朝日新聞の「惜別」に、島尾ミホさんの訃報とミホさんの人柄を紹介している記事を見つけた。島尾ミホさんと言ったって、私はミホさんのことは知らなかった。 が、島尾敏雄さんの最愛の妻で、私をがっつうんと打ちのめした「死の棘」のヒロイン?としてのミホさんだけしか知りませんでした。彼女が作家だったということも、知らなかった。
15年程前、友人に、映画「死の棘」を観に連れて行ってもらった。強烈なショックを受けました。
それから、友人は本「死の棘」を貸してくれました。またまた、強烈なショックを受けました。
ミホさんの訃報を知って、連想が、島尾敏雄に、「死の棘」につながって、強い感銘を受けたことが蘇り、みなさんも読まれてはいかがかな?と思いついたので、キーボードを叩き出したのです。
昭和20年代の末。
夫で作家の敏雄の不倫が原因で、妻・ミホが狂った。狂って、狂って、狂う。
敏雄は、責められる。夜、昼おかまいなしに、来る日も来る日も、責められる。ミホは、心因性神経症だった。少し穏やかになったからと、一息はつけない。間もなく、以前よりも激しく、狂ったミホが、敏雄さんを責める。
ここで、私は実感する。私の筆力では、「死の棘」について、書く資格はない。
割と世間ではよくある話のようにしか表現できない。でも、この夫婦は、特別なのです。そのすさまじさは、本を読んでもらわないと、どうにもならん。
敏雄は、その全てを日記に書き込む。そしてそれは、後日「死の棘 日記」として05年に刊行された。私は、まだ読んではいない。
この至上の苦しみを、せめて日記に書き込むことで、島尾は精神の安定の維持を図ろうとしたのか、その日記を検証したいと思っている。
演劇「死の棘」を演出した鐘下辰男氏の「上演にあたって」では~
妻の異常さのみが語られることが多いが、しかしこの夫婦が通常の夫婦と決定的に違うのは、妻の狂気に徹底的に行動を共にする敏雄の異常さにもある。
それは、最終的に精神病院へと入院する妻に、この夫は子供を親戚に預け、自らもその精神病院へ妻の付添い人として入院するのに現れている。
この夫婦の、こうした特異性は、夫が経験した戦争体験=特攻隊であり、そうした異常な時間の中で出会ったという出来事が影響していると思われる。
小説家・島尾敏雄氏が本来もっている人生観、世界観や、奄美という古来の日本の民族性を色濃く残している土地に育った妻ミホというこの二人が持っている特異性も重要に関与しているのではないだろうか。
映画「死の棘」
原作・島尾敏雄
監督・小栗康平
出演・松坂慶子 岸部一徳 平田 満
1990年度作品 同年カンヌ映画祭で「グランプリ・カンヌ」(国際批評家連盟賞)をダブル受賞、その他数々の賞を獲得した。松坂は終始ノーメイクで、話題になった。
2007年4月13日 朝日 朝刊
「惜別」よりダイジェスト 編集委員・白石明彦
2007年3月25日 作家 島尾ミホさんがなくなった。享年87歳
昨年「新潮」に「御跡慕いて」を発表した。敗戦の年の秋、復員した島尾(夫 島尾敏雄のこと)を追い、特攻艇を操縦して島を脱出しようとした話だ。《生きて島尾隊長さまにお目にかかりたい》戦後61年を隔てながら、若い恋の熱気が伝わってきた。
著書「海辺の生と死」「祭りの裏」には太古の自然と民族が残る南島での幼児体験が描かれている。その語り口に島尾は《対象をどこまでも見つめて厭くことのないひたむきな目なざし》を感じた。それは夫を語る時のまなざしでもあった。
神経に異常をきたした妻との極限の愛が描かれた島尾の代表作「死の棘」の元になる日記を刊行したのが05年。あの壮絶な記録を「島尾の愛妻日記」と呼ぶミホさんにまた身震いした覚えがある。本のゲラをファクスで送り終えたときは、島尾が横で正座しているのを幻視したという。
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