2009年6月21日日曜日

日本、4大会連続W杯出場

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日本代表は、サッカーの10年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の出場を決めた。6日、日本時間23時から、日本はアウェーで、ウズウベキスタン(タシケント)と戦った。前半9分、中村憲剛(川崎)からのパスを、岡崎慎二(清水)が前線裏で相手DFと競りながら受けて2,3歩のドリブルの後放ったシュートをGKがはじき、スピードに乗ったままゴールに向かった岡崎は、そのボールを頭で押し入れた。走っている岡崎の丁度目の前にボールは転がってきた。神様がいたのだと、テレビ解説者は言っていたけれども、これは完全に岡崎の技ありのプレーだった。このようなシュートこそ、日本代表が目指していたものだったからだ。収穫は大きい。

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この試合に先立って、東京・国立競技場で、5月の27日にはチリー(世界ランク26位)と、30日にはベルギー(同62位)の3国で争うキリンカップが行われた。試合の結果は両試合とも日本の楽勝だった。相手の両チームは、主力の選手を欠いたいわば二軍チームだった。ここで、私は心配したのです。興業的にも止むを得ないのかもしれないが、公式のなにがなんでも勝たねばならない試合を前に、このような試合を行うことによって、いいこと、悪いことが起こり得るからです。「勝って兜の緒を締める」ことができるか、負けて日本の戦術を見失ったり、指針を狂わせないか、と。

私の尊敬するセルジオ越後さんが、何かで言っていたことを思い出したのです。強いチームに最後まで食らい突いていって、負けるのがいいのですよ、そうすれば自チームの弱点がはっきりと解るからです。これこそが、本当の勉強になるのです。そのことについて、さすが岡田監督は理解していた。予選を通過した直後に、「このままではいい」とは思えない。「強豪と試合をして差を実感したい」と言っていた。これこそが進化の証(あかし)なのだ。アジア予選の最終戦のオーストラリアとの試合で、先取したものの守りきれなかった。この試合こそ、いい勉強になった。無理して無理して、そして無理しないと、勝たせてはくれないことを。

W杯南アフリカ大会(首都・ヨハネスブルグ)は32チームが参加し、来年6月11日から7月11日まで開かれる。今年12月にケープタウンで1次リーグの組み合わせ抽選会が行われる。

岡田監督のコンセプト(作戦)が確かなものになろうとしている。そのコンセプトは簡潔で、練習であきれるほど繰り返されてきた。当たり前の積み重ねだ。「欧州や南米と同じサッカーをやっていても勝ち目はない。バレーの回転レシーブや一人時間差攻撃のようなものを生み出す発想も必要かもしれない」とも語っている。就任早々は「接近・展開・連続」を強調した。豊富な運動量、俊敏性と機動力、細かい技術が必要不可欠だ。速い好守の切り替えで接近してボールを奪い、高速パスを相手の鼻先で展開する。その攻撃の手綱を緩めない。

その具体的な戦術の一つひとつを確認しておこう。でも、一番チームに刺激を与えるのは、岡田監督のコンセプトをよく理解したニュー・フェイスの出現だ。このニュー・フェイスの1人、2人、3人の出現こそチームを一段と高いステージに登れることを可能にする。このことを切に願う。まだ、本大会までには、まだ1年あるのですから。

*前線に大久保嘉人(ウォルフスブルク)や玉田圭司(名古屋)ら小兵でテクニシャン、スピードのある選手を据えた。日本の俊敏性をいかした。田中達也(浦和)、山田直輝(浦和)や岡崎慎二も加わった。相手防御の裏をつく。相手ゴールの近いエリアまでボールを運び、そこで豪快なシュートをするのではなく狭いチャンスコースを、速いスピードで作り出す。そのボールに対して数的有利な状況を作り出すこと。

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*ボールを奪われたときには、奪われた場所に近いところでボールを奪い返すか、追いかけて相手攻撃のスピードを抑える。高い位置でボールを奪えれば、その効果は抜群だ。奪ったボールは、すぐに攻撃の起点にする。長谷部誠(ウォルフブルク)や遠藤保仁(大阪)、中村俊輔(セルティック)は、全体の攻守の動きを把握する。遠藤に全体の統制を委ねることで、中村俊は自由に動き廻れる。そして中村俊が相手を振りほどいたときに、遠藤からすうっとパスを出す。この二人の独特のポジションを変えての、動きとパス出しがチャンスを生む。そして、ここに中村憲がニューパサーとして新味を加える。

