2009年2月26日木曜日

2009年2月23日月曜日

村上春樹さん、ガザ攻撃批判

村上春樹氏がエルサレム賞を受賞した。この受賞した内容を下の方に朝日新聞の夕刊記事から転載させていただいた。

私には、何故エルサレムという都市が、「社会における個人の自由」に貢献した作家に贈る賞などを創設したのか不思議でならない。創設されたきっかけが、何だったのだろう。イスラエルに何か政策的意図や目論見があったのだろう。国家は勿論、個人も各人各様に濃淡はあれども、政治的なものからは逃げられない。イスラエルは今、戦争真っ盛りだ。「個人の自由」と「村上春樹作品」、これはいいとしても、殺戮は、究極の個人の自由の抹殺なのに、なんで、「個人の自由」とイスラエルの「エルサレム」なんだ。他人(ひと)は、こねくり回す私の方がおかしいとでも言うのだろう、か。

イスラム過激派のハマスのイスラエルへのロッケット弾攻撃に、正当防衛だといって、圧倒的に軍事力がまさるイスラエルが、ガザの街を破壊した。このパレスチナ自治区のガザ地区攻撃で、1300人の死者が出た。一般市民、子供や婦人が多かったと聞いている。こんな国の首都が創設した文学賞って、本当にアリか?そしてこの都市が、「社会における個人の自由」に貢献した作家に贈るって? この都市にこんな賞を創設したり、授賞する資格なんてあるの? あまりにも似つかわしくない。

授賞式における村上氏の「スピーチの内容が曖昧だった」と一部に報道されたようだ。

村上氏の作品では、読書中、私はいつも平易で親しみやすい文章に慣らされてきたな、と思いきや、突然、非現実な世界に誘い込まれ、私は不安のどん底に落とされ続けてきた。初期の作品では、内向的な作風で社会に無関心な青年を描いた物語が多かった。そして私もまた、読むたびに作中の人物と同じように精神的に不安な状態に陥るのです。このアイマイな不安さが、村上作品の真骨頂で、多くの村上ファンをとりこにしてきたのだと思う。最近では、オウムのサリン事件など社会問題を正面からとらえた作品も増えてきたようです、が私は少しご無沙汰している。

講演では、明解にイスラエルのガザ攻撃を批判したのに、16日付有力紙ハアレツは、講演を「詩的」と表現し、村上さんが「ガザで多くの無実の人が殺された」と述べた、と客観的に伝えた。講演では、自分のことを卵に例えて、自分は卵の側に立つ、と述べた。講演の一部(本当は全文読まなければならない)は下の新聞記事を読んでもらえれば、この卵の意味は理解して貰えるだろうが。本当に、村上さん、あなたは卵側ですか? 壁の上に立っているとは言わないけれど、私には、解らない。

ここで、エルサレムという都市の生い立ちのおさらいをしておきましょう。

今のエルサレムとは=1947年の国連総会でエルサレムを国際管理下に置く決議をしたが、翌年の1948年の第一次中東戦争でイスラエル領の西エルサレムとヨルダン支配下の東エルサレムに分割された。そして1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領し併合した。そこでできた統一エルサレムを首都と規定した。これは、国際的には承認されていない。

村上氏は出席した理由について、「作家は自分の目で見たことしか信じない。私は非関与やだんまりを決め込むより、ここに来て、見て、語ることを選んだ」と述べた。

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20090216

朝日夕刊

エルサレム賞 授賞式

『個人は壊れやすい卵、私はその側に立つ』

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イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレムで開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。

ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子供や女性も多かった。このため日本国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めた。

村上さんは、授賞式の出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。

また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる。

村上さんの「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」など複数の作品はヘブライ語に翻訳され、イスラエルでもベストセラーになった。

エルサレム賞は03年に始まり、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に隔年で贈られる。受賞者には、英国の哲学者バートランド・ラッセル、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス、チェコの作家ミラン・クンデラ各氏ら、著名な名前が並ぶ。欧米言語以外の作家の受賞は初めて。

ただ中東紛争のただ中にある国の文学賞だけに、政治的論争と無縁ではない。01年には記念講演でスーダン・ソンタク氏が、03年の受賞者アーサー・ミラー氏は授賞式に出席する代わりにビデオスピーチで、それぞれイスラエルのパレスチナ政策を批判した。

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2009年2月12日木曜日

サバイバル登山って、人生の主役になった感覚!!

