2009年4月24日金曜日

桜の森の満開の下

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桜の森の満開の下

坂口安吾(作)/広渡常敏(脚本・演出)/東京演劇アンサンブル(公演)

ブレヒトの芝居小屋

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昨日、ブレヒトの芝居小屋で、原作・坂口安吾の「桜の森の満開の下」を観に行く予定だった。招待を受けていたのです。ところが当日昼に、主演の俳優さんが事故を起こして、急遽休演になった。残念無念。

1990年ニューヨーク、1991年ソウル、1999年ロンドン、ウラン・ウデ、2005年ダブリンコーク、ベルファストで海外公演されてきた東京演劇アンサンブルの代表作だとパンフレットに記載されていた。

小説は既に読んでいたので、どのように演出がなされるか、多少なりとも私にはイメージが湧いていた。でも、だ。広渡さんの演出はどうなるのか、想像が想像を生み、この日が待ち遠しかった。

学生時代に、安吾の本を「日本文化私観」「堕落路」「白痴」と続々と集中して読んだ、そしてすっかり安吾ファンになってしまった。それからは、短編、とりわけ歴史物、探偵物を楽しませてもらったのですが、長編には苦いものが残った。冬の裏日本の海岸を、それは確か新潟だったか秋田だったか、安吾さんとおぼしき主人公が、冷たい海風に吹かれながら覚束ない足取りで歩いていた。外套を纏ってどこまでも、どこまでも。海は黒く、空はどんよりと低く暗い。何故か、そんな場面だけは覚えている。物語は全体に陰鬱で、登場する人物は誰もが重い苦しみを抱えていた。そんな光景がダ~ラダラ長く続いて、楽しいこと、面白いことの何もない物語だった。評論家が言うには、安吾には長編の秀作は少なかったようだ。でも、当時の私は安吾をもっと知りたいと思っていたので、作品のできばえの良し悪しなんか関係なく、物足りなさや面白みの少ないことにも、その時は逆に刺激的だったのかもしれない。

そんな安吾作品のなかで、「桜の森の満開の下」こそ私を最大に面白くさせてくれた作品だった。冬が終わって、春になった。桜に限らないが、花はときには羞恥な思いを彷彿させたり、隠微な香りを漂わせる。雄蕊(おしべ)と雌蕊(めしべ)、花弁と花芯、そして蜜。男と女が何かに憑かれたように狂態を演じる舞台としては、桜の森の満開の下というのはうってつけだ。妖しく美しい女性と、人を何人も殺してきた鬼のような山賊が桜の花びらが風に散るなかで、男女のめくるめく情念の世界を、美と残酷、欲望を描いた物語だ。

頂いた資料からは、この物語を妖しげな旋律とともに演じられることになっていた。

楽しみにしていただけあって、休演は悔しい。残念だ。東京演劇アンサンブルの代表作だから、必ず演(や)ってくれるであろう次回を、楽しみに待とう。

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頂いたパンフレットの劇評をここに紹介しておこう。

ジェイン・コイル(アイリッシュ・タイムズ)  2005 03

優雅な題名に騙されてはいけない。この1時間の素晴らしい作品のなかで、美と残酷が共存しているのだから。東京演劇アンサンブルの舞台は、私たちがよく耳にする日本の能や歌舞伎の伝統からはるかに離れ、ブレヒトやベケットといったヨーロッパの近現代劇作家の影響を強く受けている。

広渡常敏の躍如とした儀式化された演出のもと、はっとするほど端麗な男女が、中世の寓話をもとに書かれた坂口安吾の原作にある詩的な響きを生き生きと伝えている。

孤独と拒絶、愛と欲望、社会のはみ出し者という立場、女性の性的な力、変化する男女の役割といったテーマが、きらびやかな装置、衣裳、忘れがたい音楽といった枠組みのなかでよく考えられ表現されている。

そしてその間ずっと、桜の花びらが舞い、渦巻き、徐々に激しく強い嵐となり、やがて不遇な山賊と彼の戦利品であるぞっとするような女を飲み込んでしまう。

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坂口安吾が亡くなってから50年が過ぎ、彼の作品の著作権は失効しており、「青空文庫」で楽しめます。

ここに、「青空文庫」の坂口安吾の「桜の森の満開の下」を添付させていただいたので、未読の方はお楽しみください。

坂口安吾 「桜の森の満開の下」

2009年4月20日月曜日

五輪東京誘致の真のネライは?