*自陣ペナルティーエリア内での防御については、MFがいち早く戻って、数的有利を作って布陣を整えて跳ね返す。中央は中澤祐二(マリノス)や田中マルクス闘莉王(浦和)が絶壁を作る。中澤は、高さ、強さ、横や後、コミュニケーションと緊張のなかでの勇気をもったプレーで味方の戦意を鼓舞する。守備の全体をコントロールする。長友祐都(東京)や内田篤人(鹿島)は、遠藤や中村俊を飛び越えて、何度も左右サイドを行き来し、コースを変える。体を張って、守って、攻撃だ。中澤と闘莉王は中央の高い部分を完全に抑えなくてなならない。もう一人、二人の高い防御や強いデフェンスに耐えられる選手の出現が望まれる。タフな試合になると、必ず怪我人がでる。そのための強いデフェンスのできる補充要員の確保だ。

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*キーパーはゴールから離れる時には必ず、ボールに触ることだ。キャッチできればいいが、キャッチできないときはパンチをできるだけ大きくする。キーパーが選手の体が邪魔になってボールにアタックできていない、そのときこそ最大のピンチだ。コーナーキックからの失点はこのケースが一番多い。キーパーの後ろからの指示の徹底。楢崎正剛(名古屋)や川口能活(磐田)、その次のキーパーの育成が求められる。

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*中澤は岡田監督の広報役をこなしている。中村俊は、チームメイト一人ひとりに助言や確認をして、コミュニケーションを図っている。

 

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朝日新聞・社説

日本の「色」が見えてきた

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敵地という重圧をはね返した。サッカーの日本代表がウズベキスタンを破り、南アフリカで来年開かれるワールドカップ(W杯)への出場を決めた。

厳しい試合だったが、選手たちはひるまなかった。ヘディングで押し込んだ岡崎のゴールには、W杯への執念を感じた人が多かっただろう。08年のフランス大会以来、4大会連続4度目の大舞台だ。来年6月11日の開幕が待ち遠しい。

一昨年、オシム前監督が病に倒れ、岡田監督に白羽の矢が立った。含蓄のある言葉で選手を引っ張った名将の後任である。楽ではなかったろう。

岡田氏が98年、W杯初出場のフランス大会で指揮をとったときは3戦全敗だった。守りを固め、逆襲をねらうしかなかった。02年日韓大会は、トルシエ監督のシステムを重視した考え方が功を奏し16強入り。日本中が熱狂した。だが06年ドイツ大会は、自主性を重んじるジーコ監督の方針を選手が消化しきれないまま1分2敗に終わった。

初の代表監督から10年余り。岡田氏は自らの哲学を選手に浸透させ、過去にないスタイルで代表を率いている。

それは日本人らしい機敏なサッカーだ。小回りが利き、球さばきにたけるという特性を生かし、よりゴールに近づき、パスに多くの人間がからんで好機をつくる。バランスよく人を配する定石を捨てた。大胆な戦術だ。

強国のまねを戒めたオシム氏の「日本代表の日本化」という言葉を、岡田流で実践したともいえる。ウズベキスタン戦でも、目指すサッカーが確かに見えた。

日本のサッカーは93年にJリーグが始まったのを機に、爆発的に人気が高まった。それも90年代後半にはいったん静まり、観客の伸びは鈍化した。

だが、98年のW杯初出場で流れが変わった。日韓W杯の盛り上がりを経て昨年、リーグ国内公式戦の総入場者数は初めて900万人の大台に乗った。

10チームでスタートを切ったJリーグは年々加盟クラブ数が増えた。99年から下部のJ2もスタートし、今年は最多となる計36チームに達した。地域に根ざしたすそ野の広がりが、頂点を高めることにもつながりつつある。

スペインの守備より攻撃を重視したスタイル、イタリアの守りの堅実さーーー。サッカーには、国の「らしさ」が如実に出る。過去のW杯での日本代表は、その「色」が希薄だった。

今回は、海外の模倣ではない「ジャパン・オリジナル」の形が、予選を戦う中で徐々に固まってきた。「目標はW杯本大会でベスト4.世界をあっと驚かせたい」というのが岡田監督の思いだ。

本大会まで1年。日本代表が自らを研ぎ澄ませていく姿を見守りつつ、アフリカ大陸初の祭典を待ちたい。

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写真は全て朝日新聞の紙面から拝借させて頂きました

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