2008年4月29日火曜日

最貧国の銀行が、アメリカの金融機関と人々を救う

サブプライムローン問題解決に向けて、バングラデシュの銀行が米国で融資ビジネスを立ち上げた。
世界の最貧国が世界一裕福な国の金融機関と人々を救済する?
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こんな、タイトルで国際政治学者・浜田和幸氏の小文を雑誌で見つけた。その文章を引用させていただいた。一部、私なりに加筆した。
アジアで、最も貧困国と位置づけられるバングラデシュの銀行がアメリカの住宅ローン危機を救うべく立ち上がった。その名はグラミン銀行。貧しい農民への金融支援で世界的にも注目を集めてきた銀行である。
1976年にこの銀行が始まった時点では元手はたったの27ドル。この少額を42人の女性に貸し付けることで、バングラデシュの未来に夢を与えることに成功。この銀行の創設者であるムハンマド・ユヌス氏はその功績が認められ、2006年、ノーベル平和賞を受賞した。
ムハンマド・ユヌス氏は経済学者だが、研究と現実の落差の大きさに経済理論が役に立たないことを大飢饉を前に悟った。農村では、特に家計を切り盛りする女性に無担保小額融資を生み出した。初めは身銭を出して基金にしたそうだ。
今では、バングラデシュ国内で700万人もの人々に65億ドルを超える融資を行っている。

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ムハンマド・ユヌス氏は、このノーベル平和賞の記念受賞演説でーーー
「貧困は平和への脅威だ。世界の指導者の関心が貧困との闘いからテロとの闘いへと移行した」と指摘し、また「貧しい人々の生活改善に資金を投入するほうが、銃に使うよりも賢明な戦略だ」と論じ、イラク戦争に巨額を投ずるアメリカなどの姿勢を批判した。もちろん日本も含まれていた。
                

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日本の為政者などとは、基点(視点)が違う。力点と方向が違うことに敬服する。
皮肉なことに、ムハンマド・ユヌス氏から批判された世界最強国アメリカが、その最貧国から救済を受ける羽目になろうとは、ブッシュは露ほども想像していなかったことだろう。
アメリカにはバングラデシュをはじめ、アジア出身者が数多くいる。そこで、グラミン銀行では初めての試みとして、アメリカにおいて融資ビジネスを立ち上げることを決めたようだ。まさに、世界で貧しい国の銀行が最も豊かな国を救済しようと立ち上がったわけである。今後5年間にわたり、ニューヨーク近郊を中心に、1億7600万ドルの住宅ローンのつなぎ資金を提供するという。そして、徐々に対象地域を全米に広げていこうともくろんでいる。現在、アメリカでは2800万人もの人々が銀行に口座を開設できない状況におかれている。また4470万人の人々は過去にローンの支払いが滞ったことが原因で、銀行の利用に制限が課されている。問題をかかえている場合もあるが、きちんとした返済計画さえ立てられれば十分に返済能力があると考えられる。だが、アメリカの金融機関やローン会社は十把ひとからげにして融資の打ち切りに走っている。そこでグラミン銀行では、個別の案件を精査し、貧しくとも真面目に働く意欲のある人々を積極的に支援する、という方針を打ち出したのである。

世界のマネーが流れ込むアメリカでありながら、真に援助を必要としている人々に支援の手を差し伸べられない金権体質は、接戦が続く大統領選挙の行方にも大きく影響するものと思われる。黒人初の大統領を目指すバラク・オバマ氏への支持が拡大している背景には、既存の富裕層あるいはエリート層から、この面での変革が期待できないとの失望感が広がっているからにちがいない。

2008年4月22日火曜日

だから、チベットは熱いのだ

今、北京五輪の聖火が世界の五大陸を回っている。日本でも今月26日、長野で聖火ランナーが走ることになっている。一番走者は、全日本野球監督星野仙一さんだそうだ。当初善光寺をスタートして18キロ程走ることになっていたが、各国の妨害による混乱を見据えて、スタート地点を変更した。善光寺の僧侶たちは、チベット自治区での騒乱で亡くなった仏僧に対して、しのびがたい思いをつのらせたのだろう。善光寺は記念すべきスタート地点になることをを避けた。仏僧たちの連帯の意思表示なのだろう。善光寺には、天台宗と浄土宗の両方の僧侶がいる珍しいお寺だそうです。五輪発祥の地、アテネで採火式が行われた。その採火式において、チベット人や「国境なき記者団」たちが、開催粉砕を主張して妨害行為をおこなった。
その後、ヨーロッパ、特にフランスではチベット人や「国境なき記者団」による妨害行為は激しかった。思いは、なんで、そこまでチベットの人たちはやるの?に行きつく。やはり、それなりの理由がある筈なのだ。私には理解できる知識のストックがない。マスコミも、その理由をきちんと報道しないので、よくやるねえと感心するのみだったが、今回の新聞記事で、やっと納得した。専門家が解りやすく教えてくれていたので、その記事を転載させていただいた。ありがたいことです。
今、世界の最大関心事は、環境というか地球温暖化と、人権問題なのだ。中国の高級官僚は、これは偉大な国の内政問題だ、と言い切っている。熟慮されたし。