できるものなら、オリンピックを身近に見たい。お金と時間がない私には、東京じゃなくてもいいが、できたら日本で開催されると、嬉しい。今、東京が五輪開催地として立候補している。ここらで、ちょっと運営がひん曲がってしまったオリンピックをチェックすべき時期にきているのではないでしょうか。クーベルタン男爵が提唱した五輪憲章に、東京は、少しでも近い状態での開催を主張してみてはどうだろう。開催地に決定してからでも、仔細においてでも修正はきく。立候補を目指す全ての都市は、過去における全ての厭(いや)らしいことを忘却して、スポーツを謳歌することを主に、哲学的、文化的に、経済的に、もう一度考えを見直してみる必要があるのではないでしょうか。今、ある姿が異常なのは、誰もが気づいている。この異常さは、北京で爆発してしまった。金がかかり過ぎだ。誘致活動だけで、150億円?。異常(状)だ。

資金不足に明け暮れる、貧困な会社の社長の私には、当然のように思うのですが。特権階級の人間には、解んないんだろうな。

スポーツと平和の女神が微笑みそうな祭典を楽しみたい。金まみれ、薬漬けの大会では、もう嫌だ、そんなんじゃ心底楽しめない。

新聞の報道によると(朝日新聞 20090416 朝刊 スポーツ)、16年夏季五輪の立候補4都市の計画を調べる国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の東京視察が、16日から4日間の日程で始まった。評価委のメンバーは、84年ロサンゼルス五輪陸上女子400メートル障害の金メダリスト、ナワル・ムータワキル委員長(IOC理事)ら13人。同委員長は12年五輪開催地決定でも同じ重責を担った。ほかにはIOC委員6人に加え、パラリンピック、輸送、財政、環境の専門家もそろう。

今回は2月にIOCに提出した立候補ファイルの「書類審査」に加え、委員たちと面と向かっての「面接試験」があった。とくに開催理念などの総論がテーマ。64年に続く2度目の開催を目指す意義で説得力のあるアピールができたか。

17項目のチェックポイントとは、①ビジョン、②全体的なコンセプト、③政治、経済の状況、④法的側面、⑤通関や入国手続き、⑥環境と気象、⑦財政、⑧マーケティング、⑨競技会場、⑩パラリンピック、⑪選手村、⑫医療、ドーピングコントロール、⑬セキュリティー、⑭宿泊施設、⑮輸送、⑯情報通信、⑰メディア

そして、15日のプレゼンテーションでは、麻生首相や中曽根外相、石原都知事も参加して、是非東京で開催してくれとの大アピール。麻生首相は「すべきことは必ずする。建てるべきものは建てる。必要な資金は用意する」と約束した。石原都知事の腰車に乗せられたのか、我々の税金を、いとも簡単に用意しますとは、なんじゃいな。無駄な公費の乱費は許されませんよ。

オリンピックの開催都市に東京が立候補することに異を唱えている人々が多い現実を、石原都知事はどのように受け止めているのだろうか。都民の30%程が快く思っていない。石原都知事は、何が何でも、東京開催を実現させるのだ、と意気込んでいるように思えてならない。その魂胆が、私には、見え透(す)いている。このことについては、後で断言させてもらうことにするが、オリンピックのもたらす功罪を少しは考えてみてはどうだろうか。

IOCが如何に、閉鎖的で利己的な組織であるかは、下に紹介した本を読んで貰えば一目(読)瞭然なのだが、表向き、そんな組織にアピールしても無駄なような気もしないでもない。IOCの総会で開催地が決まるとき、常に腑に落ちない気分がつきまとう。開催地がIOC関係者を説伏させるには、アピールの内容だけではないらしい、とよく聞かされる。決定力になるのは、えに言われぬ物、口にするにも恥ずかしい物、それはお金や現物?の贈り物なのです。胸糞悪くなるので、それ以上は言わぬ。触れたくない。総会で一票を投じる国には、まだ国が民主的な体制になってない国も多いのです。それらの国には、贈りものの効果はてき面だ。長野からソウル、北京がそうだったように。これが実(常)態のようです。今回も東京は民間企業からの寄付を含めて150億円を集金したそうだ。この金が如何に、どのように遣われるのでしょうか?国民も都民も、協賛した企業も、その使途の報告書を求めるべきだ。

表側での交渉、裏側での変則的な折衝で、この150億円が費やされるのです。魑魅魍魎の世界でっせ。

IOCに対する資金の協力が、開催地に選ばれるためには不可欠なのは、かってスイス・ローザンヌに五輪博物館なるものの建設資金にJOCが窓口になって寄付を集めたことからも明白だ。ここまでは、なるほどと思うのですが、長野冬季五輪組織委員会が大会運営費のなかから百万ドルが支払われていたと聞くと納得できない。何で、大会運営費から払わなくっちゃならないんだ。そして、その後の開催を希望する都市の五輪組織委員会からも寄付がなされていたのです。心証を良くするために。金を出してくれた都市は優先的に開催地に近づける、ということだろう。

