20091223 の朝日新聞・朝刊 1面に、核密約文書が佐藤栄作元首相宅に保管されていたとの報道があった。佐藤氏の次男の佐藤信二(元通産相)により明らかにされた。この、当の佐藤栄作は米国がのめりこんでいくベトナム戦争に、どこの国よりも真っ先に積極的に全面的に支持した。その挙句、このウサン臭い男は、ノーベル平和賞を受賞した。
が、その後、佐藤栄作の化けの皮は剥がされた。
このノーベル平和賞を選考したノーベル賞委員会が2001年に刊行した記念誌「ノーベル賞平和への100年」の出版記念会見で、共同執筆家の一人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことは、ノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と当時の選考を強く非難した。「佐藤氏はベトナム戦争で米政府を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と記し、授賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘した。また「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」とも指摘した。
この後は、全て朝日新聞の記事を抜粋、転載させていただいた。
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20091223
朝日・朝刊
社説/沖縄核密約・署名文書発見の衝撃
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沖縄返還をめぐる日米密約の決定的な証拠文書が見つかった。
当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還に合意した1969年に交わした合意議事録の現物だ。「重大な緊急事態」の際は米国が沖縄に再び核兵器を持ち込むことを認める、と約束している。
この密約の存在は、佐藤氏の密使としてキッシンジャー大統領補佐官との交渉にあたった故若泉敬・元京都産業大教授が90年代に著作の中で明らかにした。しかし、日本政府は否定を続け、米国側の情報公開でも、この文書の存在は確認されていなかった。
鳩山政権は、自民党政権時代の日米の密約の解明作業を続けている。すでに、核を積んだ米艦船の日本寄港や領海通過を事前協議の対象外とする密約を裏付ける関連文書が見つかっている。だが、40年の時を経て密約そのものの文書が発見された衝撃は深い。
英文でタイプされた文書には、両首脳の署名もある。再持ち込み先として、日米合意で普天間飛行場の移転先とされ辺野古をはじめ嘉手納、那覇などの地名も挙げられている。極秘とすることも念押しされている。その生々しさには息をのむばかりだ。
東西の冷戦下で、当時はベトナム戦争が激しくなっていた。米側は佐藤氏が求めた「核抜き本土並み」返還を受け入れ、沖縄県内の米軍基地からの核兵器の撤去に応じた。その代わり、有事の際の核持込への確約を日本の首相からとりつけていた。
米国の軍事戦略にとって沖縄をどれほど重要か、そして返還後もその役割をできるだけ減じたくなかった米政府の思惑を、鮮明に映し出している。
自らの手でなんとしても沖縄返還を果たそうとした佐藤氏は、米側の要求をのみ、非核三原則との矛盾を隠すために「密約」として国民を欺く道を選んだことになる。
鳩山由紀夫首相はや岡田克也外相は、外務省の有識者委員会に密約の真相解明を委ねる考えを示した。
確認すべきは、この秘密合意が日本政府の中でどのように引き継がれてきたのかだ。歴代首相や外交当局者は国民に真実を語って欲しい。
さらに重要なのは、密約が現在もなお法的な効力を持つものなのかどうかについて、日米両政府が協議し、見解を一致させることだ。
当時と今では、安全保障環境も核兵器の運用も大きく異なる。現実問題として米国が日本に核兵器の持ち込みを求める可能性は極めて低い。しかし、だからといって密約と非核三原則との矛盾を放置はできない。同盟に対する国民の信頼も揺るぎかねない。鳩山政権の普天間移設問題への姿勢をめぐって日米関係がきしんでいる時だからこそ、賢明な対処を望む。
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〈解説〉
沖縄への核兵器「再持ち込み」をめぐる秘密合意は、ごく少数の関係者しか知らなかったとされる。若泉氏の著書によれば、関与したのは当時の佐藤首相、ニクソン大統領、若泉氏とキッシンジャー大統領補佐官の4人。今回文書が明らかにされたことで、過去の政権が否定し続けてきた「密約」の存在は動かしがたいものになった。
返還前の沖縄には米軍の核兵器が配備されていた。佐藤首相は、返還に当たって核を撤去させ、米軍基地の運用に当たっても本土同様に日米安保条約に基づいて「事前協議」を適用するなど、「核抜き本土並み」の返還を実現すると表明。政権にとって大きな政治的テーマとなる。その際に米側が問題にしたのが、紛争などの緊急事態が起きたときに「再持ち込み」が保証されるのかという点だった。
同書によれば、一連の手続きは外務省当局へも知らされずに進められたようだ。文書そのものも佐藤氏が保管していたとなれば、外務省には存在しないとみられる。
問題は「合意議事録」が日米関係において何らかの拘束力を持ったかどうかだ。まだ冷戦のさなかで、ベトナムへは沖縄から米軍の爆撃機が出撃していた。が、軍事技術の向上により、再び沖縄に核ミサイルを配備する必要性は失われていた。そうした状況の中で、佐藤氏や若泉氏は、核の撤去を実現させるには引き換えに再持ち込みを認めるしかないという「苦渋の選択」をしたのかも知れない。
現在、沖縄に核が再配備される可能性はほとんどない。
この合意がその後の政権や日米関係にどんな影響を与えたかはまだわかっておらず、改めて検証が必要となる。
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日米間の「密約」とは
①核持ち込み痔の事前協議の対象から艦船の寄港などを外す核密約
②朝鮮半島有事の際に米軍が在日米軍基地を出撃拠点として使うことを認めたもの
③有事の際の沖縄への核の再持ち込みに関するもの
④米側が負担すべき原状回復費400万ドルを日本側が肩代わりするなどの財政取り決め
の4密約の存在が指摘されている。
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