2008年4月21日月曜日

後期高齢者医療制度なんて、知らなかった。

後期高齢者医療制度が、05年12月に小泉内閣がまとめた医療制度改革案に盛り込まれて制定された、強行採決だったそうだ。
恥ずかしながら、3年間もこの制度のことを知らなかった。約1ヶ月程前に、対象となるお年寄りのもとに保険証なるものが郵送されてきたとか、お年寄りがその保険証を何かと間違って捨てた人が多いとか、届いてない人が多いとか、そんな報道がなされて初めてこの制度のことを知った。2年前に国会で議論されて可決されたいうではないか。福田首相が、後期高齢者医療制度という表現はお年寄りには失礼じゃないかと批判して、それならば長寿医療制度という言葉に置き換えよう、なんて新聞記事もあった。テレビはほとんど見ないで、新聞だけはきちんと読むようにしている私なのですが、実にお恥ずかしいのですが知らなかった。読み逃したのだろうか。新聞に出てた?と誰かれなく聞いてみたが、知っていたという人はいなかった。ただ、女房は知っていたよ、という友人はいた。友人は、女はしっかりしているわ、とも言っていた。
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そこで、新聞の記事から後期高齢者医療制度の概略を記しておこう(朝日新聞の朝刊と夕刊の「キーワード」をごちゃ混ぜに構成した)
75歳以上の高齢者を対象とする公的医療制度。約1300万人が加入する。医療費抑制を求める経済界の声を背景に、老人保健制度に代わって創設された。経済界の声とは、経済財政諮問会議の民間議員の医療への公的給付抑制を求める声のことだ。保険給付費の半分を税金、約4割を現役世代の支援金、約1割を加入者本人の保険料で賄う。保険料は都道府県ごとに設定され、老人医療費が高い都道府県ほど保険料も高くなるのが原則。給付と負担の連動が見えやすい仕組みを利用し、地域ごとに医療費増大を抑制させるのが狙いだ。天引きされるのは、年間の年金受取額が18万円以上で、介護保険と、この医療制度の保険料のあわせた額が、年金額の2分の1以下の場合で、対象者は約1千万人。全国平均で年額7万2千円程度。現役並みの所得がある人を除き、医療機関の窓口負担は従来通り1割。
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社会保険庁は、年金問題で炎症中で機能不全、重態だ。安倍内閣は脆く破綻して、福田内閣へと代わったが、社会保険庁に対する世間の糾弾は、日を追って厳しくなっている。そんな政情のなか、この後期高齢者医療制度のことについて、国民や特に対象者に詳しい説明がなかった。マスコミも、この制度の内容について、大いに取り上げたとも思えない。
この制度からは、批判が爆発するのが、自公連立内閣には十二分に解りきっていたのだと思う。だから、説明の機会を一切作らなかったのだ。
福田内閣の支持率の低下、不支持の増大は、どこまでも止まらない。今朝(2008 4 21)の新聞には福田内閣の支持率が25%と書いてあった。政府は意図して広報しなかったように思えてしょうがない。野党の民主党も国会の審議中は激しくやりあったのでしょうが、いったん法制化してしまえば批判の矛先を敵に向けるのではなく、あっさり諦めてしまったようだ。これも、情けない。
