらしい。

(堅田の落雁 歌川広重)

Wikipediaより=落雁は、米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて型に押して乾燥させた千菓子である。(千菓子=水分の少ない乾燥した和菓子の総称)。 型に押す際に、飴や小豆、栗などを入れて一緒に押し固めるものもある。また米ではなくて、大麦を加熱して粉にしたものや、大豆や栗の粉で作ったものがある。滋賀県大津市の琵琶湖の西岸。湖畔には浮御堂と出島灯台があり、浮御堂の「堅田の落雁」は近江八景の一つとされていて、この堅田の落雁がお菓子の落雁の名の由来だと記されていたが、私にはいまいち理解できていない。お菓子の落雁と堅田の落雁、漢字が同じだけってことでもない筈だがーーーー。湖水に浮かぶ雁の姿が、----何かお菓子の奥ゆかしさとも関係しているんですか?無粋な私に、言葉を噛み砕いて教えてくださいな。

包みを開けてみて、すぐ口にして、成る程これは馴染みのあるお菓子だワイと思った。仏事や神式による儀式の後、いつも土産にもらうお供物だ。茶の湯では薄茶点前に出される定番のお菓子だ。

それにしても、落雁=ラクガンとは、恐れ入谷の鬼子母神。

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(これは頂いた菓子の包装紙です。珍しい柄だったので、記念にここに保存しました)