今季200安打目、一塁へ走るイチロー
マリナーズのイチロー(本名・鈴木一朗)が、13日レンジャーズ戦で、大リーグ史上初となる9年連続シーズン200本安打を達成した。15日の朝刊、この偉業を伝える記事が多くの紙面を占めている。朝日新聞では、イチローが広告塔になっている企業も、祝いを兼ねた広告を一斉に出稿した。祝賀ムードで溢れている。記事と広告を合わせると、全6ページ分になりそうだ。
日本で言えば明治時代に活躍したウィリー・キーラーの記録を108年ぶりに更新。04年にマークした史上最多の262安打ももちろん価値があるが、今回は記録を1年1年積み重ねた重みがある。
やはりスポーツに滅法五月蝿い(うるさい)私にとって、この偉業は私のファイルにしまいたい。20090915の朝日新聞から、ランダムに記事を転載させていただいた。なかでも、チームメイトの城島捕手が、「イチさん」のことを語っている一般には知られざる部分の話は、興味深く読ませていただいた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
090915
社説
9年200安打/孤高の打者が歴史を刻む
ーーーーーーー
歓声に応える
記録達成の一打は、彼らしい内野安打だった。シアトル・マリナーズのイチロー選手がまた前人未踏の地に立った。大リーグ初の9年連続200安打。とてつもない快挙をたたえたい。
ウィリー・キーラーが1901年に記録した8年連続を抜いた。108年ぶりの歴史の塗り替えである。
そもそも年間200安打の達成さえ大変なことだ。通算で最多はピート・ローズの10回。ただ4256安打の記録を残す稀代の打者にして、200安打の連続は3年が限界だった。
今季、出血性胃潰瘍で開幕から8試合を欠場した影響は小さくなかった。残る154試合で昨年並みの1試合平均1,314本を打ったとすると、ぎりぎりの202安打にしかならない。
だが戦列に戻ると、自己新記録の27試合連続を含め安打を量産した。先月下旬から8試合を休んだが、先週には大リーグ通算2千安打も達成した。
「チェーシング・ヒストリー」。大リーグの公式ホームページは今回の記録挑戦を、こう表現した。イチローは「メジャーの歴史を追い、光を当てる男」というわけだ。
1年目の01年、242安打を放ち、ジョー・ジャクソンが作った新人最多安打記録を90年ぶりに塗り替えた。04年には262安打し、1920年にジョージ・シスラーが残した年間最多257安打を84年ぶりに更新した。そして今回の、世紀を超えた偉業だ。
細い体でこつこつ安打を重ねる姿は最初、「蚊のようだ」と揶揄された。「走りながら打つ」と言われる打撃も批判にさらされたが、自らのスタイルを貫き通した。孤高の打者であある。
俊足で常に敵の内野をかき乱す。正確無比な守備と強肩。本塁打に象徴されるパワー全盛の大リーグにあって野球本来の「スピード」の魅力を再認識させた功績は大きい。
近年、大リーグは筋肉増強系の薬物に手を染める選手が相次いだ。そんな中、不断の鍛錬と節制で肉体を維持し続けるイチローのプロ意識は、米国でも敬意の的だ。9年連続で球宴に選ばれていることはその証である。
キーラーの現役時代、大リーグは白人の社会だった。第2次大戦後、黒人も次第に増えたが、ベーブ・ルースの本塁打記録を黒人のハンク・アーロンが74年に超える直前には、白人至上主義者からの嫌がらせや脅迫もあった。
時は流れ、中南米、アジアとメジャーを彩る選手は世界に広がる。多様化を象徴する一人がイチローである。
次に見据えるのは27人しか達成していない通算3千安打だろう。ジョー・ディマジオが41年に残した56試合連続安打の更新を望む声もある。
歴史を追ってきたイチローは、すでに自らが歴史となりつつある。新たに刻む道を、これからも見守りたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
天声人語
その一打以上に、当人の感想が待ち遠しかった。「解放されましたね。人の記録との戦いにピリオドを打てた」。重圧をしのばせるコメントに少しほっとした。
雨空のテキサスで、イチロー選手が9年連続200安打の大リーグ記録を残した。8年連続で並んでいたのは明治時代の選手である。三つの世紀にまたがるベースボールの歴史を、細身の日本人が何度も塗り替え、彼ならではの語録が「正史」として刻まれていく。
古いファンは「ベーブ・ルース以前」を思い起こすという。腕力よりバットを操る技術、スピード、そして頭を競う野球だ。ボテボテの内野ゴロがクロスプレーになる。歴史的な安打は、3バウンド目をすくい上げた遊撃手が送球をあきらめた。
打率より安打数にこだわる。3割を守ろうとすればつらい打席も、ヒットを1本増やしたいと思えば楽しめると。「楽しみ」を重ねての200本ながら、毎年となると大きなケガや不調は許されない。例えれば、編み物しながらの綱渡り。そんな苦行を思う。
「僕は天才ではありません。なぜなら自分がどうしてヒットを打てるか説明できるからです」「驚かれているならまだまだ、おどろかれないようになりたい」。刻まれた言葉の数々は近寄りがたくもある。