そして、先月、75歳以上のお年寄りに保険証が届いて、こりゃ一体なんじゃ、ということになったのです。
何故、こんなことになったのか?と私なりに推測するに、小泉が患っていた病の菌を、お調子者の安倍が保菌したまま政権を引き継いだ。
この病原菌の正体は?と、
そこで、この病原菌のことを文字で表すための文章が整理できなくて、キーボードを叩けなくなったのです。
また、ここで、数日が過ぎた。
昨日の朝日新聞(08 4 20 文化欄)に、政治家が政治家であるためには、こうでなくっちゃ、と思えるヒントになる文章に巡り合えたのです。「植草甚一は終わらない」のタイトルで、植草甚一の人となりが紹介されていた。古本にジャズ、ミステリー、映画も好きだった。今どきはそんなに珍しくはないが、70年代には「若者の教祖」と呼ばれた人である。私も学生時代、このマルチなおっさんが不思議だったのです。ヒゲをはやしたおっさんが、評論やエッセーや座談会で、平凡パンチやきちんとした評論集でも、文章や発する言葉は平易で新鮮で革命的だった。話題は植草甚一から、「暮らしの手帖」の花森安冶さんになり、編集後任の松浦弥太郎さんなった。その松浦さんが、この雑誌を「生身の人間に近い体温や感情をもった(媒体)にしたい。何に怒り、笑い、悲しむのか」、そのような雑誌にしたい、と言っていた。
ここで、話は元に戻る。
「生身の人間に近い体温や感情をもった(政治)をしたい。何に怒り、笑い、悲しむのか」と思った者が、初めてその人は「私は政治家なのだ」と、胸をたたけるのではないのか。
他人のことを思いやれる。他人の痛みをわかる者でないと、政治に身をおいてはいけないのではないか。
小泉から感染したこの病原菌は、安倍内閣で免疫力をつけ、増殖した。
小泉内閣のもとで、安倍晋一は幹事長として自民党内において力をつけていったその過程で、戦後レジームからの脱却とかいっては、若手右派の中川昭一等と「何とかを?考える会」を作っては、いやに威勢がよかった。中曽根康弘から、小泉、安倍につながる連中を、私はこのグループのことを日本の悪霊だと言っているのです。その前には、妖怪、岸信介がいたなあ。教育基本法を変えた。憲法の改悪を試みた。その「何とかを考える会」は、従軍慰安婦や沖縄戦争における集団自決においても、軍は直接関与した証拠はないとか主張して、教科書の記述を変えさせた。慰安婦問題に関して、村山談話や河野官房長談話を、目の敵にした。心ならずも慰安婦にさせられた人々の心、沖縄島民の心の痛みの理解に努めなかった。こんなことは、いつまでも許されることではなかった。今、世論はこの突出した安倍等の轍の修正に向かって進んでいる。私は日本人の良識を堅く信じている。
こんな連中が、また経済諮問会議の民間議員が案出したこの制度を法制化したのだ。
この後期高齢者医療制度には理念がない、何から何まで心がない。制度を立法化したのは、何のため? 命に関る重大な事案だ。私が今、見聞きする範囲内では、おかしい事だらけだ。老人を馬鹿にしている。金、金、金、財務状況優先したのか?。我々は、いかなる状況の人たちとも、相互扶助をして生きていかなくてはならない、ことをよく理解している国民だ。
この制度をできるだけ早い時期に廃止するように請願しよう、ぜ。昨日の新聞には、自民党内からも早速見直しを検討しなければならない、という意見がでているそうだ。ーーーーそれぁ、そうだ。