これ、オイラの税金だぜ。

ここで、以前の長野五輪のことを思い出してみよう。長野県からの交付金が使途不明のまま闇に葬られた。市民団体による住民監査請求で、会計帳簿が焼却されていたことが判明した。調査の結果、帳簿のコピーは見つかった。田中康夫知事の知事選の公約どおり「長野県調査委員会は、『帳簿処分は使途不明金、過剰接待を隠す為』に行われた」との報告を公表した。評価委員会のメンバーに、その他関係者、開催地を決める総会での参加者に、過剰な贈り物、接待をした結果だったというのだ。長野五輪のときには、コクドの堤義明が日本オリンピック委員会(JOC)会長だった。会長の会社の施設も競技場になっていた。この競技場の整備やアクセス等の工事で、税金がじゃぶじゃぶ使われた。その恩返しに、裏で金をばら撒いていたのではないかと、勘ぐるのは当然だろう。ばら撒き役を担ったのかもしれない。この会社は信用できないことを私はよく知っている。裏でこちょこちょこ工作するのが得意なのだ。

IOC会長のサマランチとJOC会長の堤 義明が仲がよかったというけれど、金にまみれたお付き合いだったことは、明白だ。それ以外、交流する理由がない。この堤義明は、西武グループを代表し、スポーツ界にも大いに君臨していたけれど、その功績は長野五輪を金まみれで誘致に成功したぐらいだ。また、経済人としてその恥の上塗りをしてくれた。有価証券取引法違反で逮捕された。有価証券報告書虚偽記載の罪。

その後、IOC副会長の韓国・金雲龍氏が韓国で横領、背任で実刑が確定した。そんな人物(副会長)だったのだ。総会で、彼の追放を提案事項に入っていることを知って、自ら辞した。それまでは次期会長かと思われるぐらいの実力者だった。ソウル五輪を招致し、シドニー五輪では、テコンドを正式競技に採用させた功労者だ。

オリンピックには薬物事件の華々しい歴史がある。スポーツの祭典と言われながら、ドーピングは絶えない。直近の一番身近な話だと、ハンマー投げの室伏選手に関連したことだ。アテネ五輪では、1位の選手がドーピング検査で陽性反応、2位だった室伏選手は金メダルに、北京五輪では、最終投擲の記録では5位だったが、上位2、3位の選手がドーピング検査で陽性反応、一躍銅メダリストになった

そろそろ私が言いたいことを書き込みましょう。

あんなに五輪の東京招致を夢中になる石原都知事には、目論見があるのです。国政とは思えない、都政とも思えない。テレビの放映権の価額がべらぼうに高くなって、オリンピックは儲かる商売になった。間違いなく利益の出る、世界で最大の興業なのだ。おかげで、利益の配当が開催国にも、その他の国にも入るようになった。当然ながら、開催国が多くの利益を得ることになるのです。

この利益こそ、石原東京都知事主導で始めて大赤字を出した、石原銀行とも言われる「新銀行東京」の赤字の補填用なのです。3期で辞めると言っているので、ここらで赤字を埋めるだけの原資が必要なのですよね、石原都知事さま。

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参考になればと思って、一冊の本を紹介する。

この本は二人の英国人ジャーナリストによる、五輪の告発書です。クーベルタン男爵が唱えた五輪憲章とは、随分違った方向にドンドン進む現状と、何故このように金まみれ、薬漬け、非民主的組織に成り果ててしまったのかをレポートしたものです。サマランチ会長が、スペインのフランコ独裁体制のなかから今の地位を得るまで、巧みにのし上がってきた歴史、靴メーカーのアディダスと組んで比類なき大規模なスポーツ興業組織をつくりあげた過程が詳しく書かれている。また、IOCがいかにして、閉鎖的で利己的な組織になってしまったか、これもよくわかります。

希望者には、貸し出しますのでお申し出ください。

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書名・黒い輪(THE LORDS OF THE RINGS)

著者・ヴィヴ・シムソン/アンドリュー・ジェニングス

監訳・広瀬 隆

発行・光文社

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2009年4月13日月曜日

「戦場のピアニスト」。映画も、原作もキツイ!!

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シュピルマン

1942年演奏会のポスター

ゲットー内、カフェ・シュトゥカ

2~3年前のことだ。映画=戦場のピアニスト、を観に行かないかと友人から誘われた。たまたまその時は、時間的に余裕がなかったこともあったが、正直に言って、財布の中身が貧困だった。映画を観た後のビール代がなかったのです。その映画の大体のストーリーは頂いたパンフレットで理解していた。

そして先月、古本屋のブックなんとか店の105円コーナーでこの「戦場のピアニスト」の本を買った。

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書名・戦場のピアニスト/ THE  PIANIST

著・ウワディスワフ・シュピルマン

訳・佐藤泰一

初版・2000年2月

発行・(株)春秋社

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本の内容においては、映画のイメージから私なりの誤解があって(本当は観てもいないのに)、気軽に吹っ飛ばして読もう、と思っていた。早朝4時からの眠気覚まし用の心算だった。ところが、少し読んだだけで憂鬱になってきた。そして恐ろしくなってきて、怒りが湧き起こってきた。そして、頭の中はクラクラ状態だ。4月10日から読み出し、今日(12日)でこの本の全206ページのうち101ページまで、まだ半分しか読んでいないのに。