下の記事を読んで、こんな山登りもあったのか、と驚いた。私も山登りをちょこちょこするのですが、大した山でもないのに、ハイキング程度なのに、あのモノモノしい装備が気にくわない。確かに高価で精度のいい装備は、そりゃイイにこしたことはないが、山育ちの私には、仰々し過ぎると思う。必要以上の装備は、滑稽だ。決して貧乏人の僻(ひが)みじゃないぞ。

私も、もう少し若ければ服部氏程激しくはできないけれど、少しだけはサバイバル風に、山岳や野原、見知らぬ荒野を彷徨(さまよ)ってみたい思う。服部さん、あなたは私の憧憬の的だ。

子供の頃、毎秋、父母と私たち兄弟3人で、茸(きのこ)狩りに山に出かけた。山の入り口に到着するや、籠(かご)を手に、一目散に山中に散って行くのです。でも末っ子の私と母は、そんなに奥までは進入しない所で、茸や山菜採りをするのです。父や兄たちは、毎年のことだから、各々が自分の秘密の場所をもっている。朝早く山に入って、各自昼は弁当で済ませ、夕方、母と私が待って居るところに、籠の中を雑茸をいっぱいにして戻ってくるのです。立派な松茸もたくさんあった。雑茸は、農家である我が家の一番の繁忙期、茶摘の頃の、食事を簡便にすますための重要な副食(オカズ)なのですから、趣味や好みで山に入っているわけではないのです。蕗(ふき)とゼンマイ、蕨(わらび)、それに雑茸と昆布を混ぜて、保存がきくように塩をいっぱい入れて煮るのです。朝食にはそれだけをご飯にのせて、茶摘の期間中、食べ続けるのです。だから、茸狩りは生活に関わる、重要な仕事なのです。だからこそ真剣勝負なのです。松茸は、親類にもお裾分けしました。兄2人と父らが、茸がいっぱい入っている籠を前にくつろぎながら、遠く指を差しながらあの山のあの峰のあの尾根の、と自分が這いずり回ってきた山の斜面の位置を話していた。6~7時間を、位置を確認しながら広い山域を駆け巡っていたことになるのだ。地図は勿論、道も標識もないところを、どうして行動できるのか、不思議だった。

私は、このように幼少を過ごしているものだから、インストラクターに引率されての山登りは、我が身が軟弱者に感じられて、恥じ入りたく思うことがあります。本当は、そんな山登りなんか参加したくないのだが、たまたま、徳のある先輩たちが、この私を誘ってくれるものですから、このグループとだけは気持ちよく山行をさせてもらっていますが。

楽しい、愉快な山登りの話なのに、私の今の経済状態、経済全般が100年に一度の世界同時不況?では、心に余裕がなく、ここでは、これ以上は盛り上がらない。それが悔しい。後の文章で、服部氏がズルさを感じたと言っている、私も同感だ。そして生と死を真剣に考えることをサボッていたと思う。

今回は服部氏の文章を読んで、机の前で、「サバイバル登山」のイメージトレーニングにしておきましょう。

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20090207

朝日朝刊 (声・主張)

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生+死=命 だから面白い    

服部文祥(ぶんしょう)

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私は「サバイバル登山」をしている。ラジオや時計、ヘッドランプなど、電池で動くものは一切携帯しない。テントも、燃料もコンロもなし。食料は米、みそ、基本調味料のみ。道のない大きな山塊を長時間歩く。イワナや山菜、時にはカエルやヘビまで食べながら、南北の日本アルプスや日高など大きな山脈を一人で縦断する。サバイバル登山とは、私が名付けた。第2次ベビーブームに生を受け、生きることに関しては、何一つ足りないものなく育ってきた。いま思えば、そんなこぎれいで暖かく食べ物があふれた生活に、どこかでやましさを感じていたのだと思う。幼いながら自分がズルをしているような気がしたのだ。

現代文明の防御機能が及ばない環境にあこがれ、登山に傾倒していった理由の一つがそこにある。生きていることをもっと体感したかったのだ。そうして到達したヒマラヤの高峰は、死の香り漂う空間だった。そこにいるだけで、自分が生きていることを強く感じることができた。

