ゴールデンウィーク前に、ふと立ち寄った古本屋さんの店頭の棚で、売っていた1冊100円の本を、吟味しないで5冊買った。その中の1冊は、全学連から全共闘、連合赤軍、連合赤軍の山岳拠点での軍としての活動と総括、その果てのあさま山荘事件までを、裁判に関係した書類をもとにした立松和平のノンフィクッション小説「光の雨」だった。同時期に若松孝二監督による「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が上映されていていたのを、運よく観賞した。
もう1冊は飯島 愛さんの「プラトニック・セックス」だ。朝の目覚めに、布団の中で3日程で読み終えた。飯島さんの実生活が赤裸々に述懐されていて、娘3人育てたオヤジは、娘の子育てについて、今になって、遅ればせながら勉強させていただいた。飯島さん、がんばれ。
吉本ばなな氏の「白河夜船」も、なかなか楽しかった。女性ならではのお話ばかりで一つひとつの話が興味深かった。
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4冊目は、辻 仁成さんの「冷静と情熱のあいだ」だ。作家・辻 仁成、今まで彼の本を一度も読んだことはない。辻さんは、きっと気障な人に違いないと、先入観があって本能的に、近寄りたがらなかったのだろう。百円だったから、辻さんの本を手にしました、なんて言ったら、烈火のごとく怒られるだろうな。
ところが、あに図「はか」らんや、面白いのです。この小説は男と女の愛のドラマなのですが、その恋愛劇が面白いのではなく、私の目下の興味は主人公の職業から、「最後の晩餐」が創作されて、その後、現在に至るまでの受難と修復作業だった。
男と女、男の昔の女と今の女、修道院と教会と名画、父母の代わりに男を育てた絵描きの祖父、子育てを放棄した女の父親、イタリアのミラノと日本の東京、修復士が繰り広げる恋愛と肉親の愛のドラマなのですが、主人公がイタリヤの工房で修復士として活躍しながら、ドラマは進んでいくのです。目の前の女を抱きながら、昔の女を思い出したり、先生に熱い視線を向けられたり、元気な絵描きの祖父が突然イタリアに現れたり、物語にいろいろ要素が込められていく。
作家には大変失礼なのですが、文芸作品を文学としてよりも、私を、私の未知の世界へ誘「いざな」ってくれることに、面白味を感じるのです。かって味わったことのない感性、見たことのない事物と事象、夢とロマン、見知らぬ町と歴史、新しい思想、奇抜なアイデア、そんなことに目から鱗「ウロコ」が、私は楽しいのです。
それが、私が本を読む醍醐味なのです。文学? 「学」とつくと、私は急にシュンとなるのです。
ここで、本の内容や感想について、どうのこうのと、述べる心算はありません。
愛のドラマは、筋書き通りに、作家の思うまま進んでいくのです。
この稿の最初の方で触れたのですが、この本で私の興味を引いた「目からウロコ」は、名画は、修復士という職人がいて、何度も何度も修復して、できるだけ創作時に近い状態に、保存、維持されていることだった。
名画の修復のことです。
そりゃ、そういう仕事もあるだろうな、とは思ったのですが、私がことさら関心を持ったのは、その中でも、とりわけ、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」のことだった。あの超有名な「最後の晩餐」の、受難と修復の歴史のことです。
小説の中では、このように書かれている。
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「小説の一部」より~
見事な透視図法による、中世の景色が横たわっていた。このルネッサンス期に発明された描法はまさにこの絵のためにできたものだ、と一人勝手に確信し、レオナルド・ダ・ビンチの才能に今更ながら大きな溜息をつかずにはおれなかった。
絵画の両側には、第二次大戦後から今もって続けられているという修復作業用の櫓「やぐら」がくまれていた。
「なんか、教科書で見て知っていたあの最後の晩餐とは随分違うのね」
僕に追いついた芽実がそう零した。確かに素人が見るとそういう印象は否めないのだろう。絵の色味は落ち、まるで消えかかった水彩画のようなものだからだ。
しかし、これは僕にとっては魔法のような出来事だった。ダ・ビンチが当時この絵に使用した絵の具はテンペラ・フォルテと呼ばれる一種の油彩で、当時としては画期的な新手法だったが、これは絵の保存に関しては全く不向きなもので、すでにダ・ビンチが生きていた頃から画面の剥落が始まっていた。
加えて十七世紀には、絵の中央部を切除して台所へ通じる扉ができ、フランス占領下の1800年にはこの食堂がフランス軍の、なんと糧秣置き場に使われていたというのだ。しかも第二次世界大戦中には建物自体が爆撃にあっている。ーーー「小説はここまで」
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じゃ、その「最後の晩餐」を、創作時から今に至るまでの保存の歴史を、修復を含めてインターネットで調べてみた。まさしく、「目にウロコ」だった。インターネットは、我々に知識を与えてくれる。
ここで私の読書は、休憩した。今、ここで大事なことは、愛の物語、決して男と女の問題ではない。きちんと、この「修復士」と「最後の晩餐」を調べ上げることだ。その作業を終えないと、物語を読み続けるわけには、どうしてもいかないのだ。
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以下は、インターネットからの転載です。