193?年、ポーランドはドイツ軍に占領された。

ワルシャワに住む、主人公であるポーランド系ユダヤ人のピアニスト・シュピルマンとその家族と職場の仲間と友人たちが、ゲットー区域に追いやられ、隔離され、自由をどんどん奪われ、そのうちにユダヤ人の「人狩り」、次にはゲットーからの行き先の解らない再移住を強制されていく。

シュピルマンの家族は、もともとゲットーのエリア内に住んでいた。ドイツ占領軍が、いろいろ布令を発した。最初のうちの布令は、ユダヤ人はドイツ軍に見合った時には、頭を下げるように、なんて馬鹿げた内容のものだったが、日が経つにつれて内容が命にかかわる、厳しいものに変化していく。街はドイツ軍の攻撃で、どんどん破壊されていく。それでも、放送局の電源室が爆撃で壊されるまでは、戦火の下出勤して音楽を、自らの演奏も放送した。怪しく思われた者は、いとも容易く殺された。死体が、街のあちこちに転がっている。死臭。地下室に詰められ、狭い部屋に多くの人間が住み、住まいの周辺には、鼻先がひん曲がる程の腐臭が漂う。情報の閉ざされた社会の中で、あれこれポーランドにかかわる外国の戦況に、心配を募らせた。期待していた国々は、どの国もドイツにやられていく。

通りは、ひっきりなしに刑務所の車が拘置所からゲシュタポへ囚人(ユダヤ)を運んだ。帰りの車には、砕かれた骨、踏んづけられた腎臓、引き裂かれた爪などがついた血だらけの人間スクラップだ。有名なポーランド人外科医ラセヤ博士が、難しい手術中に、外科医と患者その場にいた全てが射殺された。

そしてゲットーに住むユダヤ人の50万人の移住計画が実行されようとしていた。最初の数日間はくじ引き方式で進められた。そのうち手当たり次第に建物を包囲し、性別、年齢関係なしに馬が曳く車に乗せられ、一箇所に集められ、そこから貨車に乗せられ、見知らぬ土地に配送された。働ける者は兵舎に宿をとり、工場に行くことになっていると言われたが、果たしてそうだったか。ほとんどの者は、殺人だけを目的としたガス室へ行かされるなんて、想像できた者はいただろうか。

ヤヌシュ・コルチャックが運営していた孤児院も立ち退きを命じられ、子どもたちには、新しく楽しいところへ行くんだ、と先生は子供と歌を歌いながら兵隊に率いられていった。コルチャックには助かるチャンスはあったにもかかわらず、同行した。有名な「コルチャック先生」のことだ。

ここまでは読み進んだ。これからのストーリーは、映画のパンフレットで想像がつくのですが、ここまで、読み進んできて、私の頭の中は、今後の物語の展開に対する興味は薄れ、読み進む気力が萎えた。

思考のベクトルは、ナチであり、ユダヤ人のことだ。

なんで、ドイツはここまでユダヤ人を憎むんだ。なんで、ユダヤ人はここまで憎まれることになったのだ、その原因はなんだ。このことが、はっきりしなければ、読み進めない。ここまで酷い仕打ちを受けたならば、タダではすまされない、と思うのも当然だろう。

そんなことを思いながらも、きっと、この本を明日も読み進むのだろうが、ユダヤ人とドイツのことを調べなくちゃ、私の頭は治まらない。頓珍漢のこの私に解りやすく教えてやってくれませんか。

13日、手探りでユダヤを理解しようと務めた。その結果、俺に大警告、私ほどのアホはこの世にいないのではないかと、自己批判した。ユダヤ人やユダヤ教のことは、そんな簡単なものではないことに気付き、赤恥な思いだ。情けないわ。この問題は一生ものだ。一生かけても、理解できないだろう、と思った。

そう言えば、オランダ系ユダヤ人として「アンネの日記」もあったか?  これも、調べなくっちゃイカンな。

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戦後、ポーランド放送局にて

本はこれからが、クライマックスなのに。クライマックスを前にド頭(どたま)を冷やしてから、読書に再突入します。

シュピルマンは、幸運にも死を逃れ、1945年以降、ポーランド放送で再び働き、管弦楽作品や三百曲ほどののポピュラーソングを作り、それらは大変ヒットしたらしい。ポーランドの大衆音楽の舞台を作り上げたと言われている。

         ーーーーーーーー中憩です--------

2009年4月8日水曜日

world baseball classic って一体なんじゃ。

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(優勝した瞬間)

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(原辰徳監督)

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(成田空港)

 

野球の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦が3月23日(日本時間24日)、米・ロサンゼルスのドジャースタジアムであり、日本がライバルの韓国を、延長10回の接戦の末、5-3で競り勝った。1次ラウンドから通じて日本は全9試合を戦い、7勝2敗。2次ラウンドでキューバに2試合連続零封勝ち。準決勝では米国に9-4で完勝した。日本は連覇したことになる。