2008年4月11日金曜日

黒岩彰に笑みが戻った

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スピードスケートの富士急監督に就任したカルガリー五輪男子500メートル銅メダリストの黒岩彰(46)が4月1日、山梨県富士吉田市内のホテルで記者会見した。記者席に向かって右には岡崎朋美、真ん中に黒岩彰新監督、左に長田照正総監督が陣取った。報道された写真から察して、3人の記者とのやりとりは、歓迎ムードのなか終始したことだろうと、容易に推測できる。目出度い会見だった。
私には、黒岩の笑顔が嬉しかった。
彼は、かって西武ライオンズの松坂大輔投手の駐車違反の身代わり出頭して逮捕されたことが華々しく?報道された。それが、黒岩に関する私の最後の記憶です。西武ライオンズの松坂担当の広報係として、松坂に頼まれたのか、球団の指示か、黒岩本人の雄志(有志)なのか、その真相はわからないが、報道を見たり聞いたりしていると、私には球団の指示があったのだと確信している。指示がなかったとしても、追認はあった筈だ。一担当者が、そんな大それた事を自分の判断だけでやるとは思えない。
この球団を抱える企業集団は、法令順守の考え方が余りにも未成熟なのです。その最高経営責任者がまずは狂っていた。この最高経営責任者は、偉大な創業者の二代目です。私は9年と7ヶ月、学校を卒業して、この会社にお世話になりました。そこで学びとったことを糧(かて)に、今、私たちの会社の運営に活かそうとしています。反面教師的だけれども、教えていただいたことはてんこ盛りだ。
黒岩が身代わり出頭で逮捕された時、黒岩はやっぱりアホやったと落胆したり、さすが西武ライオンズや!!と喝采したり。失笑した。
それから、グループ企業内で黒岩はイバラの道を歩かされたであろうことは、容易に想像できる。いつも、この会社はそうなのです。元来会社が背負はなければならない罪を、一担当者に負わせるのです。会社が仕組んだことについてもだ。担当者を配置転換する。隠す。いやらしく虐(いじ)めるのです。ホテルや遊技場のセールスをさせるのです。慣れない業務に苦しんでいるところに、営業成績にノルマを与えて圧力をかける。そして会社を辞めるように、仕向けるのです。
黒岩が、アホな会社を辞めて、名門富士急のスピードスケート部の監督として蘇った。祝福をしたい。彼のためにも、日本のスピードスケート界にしても、こんな嬉しいことはない。
この企業集団の創業二代目は、証券取引法違反で逮捕され、「俺は辞めるから」と何もかも投げうっちゃって、「後は任せるから」と言って、最高経営者を辞し退場した。そんな無責任千万な男だった。球団の社長は、野球協約違反で世間から批判を受けても、悪びれることなく他人事のように記者を前に謝った。その場しのぎが見え見えだった。最近では、プリンスホテルが日本教職員組合の教育研究全国集会の会場として、いったん予約を受けながら会場使用を拒否した。裁判所は会場の使用を認める判断を下したにもかかわらず、その判断にも従わなかった。記者会見で、プリンスホテルの社長とグループ企業の親会社の社長が、顔を揃えて臆面もなく会場の使用と宿泊を拒否した理由を述べた。旅館業法に触れる内容でもあるのに。上司の承諾を得ながら予約を受けた担当者は、会社に居づらくなって止む無く退社した。創業者二代目も、歴代の球団社長も、プリンスホテルの社長のこともよく知っている人たちだから、私には批判できるのです。こんな人たちの、こんな会社ばかりの、企業集団群なのだ。
黒岩さん、辞めてよかったのです。辞めて、ホットしていることでしょう。
岡崎朋子さんからは、「フギィアに押されっぱなしのスピード界を盛り上げてくれそう」と期待の声があがった。
橋本聖子さんのコメントは聞こえてこないが、さぞかし喜んでおられていることでしょう。
黒岩は、「自分の本当の居場所はスケート界かな。決断のしどころだ」と。その通りです。
黒岩のスケート界復帰については、大勢の人々が待ち望んでいた。
がんばれ!!!黒岩!!!立派に選手を育てください。楽しみにしています。

2008年4月7日月曜日

「永遠平和」うけつぐ9条

やっぱり、小田実の記事が出ていると、きっちり読み込みたくなるのです。朝日新聞でした。この記事を読み終わって、古紙回収にまわすわけにはいかない。転載さていただいて、身近に保存しておきたい内容でした。
40年前、学校に入るために田舎から出てきた。プラカードを掲げてデモる人々を見て、そんなことで革命的なことはなにも起こらないぞ。女々しいなあ、と馬鹿にしていた。ベ平連なんて、なんじゃ、と思っていた。ところがじゃ、小田実の著作を読んでいくうちにオダ菌に感染した。殺される側の論理、爆弾が雨の様に落下される地表を逃げ惑う側の論理。その論理から反戦への思向には説得力があったのに。オダ菌に感染していたのに、理解力の低い、生半可な未成熟な学生だった。その時は解らんちんなコチコチ頭だったのです。
体育局に所属するサッカー部員だった。
サッカー部員としては、極めてヘタ糞でやっかいな部員だったが、練習態度は真面目だった。が、頭の中は過激な思想にどっぷり。危険千万な男だった。過激な演説、過激な著作物、過激な口論、過激な酒量、過激でないと私はもうどうにも止まらない状態でした。
だから、学生時代には、予備校の教壇から小田実さんがいくら檄っても、私には物足りなかった。当時、小田実は予備校で英語を担当する先生でもあった。夜になると過激度はピークに達し友人たちを随分困らせた。精神的な安静を求めて、昼間のサッカーの練習に夢中になっていた。サッカーがガス抜き装置だったようだ。
社会人になって、世慣れて、”ただの過激派”では、世の中を渡っていけないことが、解りだした頃、小田実を読み直した。そしてすっかり、小田実の心酔者になってしまった。偉大なオッサンだと尊敬するようになっていた。その偉大なオッサンのことが朝日新聞に書かれていたのです。
カントさんとは縁がなかった。頭の悪い私には、その御仁からは遠ざかる一方だった。この記事によると、解りやすく書いた本もあるらしいので、頑張って読む機会をつくりたいと思った。