だが、私はそんな先鋭的登山から、猟師やマタギのように山々を巡るサバイバル登山へ惹かれていった。いわば日本土着の登山である。山に棲んでいるものや生えているものを取って、自分でさばく、焚き火をおこして獲物を調理し、落ち葉を集めてその上に眠る。私は自分が間違いなく地球の生き物の一種類だと感じて嬉しくなる。

つらいこともある。沢や谷の登下降には、滑落や増水の危険が伴う。いつも空腹なのは当たり前。暑い夜はヤブ蚊に悩まされ、寒い夜は震えて朝を待つ。摂取カロリーが足りないので、濡れて体を冷やすのは命取りだ。雨に降りこめられれば天幕の下でじっとしている。自分を環境に合わせることはできても、環境を自分に合わせることはできない。自然の中に入ることで身に付ける徳があるとすれば、それは「我慢」だと私は思う。

「死の予感」の中で生を実感するのではなく、「手作りの生活」に生きている自分を体験し、生命体としてタフになる。そんなことを私は登山に求めている。

食べるために生き物の命を奪う行為は、少し前まではだれもがやっていたことだ。しかし、現代都市生活ではほとんど経験できなくなってしまった。

「殺す」のは気持ちがいいものではない。専門の場所でまとめてやった方が効率もいいだろう。しかし、体験を手放すと、それにともなう感情まで手放すことになる。効率と快適を追い求めることで、私たちは生きるための根源的な体験と感情を失ってしまったのではないだろうか。

現代文明は時に、死を全面否定しているかのように私の目にはみえる。食べるためや人の生活を支えるために殺している動物の死を隠している。人間の死も隠す。だが、死を否定すると命そのものの存在がなくなってしまう。死ぬ可能性があるから命である。

生+死=命。この法則は絶対であり、死ぬかも知れない中で生きるからこそ、生きているのは面白い。

幼い頃、自分の生活のどこにズルさを感じていたのか。今では少しわかる気がする。頭や体を使わなくても生きていける生活そのものに疑問があったのだ。受験戦争盛んな頃に思春期を迎え、それなりに頭を使っているつもりだった。だが、自分が生きるための判断は、ほとんどしていなかった。自分の人生においてすら、私は「ゲスト」だったのだ。

生きるために考え、生きるために動く。じつはこれが何よりも楽しい頭と体の使い方である。一つの生き物として山に向き合うと、素直に頭と体を使える。そんな生きるための生活そのものが「生きている実感」につながっている。

山に入っているのは私の人生のほんのひとときだが、そのとき私は自分が自分の生において「ホスト」になった感覚を得ている。

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服部文祥

69年生まれ。96年にヒマラヤ・K2登頂。フリーソロでの岩登り、冬の黒部横断など幅広く活動。「岳人」編集部所属。

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2009年2月4日水曜日

オバマアメリカ大統領就任演説全文

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バラク・オバマ第44代米国大統領が20日、ワシントンの連邦議会議事堂前で就任演説を行った。私は、この新大統領の口から、どんな言葉が発せられるのか楽しみにしていた。テレビに映し出された演説風景は相変わらず、盛り上がってはいたが、日本語に訳された演説文に、多少がっかりした。言葉は散文的で、乾いていた。期待し過ぎたせいでもあったのだろう。新しい言葉を期待していたのです。会社に出社した際に、友人のKさんからも、大したことなかったな、と言われた。オバマ大統領のトーンが下がっていたのだ。派手な、決めゼリフがなかった。高校時代の英語の授業で、ケネディの演説を辞書片手に読んで、さすがにアメリカの大統領ハンは偉いことを言うもンやなあと感心した。その後のどの大統領の就任演説にも関心なかったのに、今回こんなに期待したのはやはり、空前のオバマ人気がアメリカ大陸を席巻している様子の報道のせいだろう。