このワールド・ベースボール・クラシックという大会は変な大会だ。現状のままならば、大会名が大仰過ぎだ。ベースボールの前にはワールドと、後にはクラシックとくる。よっぽどアメリカ人はワールドという言葉がお好きなようだ。毎年、ナショナルリーグとアメリカンリーグの優勝チーム同士が戦ってその年度の全米一を争うのをワールドシリーズと言う。なんで、全米一争いがワールドなんじゃ、と不思議だけれども、アメリカ人の意識では世界の覇者争いの心算なのだろう。

それにしても、ワールドという冠名がついている大会にしては、運営において理解に苦しむことばかりだ。主催国でありながら、野球の本場のアメリカのメジャーが本気で参加していない。そのあおりか、松井秀喜はメジャーの開幕までの調整のため、という理由で参加しませんと意思表示した。昨シーズンは左ひざを手術して、リハビリに掛けた期間が長かったので、今回は参加しなかったのは止むを得ないにしても、第1回目のときには、出場の「しゅ」の字も頭にはなかったのではないか。それ程、アメリカのメジャーの球団はこの大会を「耐えられないほどの軽視」ぶりだ。開催時期が、メジャーの開幕を控えての調整期間であるため、怪我を心配する選手は参加を辞退する。骨抜きにされたアメリカチームでは、チーム自体も盛り上がらないし、主催国アメリカの野球ファンも嬉しくない。

サッカーは、国際サッカー連盟(FIFA)が世界選手権サッカー大会(ワールドカップ=FIFAの商標登録です)を主催するのです。サッカーは世界で競技人口が一番多く、予選に費やす時間は1~2年かけて行う。どの国にも公平にチャンスが与えられている。地域別での出場国数に、多少の問題はあるが、公平性に腐心している。サッカーの宗主国も、新興国も、小国も、大国も、後進国も、この本大会に出場した名誉は、タダモノではない。まして優勝トロフィーを得た国は、この上ない栄誉を獲得したことになる。そして世界の全ての人からその栄誉を讃えられるのです。これこそ、真のワールドカップだと私は思っている。

WBCはメジャーベースボール(MLB)とMLB選手会が主催している。国際野球連盟は蚊帳の外、参加していない。なんで、MLBとMLB選手会なんだ。自分たちはプレーに参加しないで、あぶく銭を稼ごうってことか。賭博場の胴元みたいだ。他人(ひと)の褌で相撲を取る方式か。この私の考えは、どれも良くないですか? 予選も行わずにいきなりの本大会。野球が国民に認知されていないイタリアや中国、台湾、南アフリカ、パナマなどが、根拠なく招待されるのです。

利益の分配が臭いぞ。大会収益の47%が賞金に、53%が各組織に分配されるというが、各組織とは何だ。

こんなWBCだけれど、名目上と言えども世界一がかかっているとなると、真面目な日本と韓国は燃える。日本は、北京オリンピックでは韓国に苦杯をなめさせられた。第1回大会では韓国を倒して、日本が世界チャンピオンになった。何につけても、韓国と日本は因縁のある国同士。熱くなる韓国。負けずとばかりに、ヒートする日本。韓国のあるスポーツ新聞の編集長さんは、決勝戦では痒(かゆ)いところまで知り尽くした日本とは戦いたくないと言っていたが、その通りになってしまった。日本列島は加熱気味、家電量販店のテレビの前は、ワアーっとかオウーっとか歓声が起こった。駅のホームで電車を待つ人や歩道を行き交う人の多くが、ワンセグ機能付きの携帯電話の画面に見入った。テレビの視聴率も記録的に上がった。私も仕事で、お客さんのお宅にお邪魔したときも、誰もテレビのスイッチを切ろうとしない。商談に入れないまま、テレビ観戦になってしまった。隣の家からも日本の活躍に歓声が漏れてきた。通り過ぎる車からも、実況放送が漏れ聞こえる。

最終的には日本が、1次ラウンド、2次ラウンドを通じて決勝戦までに韓国とは4度戦う羽目になり、決勝戦は5度目で、日本は韓国に勝って連覇を果たした。全試合数は9だったけれど、そのうち韓国とは3勝2敗だった。これも異例だ。

日本の勝因は、投手力に尽きる。9試合のチーム防御率は1.71、4強に入った韓国(3.00)、ベネズエラ(4.13)、米国(5.99)と比べても群を抜いている。原監督と山田投手コーチの考えは徹底いていた。先発は3本柱の松坂、ダルビッシュ、岩隈に任せ、中継ぎは調子の良かった杉内を起用した。藤川が不安定と見るや、最後はダルビッシュを抑えに回した。防御率は岩隈が1.35、ダルビッシュが2.08、松坂は2.45だった。杉内は5試合に投げ、1本の安打も許さなかった。