50歳で惜しまれながら辞めるのが夢、と聞いた。足と目が許す限り、このまま前だけ見て進むのだろう。なにしろ「現役のうちは過去を懐かしんではいけません」という至言の主だ。「よし、私も」とは思わない。あやかる気がなえるほどの高みである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チームメイトの城島捕手の(談)
自分を客観視する強み
ーーーーーーーーーーー
ベンチで戦況を見つめる城島とイチロー
イチさんは決して天才ではない。本当の天才は、自分のパフォーマンスを説明できないでしょ。でも、イチさんは自分のプレーをこと細かく語れる。努力している過程を含め、一から十まで理詰めで話せる。人に話すのが面倒くさいから、イチさんも「もう天才でいいよ」と思っているんじゃないかな。
僕がイチさんのすごさを考えるとき、打撃技術は最後の方になる。本当にすごいのは、試合への取り組み方。200安打は驚異的な数字だが、それ以上に素晴らしいのは、毎年600打席以上も立っていること。
寒いシアトルを本拠にしながら、9年間、故障者リスト入りするような大きなけががない。もう30代半ばでしょ。僕が1年目から感動しているのは、徹底されていること。まずそれがあるから200安打につながる、と思っている。
例えば、本拠のクラブハウスのイチさんの椅子はどこにでもある普通のパイプイス。僕らはフカフカのソファなんだけどね。イチさんいわく、「フカフカのソファに長く座っていると、腰に負担がかかる」。試合前にはパイプイスの座る部分に、ホットパックを敷いて体を温めている。
本拠のクラブハウスからグラウンドに通じる通路にも、イチさん流のこだわりがある。階段とスロープがあるが、イチさんは必ずスロープで上り下りする。僕が見てきたこの4年間、その行動はかわらない。階段は足を滑らせる可能性があるんですって。スパイクを履いていれば、捻挫するかもしれない。下手したら、それ以上の大けがもある。
年間200安打を打ち続ける重圧は、年々苦しくなっているはずなのに、そう見せないのがイチさんの美学。「感心を表に出すと損しかしない」と、イチさんは言っている。自分をコントロールできる範囲で野球をやるから、悲しみも喜びも出ない。精神的にマイナスなこともやらない。だから、三振しても凡退しても、堂々と胸を張ってベンチに帰ってくる。
ヒットへの考え方は超越している。いい打球を打った後、僕ら普通の打者は「落ちろ!」と思う。でも、その打球が野手に捕られたときは、ショックが大きいじゃないですか。
イチさんは打った後、「捕れ!」と意識している。打った後の出来事は、自分で制御できないというのが理由。アウトになると思った打球が、野手の間を抜けると、精神的にプラスになるのですって。その考え方は理解できるけど、真剣勝負の場で、そう思える選手はいないですよ。
イチさんはホームランを打ってベンチに戻ってくると、「ジョー、オレの背中うれしそうだった?」と聞いてくる。僕が「うれしそうでしたよ」と答えると、イチさんは「オレもまだまだ、だな」と苦笑いする。うれしそうに走るとか、体から感情がにじみ出るなんて、あの人の中ではダメなこと。そこまで追究して野球をやっていることに尊敬する。
誰よりも「イチロー」という野球選手を客観的に見ているのが、鈴木一朗という人物だと思う。そのうち自分のことを、「彼」なんて言い出しそうな雰囲気がある。プレーだけでなく、精神面とか体調面とか、自分のことを冷静に分析できるところが、イチさんの最大の強みだと思う。
--------------------------------------------------------------------------
9月15、16日の新聞から拾った、イチローのコメント
笑顔でワカマツ監督と言葉を交わす
*解放されましたね。人との戦い、争いに一応終わりを迎えることができた。(200安打を)達成することで解放されたことが僕にとってうれしい。
*達成していく過程が面白かった。200安打に到達すると、いろんなものが消えてしまうので、それを実感できる時間があったのでよかった。
*来季以降も目標だと思うが、ずいぶん気楽になるんじゃないですか。(新記録を達成し)ちょっと楽になる。(今後は)自分と向き合っていればいいんだもん。それは最高ですよ。
*時々崩れる人間性を磨いていきたいですね。
*僕はナンバーワンになりたい人。この世界で生きているからには、オンリーワンでいいなんて甘いこと言う奴が大嫌い。
*失敗を重ねないと(安打)は生まれない。それが打撃。それで、奥深くなっていったらいいと思う。
*小さいことを重ねることがとんでもないところに行くただ一つの道だと感じている。
*ドキドキ、ワクワクとかプレッシャーが僕にはたまらない。それがない選手ではつまらない。
*手を出すのは最後だよ、ということかな。手が早い人はダメですよ、何をやるにも。手を出さないためにどうするかを考えているのが僕。手を出さないからヒットが出るということでしょう。
*僕には相反する考え方が共存している。打撃に関して、これという最後の形はない。これでよしという形は絶対にない。でも今の自分の形が最高だ、という形を常に作っている。この矛盾した考え方が共存していることが、僕の大きな助けになっていると感じている。
0 件のコメント:
コメントを投稿