その演説全文を私の備忘録の心算で、朝日新聞の夕刊(20090202)に載ったものを吟味しながら、転載した。圧倒的に国民から支持されている新大統領にはオーラーがあるがゆえに、この場は徹底的に抑制した言葉を選んで、これからやり遂げなければならない「仕事」の内容を語った。国民はその「仕事」の、その一語一句に声援や拍手で応えた。これからの試練に立ち向かう国民に、自覚と責任を求めた。そして、アメリカの歴史の誇りのもと、国民と連帯して行動を起こそう、と述べていた。転載を進めていくうちに、最初のガッカリ感は薄れ、内容の豊富さとその濃さ、大統領の気合に感動するようになった。やる気充分だった。

仕事とは、資本主義の再生、地球温暖化対策、アフガニスタン・パキスタンの戦争とテロ、イスラムとの共存、世界の貧困の克服、中国の台頭、イランや北朝鮮の核開発阻止、同盟国との関係保持、だ。

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20090121

朝日新聞・夕刊

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☆難題解決できる

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市民のみなさん。

きょう私は、私たちの前にある職務に謙虚な心を持ち、あなた方から与えられた信頼に感謝し、先人が払ってきた犠牲に心を留めながら、ここに立っている。ブッシュ大統領の我が国に対する貢献と、政権移行期に見せた寛大さと協力に感謝したい。

これで(私を含め)44人の米国人が大統領の宣誓をしたことになる。宣誓は、繁栄の高まりや平和な時にも行われてきた。だが、多くは、雲が集まり、嵐が吹き荒れる中で行われた。そのような時を米国が耐え抜いてきたのは、指導者の技量や洞察力だけによってではなく、「我ら合衆国の人民」が先人の理想に誠実で、(独立宣言など)建国の文書に忠実だったからだ。

私たちが危機のさなかにあるということは、いまやよくわかっている。我が国は暴力と憎悪の大規模なネットワークに対する戦争状態にある。経済はひどく疲弊している。それは一部の者の強欲と無責任の結果だが、私たちが全体として、困難な選択を行って新しい時代に備えることができなかった結果でもある。

家が失われ、雇用は減らされ、企業はつぶれた。医療費は高すぎ、学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。(石油などを大量消費する)私たちのエネルギーの使用方法が敵を強大にし地球を脅かしていることが、日に日に明らかになっている。

これらは、データーと統計で示される、危機の指標だ。測定はより困難だが同様に深刻なのは、米全土に広がる自信の喪失だ。それは、米国の衰退が不可避で、次の世代は目標を下げなければいけないという、つきまとう恐怖だ。

これらの難問は現実のものだ。深刻で数も多い。短期間で簡単には対処できない。しかし、アメリカよ、それは解決できる。

今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。今日、私たちは、長らく我が国の政治の首を絞めてきた。狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言する。

米国はなお若い国だ。しかし、聖書の言葉を借りれば、子供じみたことはやめる時が来た。不朽の魂を再確認し、よりよい歴史を選び、世代から世代へ受け継がれてきた貴い贈り物と気高い理念を前進させる時が来たのだ。それは、すべての人は平等かつ自由で幸福を最大限に追求する機会に値するという、神から与えられた約束だ。

米国の偉大さを再確認する上で、私たちはその偉大さは所与のものではと理解している。それは、自ら獲得しなければならないものだ。私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。

むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者、実行する者、生産する者たちだ。有名になった者もいたが、多くは、日々の労働の中で目立たない存在だった。彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。

私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。

私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むちうちに耐え、硬い土を耕した。

私たちのために、彼らは(独立戦争の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第2次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンで戦い、命を落とした。

彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。

 

☆米国再生へ行動

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これが、私たちが今日も続けている旅だ。私たちは地球上で最も繁栄した、強力な国であり続けている。私たちの労働者は、この(経済)危機が始まったときと比べ、生産性が落ちたわけではない。先週、先月、昨年と比べ、私たちの創造性が低くなったのでもなければ、私たちの商品がサービスが必要とされなくなったのではない。私たちの能力は衰えていない。ただ、同じところに立ち止り、狭い利益を守り、不快な決断を先延ばしする時代は明らかに過ぎ去った。私たちは今日から、自らを奮い立たせ、ほこりを払い落として、アメリカを再生する仕事を、もう一度始めなくてはならない。