投手が安定していたことが最大の勝因だったことは、先に述べたが、野手もよく守りよく打った。

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(ダルビッシュ、岩隈)

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(内川)

決勝戦に出場した選手だけに限って、その名前だけを記しておこう。横浜の村田は韓国との2次ラウンドの1位決定戦で負傷、途中帰国した。急遽日本から呼び出されたのは、広島の栗原だった。

大リーガーの城島、岩村は流石(さすが)だった。 中島、青木、小笠原、内川、稲葉、川崎、素晴らしかった。イチローは決勝戦の決勝打を放ち、最後の最後で意地を見せてくれたが、それ以外のどの試合も不振だった。でも原監督は、1番イチローにこだわった。イチローはどうしても打てない心境を、心が折れそうだ、と表現した。               

(右) イチロー(マリナーズ)/(遊) 中島  (西武)/(中) 青木  (ヤクルト)    

(捕) 城島  (マリナーズ)/(一)小笠原  (巨人)/(左) 内川  (横浜)      

(指) 栗原  (広島)/打指 稲葉  (日本ハム)/(二)岩村   (レイズ)     

(三)片岡   (西武)/打  川崎   (ソフトバンク) 

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歴史(回)を重ねて、きっとこの大会が名前に恥じない立派なものに育っていくことを念じる。文字通り、ワールド・ベースボール・クラシックとして。

 

(試合の内容については、朝日新聞の20090325前後の記事を利用させていただいた。)

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20090325

朝日朝刊

大会育てる重責 日本にも

松元章

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アジア勢同士の優勝争い。チームとしての仕上がり具合や取り組み、さらにファンの盛り上がり。すべて日韓が群を抜いていた。やや複雑な思いがある。

米国との準決勝前日、米国人記者が原監督に聞いた。「ボストンのファンは、ダイスケがなぜこの試合に一生懸命なのか、理解できない」

2月5日、イチローと神戸市内で自主トレした松坂が、打撃投手を買って出た。米スポーツ専門局ESPNの関係者は「2月のはじめの段階で、お互い準備できていたのは驚き」と目を丸くした。

米国ではWBCをオープン戦の一つ、と考えている人がまだ多い。米国代表は大リーグ球団の意向に従い、起用法も制限されている。それが、野球の世界一決定戦を開くホスト国の現状だ。

米国は出場辞退が多数出たうえ、故障者も続出した。大リーグのオーナーは3月開催に対する批判を強めている。第3回以降、ますます大リーガーがこの大会を敬遠するのではという懸念がある。

改善すべき点は山積みだが、大会運営がメジャー主導である限り、解決は難しい。

日本の加藤コミッショナーは「今は招待されている立場だが、将来的には日本も資金を出し、共催の形も考えないといけない」と語る。

W杯サッカーも、創成期は様々な問題を抱えていたという。後世の野球ファンが、胸を張って「WBCの第1,2回王者は日本」と言える大会に育てるため、日本野球界の役割はより重く、大きくなった。

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20090326

朝日朝刊

社説

WBC アジア野球の新しい風

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イチローの決勝打の残像は、多くの人の目にまだ焼き付いているいるだろう。国・地域別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、延長にもつれた韓国との激戦の末、日本が第1回大会に続く王座についた。

「Behind every play,a nattion (一つひとつのプレーの背後には、国がある)」

野球を生んだ米国だけに、なるほどとうならされるキャッチコピーだ。

今大会を特徴づけるのはアジア野球の台頭だ。3年前の第1回大会でも日本が優勝、韓国は4強入りしたが、米国の報道の焦点は、もっぱら米代表のふがいなさにあてられていた。

今回は違う。日本や韓国の練習に、大リーグのスカウトやコメンテーターといった専門化が群がった。

「走者を進めるための打撃の練習に時間を割いている。恵まれた体にものをいわせて遠くへ飛ばすことしか考えていない米国選手と違って新鮮だ」「併殺を試みる内野手の位置どりが素晴らしい。練習そのものが芸術的だ」

前回と同様に有力選手の辞退はあったが、米国は大会前の強化試合を増やし、勝敗優先の選手起用を貫いた。それでも勝てない米代表への不満の裏返しであるといえ、一見非力な日本や韓国のしたたかな強さに注目せざるを得なかったということだろう。

強者や高額所得者が常に勝つわけではないと、野球で人生や社会を語ろうとしているようにも見えた。あるいは日本や韓国の自動車にしてやられたビッグ3の像を重ね合わせ、、経済危機からの脱出にあえぐ米国の姿をそこに見るのは深読みのしすぎだろうか。

日本選手の言葉をたどると、優勝の別の側面も見えてくる。

第1回大会に続いて最優秀選手となった松坂大輔投手は言った。「前回とは全く違う。今回は王者としてもう一度勝ちにいったのだから」。自らとチームが感じた重圧を語る言葉に、選手の意識の高さが映されている。