レオナルド・ダ・ビンチは、彼のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた。これは、キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネの福音書より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。
絵はミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グランツィエ修道院の食堂の壁画として描かれた。
420*910cmの巨大なものである。
1495年から制作にとりかかり1498年に完成。数少ない完成した作品の一つであるが、最も損傷の激しい絵画として知られている。テンペラ画の技法で描いた。テンペラは、卵、ニカワ、植物性油などを溶剤として顔料を溶き、キャンバスや木の板などに描く技法であるが、温度や湿度の変化に弱いため、壁画には向いていなかった。
また、レオナルドは壁面からの湿度などによる浸食を防ぐために、乾いた漆喰の上に薄い膜を作りその上に絵を描いた。しかし、この方法も湿度の高い気候も手伝い、激しい浸食と損傷を受ける結果になった。
「最後の晩餐 (1948) 壁画、テンペラ420*910cm」
描かれた当時からこの部屋は食堂として利用され、食べ物の湿気、湯気などが始めにこの絵を浸食する原因になった。
16世紀から19世紀にかけて損傷や剥離部分の修復および剥離部分の書き足しが行われた。修復者のレベルにばらつきがあって、あまり良い結果を生んでいない。
17世紀には、絵の下部中央部分に食堂と台所の間を出入りするための扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。
17世紀末には、ナポレオンの時代、食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。この間、ミラノは2度大洪水に見舞われ、壁画全体が水浸しになった。
1943年8月、ファシスト政権ムッソリーニに対抗したアメリカ軍がミラノを空爆し、スカラ座を含むミラノ全体の約43%の建造物が全壊する。その際にこの食堂に向かって右側の屋根が半壊するなど破壊されたが、壁画のある壁は爆撃を案じた修道士たちの要請で土嚢と組まれた足場で保護されたが、この期間激しく損傷を受けた。
保存上の悪条件に加え、過去の修復が逆に剥離を進ませてしまったり、元々無かったものが書き足されるなどしたため、レオナルドが描いた絵がどの程度残っているのか20世紀後半まで不明であった。
1977年から1999年5月28日にかけて大規模な修復作業が行われた。これは、ミラノ芸術財、歴史財保存監督局によるもので、修復作業は修復家のピニン・ブランビッラが一人で20年以上の歳月をかけて行った。
この修復は洗浄作業のみで、表面に付着した汚れなどの除去と、レオナルドの時代以降に行われた修復による顔料の除去が行われた。その結果、後世の修復家の加筆は取り除かれ、レオナルドのオリジナルの線と色彩が蘇ったが、オリジナルが全く残っていない箇所もかなりある。ーーーーーーーーーーーーー「インターネット情報はここまで」
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制作当時に奇跡の絵画と呼ばれたが、以上のような経緯から、現在では存在自体が奇跡的だと言われている。
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ーー「再び小説の内容に戻る。」
成城大学時代、恋人のあおいの22歳の誕生日を祝った時までは、幸せだった。この22歳の誕生日に、2000年の5月25日のあおいの30歳の誕生日に、フィレンチェのドゥオモのクーポラで、会えたらいいなあと、あおいに言われた。
二人にとって、幸せな時間が永遠に続くはずだったのに。主人公の修復士の父が、恋人との間にできた子供を脅迫まがいに堕胎させ、二人を別れさせたのである。
不幸な別れをした後幾年経っても、その2000年5月25日のことが、主人公の頭から抜けない。そうこうしているうちに、イタリアでは新しい彼女ができ、職場では修復の依頼を受けた名画を誰かが切り裂いた事件が起こり、東京では祖父を取り巻く肉親の愛憎が繰り広げられた。イタリアでの修復工房の閉鎖にともないその職場を離れた。今の女とも別れた。今後、何をどうやっていけばいいのか、悩んだあげく、東京に戻る。
頭からは、どうしても、2000年5月25日が消えない。
まさか、彼女には会えそうもないが、再びイタリアへ、フィレンチェのドゥオモに向かった。
小説だから、面白くなくてはイカンのだ。
会えそうもないと思っていたあおいが、やってきたのだ。変だと思ってはイケンのだ。小説なんだ。久しぶりに会った二人は3日間、愛し続けた。何をした?か、愛した?は、賢明な読者はそんなことに拘らないでさらりと、読み過ごすことだ。愛し合った後、帰りの駅まで送ってくれた主人公の修復士を、その場に残して、恋人の元に戻った。あおいは背を向け、一度も振り返らなかった。
主人公の修復士は、彼女の冷静と情熱の間で、浮雲のようにぼんやりと、駅の周辺を漂うのである。
小説の内容は、こんなものだ。
私には、男と女の愛のドラマをきちんと理解できないのです。
映画を観終わって、一緒に見た女性と私には、内容において随分感性にズレがあると思ったことはしばしばです。だから、この小説についても私には感想を述べる資格はないのです。
この本の本意である男女の恋愛問題ではなく、調べた「最後の晩餐」の歴史を纏めておきたかったのです。作者にとって、我輩はどこまでも嫌な読者だ。
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