あらゆるところに、なすべき仕事がある。経済状況は、力強く迅速な行動を求めている。私たちは行動する。新たな雇用を創出するだけではなく、成長への新たな基盤を築くためにだ。商業の糧となり、人々を結びつけるように、道路や橋、配電網やデジタル回線を築く。科学を本来の姿に再建し、技術の驚異的な力を使って、医療の質を高め、コストを下げる。そして太陽や風、大地のエネルギーを利用し、車や工場の稼動に用いる。新しい時代の要請に応えるように学校や大学を変革する。これら全ては可能だ。そしてこれら全てを、私たちは実行する。

私たちの志の大きさに疑念を抱く人がいる。我々のシステムではそんなに多くの大きな計画は無理だ。だが、そうした人たちは忘れるのが早い。これまで我が国が成し遂げてきたこと、そして、共通の目的や勇気の必要性に想像力が及んだとき、自由な人々がどんなことを成し遂げられるかを、忘れているのだ。

皮肉屋たちは、彼らの足元の地面が動いていることを知らない。つまり、これまで私たちを消耗させてきた陳腐な政争はもはや当てはまらない。私たちが今日問わなくてはならないことは、政府が大きすぎるか小さすぎるか、ではなく、それが機能するかどうかだ。まっとうな賃金の仕事や、支払い可能な医療・福祉、尊厳をもった隠遁生活を各家庭が見つけられるよう政府が支援するのかどうかだ。答えがイエスならば、私たちは前に進もう。答えがノーならば、政策はそこで終わりだ。私たち公金を扱う者は、賢明に支出し、悪弊を改め、外から見える形で仕事をするという、説明責任を求められる。それによってようやく、政府と国民との不可欠な信頼関係を再建することができる。市場が良い力なのか悪い力なのかも、問われていることではない。富を生み出し、自由を広めるという市場の力は、比類なきものだ。しかし、今回の(経済)危機は、市場は注意深く見ていないと、制御不能になるおそれがあることを、私たちに思い起こさせた。また、富者を引き立てるだけでは、国は長く繁栄できない、と言うことも。私たちの経済的な成功は、国内総生産(GDP)の規模だけではなく、繁栄がどこまで到達するかに常に依存してきた。つまり、意欲のある人にどれだけ機会を広げられたかだ。慈善心からではなく、それが、私たち共通の利益への最も確実な道筋であるからだ。

国防について、私たちは、安全と理想の二者択一を拒絶する。米国の建国の父たちは、私たちが想像できないような危険に直面し、法の支配と人権を保障する憲章を起草した。これは、何世代もが血を流す犠牲を払って発展してきた。この理想は今も世界を照らしているし、私たちは便宜のために、それを捨て去ることはない。大国の首都から、私の父が生まれた小さな村まで、今日、(式典を)見ている他国の人々や外国政府のみなさんに知ってほしい。米国は、将来の平和と尊厳を求めるすべての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意があることを。

 

☆信頼と決意に依存

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(リンカーン大統領が宣誓に用いた聖書。ミッシェル夫人が持った)

先人たちがファシズムと共産主義を屈服させたのは、ミサイルや戦車によってだけではなく、頼もしい同盟国と強固な信念によてでもあることを思い起こしてほしい。彼らは自らの力だけが自分たちを守ったのではないことも、その力が、自分たちが好きなように振舞う資格を与えたのでもないことを理解していた。

その代わりに先人たちは、自らの力は慎重に使うことで増大し、自らの安全は、大義の正しさ、模範を示す力、謙虚さと自制心から生まれると知っていた。

私たちはその遺産の継承者だ。いま一度こうした原理に導かれることにより、私たちはより厳しい努力、つまり、より強固な国際的協力と理解を必要とする新たな脅威にも立ち向かうことができる。

私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める。また古くからの友好国とかっての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う。

私たちは、私たちの生き方を曲げることはなく、それを守ることに迷いもしない。自分たちの目的を進めるためにテロを引き起こし、罪のない人々を虐殺しようとする者に対し、私たちは言おう。いま私たちの精神は一層強固であり、くじけることはない。先に倒れるのは君たちだ。私たちは君たちを打ち負かす。

なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ。

私たちは、南北戦争と人種隔離という苦い経験をし、その暗い歴史の一章から、より強く、より結束した形で抜け出した。それがゆえに、我々は信じる。古い憎悪はいつか過ぎ去ることを。種族的な境界は間もなく消え去ることを。世界がより小さくなるにつれて、共通の人間性が姿を現すことを。そして、アメリカは、新たな平和の時代を導く役割を果たさなければならないことを。

イスラム世界に対して、私たちは、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。紛争の種を蒔き、自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものでななく、築き上げるものであなたたちを判断することを知るべきだと言いたい。

腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たちは、歴史の誤った側にいることに気づくべきだ。そして、握りしめたその拳を開くのなら、私たちが手をさしのべることを知るべきだ。

貧しい国の人々に対しては、農場を豊かにし、清潔な水が流れるようにし、飢えた体と心をいやすためにあなた方とともに働くことを約束する。

そして、米国同様に比較的豊かな国には、私たちはもはや国外の苦難に無関心でいることは許されないし、また影響を考えずに世界の資源を消費することも許されない、と言わなければならない。世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない。

私たちの目の前に伸びる道を考えるとき、つつましい感謝の気持ちとともに、いまこの瞬間にもはるかな砂漠や山々をパトロールしている勇敢な米軍人たちのことを思い起こす。

アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄たちの、時代を超えたささやきと同じように、彼らは、私たちに語りたいことがあるはずだ。私たちが彼らに敬意を表するのは、彼らが私たちの自由の守護者だからというだけでなく、彼らが奉仕の精神の体現者、つまり自分自身より大切なものに意味を見出そうとしているからだ。そして今、一つの時代が形作られようとしている今、私たちすべてが抱かなければならないのがこの精神だ。

なぜなら、政府ができること、しなければならないことをするにせよ、この国が依存するのは、究極的には米国人の信頼と決意であるからだ。最も難しい局面を乗り切るのは、堤防が決壊したときに見知らぬ人を招きいれる親切心であり、友人が仕事を失うのを傍観するよりは自分の就業時間を削減する労働者の無私の心だ。煙が充満した階段に突っ込んでいく消防士の勇気、子供を育てる親の献身の気持ちが、私たちの運命を最終的に決める。

 

☆新たな責任の時代

私たちの挑戦は新しいものかもしれない。立ち向かう手段も新しいものかもしれない。だが、成否を左右する価値観は、勤労と誠実さ、勇気と公平さ、寛容と好奇心、忠誠と愛国心、といったものだ。これらは古くから変わらない。そしてこれらは審理だ。私たちの歴史を通じて、これらは前に進む静かな力となってきた。必要なのは、こうした真理に立ち返ることだ。今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。それは、一人ひとりの米国人が、私たち自身や我が国、世界の人々対する責務があると認識することだ。その責務は嫌々ではなく、むしろ困難な任務に 全てをなげうつことほど心を満たし、私たち米国人を特徴づけるものはないという確信のもとに、喜んで引き受けるべきものだ。

これが市民であることの代償と約束である。これが、不確かな行き先をはっきりさせることを神が私たちに求めているという私たちの自信の源でもある。これが、私たちの自由と信念の意味だ。なぜあらゆる人種と信仰の男性と女性、子供がこの広大な広場に集い、共に祝えるのか。そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ。

さあ、この日を胸に刻もう。私たちが何者で、どれだけ遠く旅をしてきたかを、建国の年、最も寒い季節に、いてついた川の岸辺で消えそうなたき火をしながら、愛国者の小さな集団が身を寄せ合っていた。首都は放棄された。敵が進軍していた。雪は血で染まっていた。独立革命の行く末が最も疑問視されていたとき、建国の父は広く人々に次の言葉が読み聞かせるよう命じた。

「将来の世界に語らせよう。厳寒のなか、希望と美徳だけしか生き残れないとき、共通の危機にさらされて米全土がたちあがったと」

アメリカよ。共通の危機に直面したこの苦難の冬のなかで、時代を超えたこの言葉を思い出そう。希望と美徳をもって、いてついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐がこようと耐えよう。私たちの子どもたちのまた子どもたちに私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。私たちは後戻りも、たじろぎもしなかったと語られるようにしよう。そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語れるようにしよう。

ありがとう。みなさんに神のご加護がありますように。そして、神のご加護がアメリカ合衆国にありますように。

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