4番打者をはじめ、相手投手に合わせて次々に選手は入れ替わった。選手はいつ、どう使われるか常に考えざるをえない。戦術の新しさが感じられた。この采配も、選手の意識と技量の水準に支えられてこそだろう。

機動力を生かしたきめ細かい野球の日本。スピードと積極性で相手を狂わせていった韓国。5度の勝負を競い合った両国のプレーには、応援していた国民の性格と通じるものがある。

優勝候補の一角ドミニカ共和国を、マイナーリーグ程度の選手ばかりで倒したオランダの団結も鮮烈だった。世界の勢力図の変動は急だ。

次回は、米国ももっと本気でかかってくるだろう。本家と新興勢力の全力のぶつかり合いが、野球の魅力と可能性をさらに広げてくれるに違いない。

2009年4月5日日曜日

岡田ジャパン、無理苦理?のシュートを

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サッカーの10年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会、アジア最終予選A組の日本代表は28日、埼玉スタジアムでバーレーン代表に1-0で勝った。日本は勝ち点11とし、試合数が一つ少ない勝ち点10のオーストラリアを抜いて首位に立った。日本は後半2分、FKからの中村俊輔(セルティック)のシュートが相手チームの選手が飛び上がったところ、その頭に触れコースが変化してゴールした。日本はそのまま逃げ切った。

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そこで私が、このバーレーン戦で岡田ジャパンに思ったこと。

岡田ジャパンの全てのメンバーがいくつかの課題について意識を共有できつつあるのを感じる。岡田監督が言う、リスク管理についても認識が共有できている。リスク管理とは、リスクを冒さなくてはならないとき、リスクを抑えるとき、リスクを冒してはいけないとき、その時々においてチームとしてあるべき状況を管理することだ。このリスク管理の采配や度合いが、相手にどれだけプレッシャーをかけているかのバロメーターにもなる。今回の試合においては、守備は決定的なピンチに陥らなかったことからはマルだ、が攻撃においてはどうだったのだろうか、それはサンカク、物足りなかった。結果良しで、勝ったのだから、今回のゲームを通しては及第点だったと言えよう。バーレーンのマチャラ監督は、試合後のインタービューで、「強く、しかも集中している相手と戦わなければならなかった。プレッシャーがあった。日本はいい試合をしたと思う」とコメント。相手チームを讃える配慮のこもった発言だろうが、相手は日本のプレッシャーを感じていたのだ、私も同感だった。

日本チームは相手が強かろうが、落ち着いて球をさばく技術は相当高くなった。攻撃においての共有認識の第一番目は、ゴール前の攻撃において、相手バックスの裏で小さいパスを受ける形を武器としたことだ。

その二は、両翼からの大きなクロスではなく、勇気をもって中に持ち込んでの、短いクロスにピンポイントで合わせることだ。再三試みたものの、うまくはいかなかった。けれども、これも一つの形だ。小柄(小兵)ならではの、日本選手の器用さを活かしたやりかただ。このピンポイントで合わせるには、高度な技術が求められる。タイミング、場所、球質、正確性が求められる。運動量を多くして、層を厚くして対処すれば、シュートの可能性は拡がる。

その三は、相手攻撃の機先を早い目に制すること。相手攻撃の芽を早く摘み取ること。相手にボールが渡ったならば、ポジションにかかわらず近くにいる者は、がんがんボールを追っかける。相手陣営で、ボールを得たならば、それは一気に大きなチャンスに繋がる。

ここまでは、岡田ジャパンが全員に認識、共有させている行動原則の一,二,三だ。今後この形は、ますます精度を高めてもらいたいと思っている。

次に、私が物足りなさを感じたことを書こう。

岡田ジャパンには、シュート数が少な過ぎることだ。もっと思い切ってシュートを打つべきなのだ。私が尊敬してやまないセルジオ越後さんが、テレビ解説で再三言っていたのですが、ペナルティエリアの周辺で、フリーキック権を得たならば、必ずシュートを打つでしょう、だからこの辺りでは、もっとシュートを打たなくてはいかんのですよ。

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シュートチャンスに、選手はできるだけ確実なシュートを打ちたがる。当然だ。好い体勢で打つためには、ワンタッチして、ボールをある程度コントロールしてから、打ちたがる。守る方だって必死だ。好い体勢でなんか絶対打たしてはくれない。そして精度の高さが求められる。神の手・マラゾーナや黒い真珠・ペレーならともかく、簡単にはスーパーシュートは無理だ。

ペナルティ・エリアから遠いならば、ワンタッチもやむを得ないが、ペナルティ・エリア付近からは、ダイレクトでどんなボールに対してもシュートを試みることだ。私は以前に、マラゾーナの追っかけ写真家の書いた本で知ったのです、マラゾーナのシュート練習のこと。ゴールを背にしたマラゾーナに対して、数人が色んな角度からドンドン変化に富んだボールを蹴り出し、それをなんとか直接、ワンタッチなしのシュート練習を繰り返す。そんな光景の紹介が記憶に蘇った。日本は、美しくシュートしてゴールを得る、そんなイメージから早く抜け出して、失敗しても失敗しても狂ったようにシュートを打ってもらいたいものだ。無理してでも、シュートを打つことからチャンスは生まれるのだ。その放たれたシュートがゴール・ネットを揺さぶればハッピーだし、入らなくても放されたボールはその瞬間にニュートラルな状態になる。こぼれ球(ダマ)だ。ボールがコート外に出なければ、攻撃陣にとってはラッキー続きだし、守備陣にとっては、不幸続きになる。そのボールを我が物にできれば、ゴールに繋がるってなもんだ。いくら工夫してもダイレクトで打てないときは、この時こそ味方にパスするしかない。この千載一遇(ちょっと大げさ過ぎるかな)のチャンスを見計らって、攻撃の層を厚くすることだ。この感覚が読み取れないようでは、いつまでも得点不足から、抜け出せない。

ヘッデイングのゴールの確立が高いのは、目の近くの額にボールを当てるので確実にコースを選べることと、一発で放されるので、変化が大きく、防御する側からはボールの進むコースがよみにくいからだ。防御する側の逆のコースを攻めることができたときは、その効果は抜群だ。この理屈は、「ワンタッチなしでシュートしろ」、にも通じることだ。

中盤やその後ろのエリアではワンタッチが許され、そのエリアを担当する者のなかからは、優秀な選手を輩出できた。中田英寿や中村俊輔が代表的だ。だが、ワンタッチも許されないトップを任せられる選手は、日本ではどの選手も団栗(どんぐり)の背比べで、スーパースターが生まれていない。そろそろ日本にも、花形、スーパーシューターが待ち望まれる。

以上が、私が岡田ジャパンに捧げる、応援メッセージだ。

上の文章をまとめて誤字がないように確認してから投稿しようと思っていたら、暫く時間が経ってしまった。そうしているうちに下のような新聞記事が出た。シュートに対する私の考えと、俊輔の考え方が同一だった。よかった。

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20090405

朝日朝刊・スポーツ

2010年W杯 南ア大会へ

言葉の重み 俊輔自覚

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3月22日のW杯アジア最終予選・バーレーン戦の後も、大きな人垣ができていた。

「縦パスが多かったから、斜めに出すとか、そういう工夫の余地はあった。それはハーフタイムに話し合った」

「自分が入れたから言うわけじゃないけれど、得点は大きいね。点が入るとバーレーンの動きが止まった。焦って蹴り始めた。つくづく得点の影響は大きいと思った」

「ウッチー(内川)のシュートとか(田中)達也のシュートとか、シュートそのものの精度という問題もあるけれど、もう一人FWがゴール前に入っていれば外れたシュートを拾ってゴールという可能性もある」

選手と記者が直接話せるミックスゾーンで、中村俊輔(セルティック)の前に多くの報道陣が集まるのは、スター選手だからという理由だけではなく、的確な解説が聞けるからでもある。

「日本代表が今どういうことに取り組んでいるかをできるだけ分かってもらいたい。だからミックスゾーンで一生懸命しゃべる」と言っていたのは、バーレーン戦の日本代表24人が発表された3月19日。グラスゴー(英)の自宅近くで話を聞いた時だ。

「年齢(30歳)もキャップ数も一番上の方になってきた。自分の話したことは新聞にも載りやすい。発言力とか影響力は考える」

そう話す中村の視線の先に、所属事務所でメデイア対応をする八木繁さんが座っていた。有名タレントにも助言し、自身の著書「察知力」の編集作業にもかかわった「プロ」を意識しながら中村は言葉を選ぶ。上から見た発言になっていないか。他人に思わぬ迷惑をかけないか。多様な受け手に真意がきちんと伝わるか。八木さんがチェックするポイントがいくつかある。

「ジーコ監督の時もトルシエ監督の時も、自分がいいプレーをしてチームに貢献するという考え方だった。気にしていたのは自分のシュートとスルーパス、直接絡むFWとMFぐらい。今は自分がいいプレーできなくてもチームが勝てばいい。僕は右MFだけれど一番遠い左DFまで気になる。左DFの動きがちょっと変われば、僕には関係なくてもチームに関係してくる。

考え方の変化は、年齢を重ねたということもあるが、イタリアでの苦労や欧州チャンピオンリーグでの経験から、「これだ」というものをつかめたことが大きく影響しているという。

日本代表の現状を分析し、課題、目標、夢について語りながら「どうしても上から言うみたいになっちゃうけれど、チームを強くしたい。勝ちたいっていう気持ちだけだから」と加えた中村。八木さんは笑って見ていた。