2008 3 31 朝日朝刊 ポリティカ/にっぽん 早野透(本社コラムニスト)
カントと小田  「永遠平和」うけつぐ9条

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3月9日、NHKのETV特集「小田実 遺す言葉」を見た。作家でありベトナム反戦の市民運動家、東京の病院の緩和ケア病棟に入ってがんと闘う最後の日々がカメラにとらえられていた。テレビの小田さんは、私が病室にお訪ねしたときよりもやつれて、しかし力を振り絞って小説の口述をしていた。作家魂とは、かくも激しいものか。


小説は、題して「トラブゾンの猫」。トルコ半島にあるギリシャの殖民都市にトロイの猫、クビライハーンのころの、秦の始皇帝のころの猫、そして日本の三毛猫が時空を超えて集まって語った。「人間ってなんで愚劣なことばかりしているのか」と。
「愚劣」といっても、例えば道路特定財源をマッサージチェアーに使うお役所とか、ねじれ国会で突っ張りあって打開のてがかりを見出せない与野党とか、そういう次元のことではない。ギリシャの昔からイラク戦争まで、人間が果てしなく繰り返してきた愚劣な「戦争」のことである。
 テレビの前日の8日、東京・渋谷のホールで、「九条の会 小田実さんの志を受けついで」という集会があって、2300人が集まった。なかなかのものですね、3月4日、中曽根康弘氏らの「新憲法制定議員連盟」の総会で、草の根に広がる「九条の会」の向こうを張って「拠点づくり」と対抗意識を燃やすだけのことはある。
 「九条の会」の呼びかけ人は小田さんを含めて9人。この日、梅原猛氏はメッセージを寄せ、大江健三郎、鶴見俊輔、加藤周一、三木睦子、井上ひさし、奥平康弘、沢地久枝の7氏、そして小田さんが「人生の同行者」と呼ぶ妻の玄順恵さんが次々と話した。
 その玄さんの話。若き日、ギリシャ文学を専攻した小田さんは昨年春、家族でトロイ遺跡やトラブゾンを旅して帰国、そして病がわかり7月30日亡くなる。「小田はギリシャのデモクラシー、小さい力を合わせて知恵をもって社会を作る人々の力を信じていました。それに一番近いのはやはりアメリカだと。そのアメリカから学んだ『自由と平等』に、『平和主義』を加えたのが日本だと。それが九条だと」 
 私は、ギリシャの話を聞きながら、イマヌエル・カントのことを思い起こしていた。1724年生まれ、フランス革命後までの80年の生涯を東プロシアのケーニヒスペルクの街からほとんど出ずに過ごし、毎日決まった道を決まった時刻に散歩して、人々はそれに合わせて時計の針を直したという哲学者。世界を考え、人間を考え、歴史を考え、「永遠平和のために」という本を書いた。
 カントといえば、その難解な著作を読むのに昔は苦しんだけれど、この「永遠平和のために」の本はもともと戦争に明け暮れる政治家にも読ませようと簡潔に書き、このところ日本でも次々とわかりやすい新訳が出た。なーんだ、カント先生200年前に、いまの世界をお見通しじゃないか。ここは総合社発行、集英社発売のきれいな写真つきの池内紀さんの訳本に従って読み進めたい。
 「戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない」
 「いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない」
 イラク開戦前にブッシュさんも小泉さんも読んで欲しかった。
 「殺したり殺されたりするための用に人をあてるのは、人間を単なる機械あるいは道具として国家の手にゆだねることであって、人格に基づく人間性の権利と一致しない」
 だからこそ、ドイツには兵役拒否のかわりに福祉などで働く制度がある。小田さんは、九条の日本は「良心的軍事拒否国家」になるべきだと説き続けた。
 「対外紛争のために国債を発行してはならない」 昔、日露戦争を戦うのに、日本は外債募集で走り回った。太平洋戦争を戦うのに、郵便貯金を軍事費にあてた。
 「常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである」
 9条は、ギリシャのアリストファネスの喜劇「女の平和」からカント先生まで、人類の思想を受け継いでいるのであって、占領軍に押し付けられたとかなんとかいう問題ではない。小田さんが言っていた通り、「日本はいい国だ」ともっと自信を持っていい。
 「戦争を起こさないための国家連合こそ、国家の自由とも一致する唯一の法的状態である」 
カント先生がすごいのは、今日の国連の誕生を見越していたことである。「世界平和」はむりとしても、「世界市民」は空想の産物ではないと言っている。地球温暖化もチベット問題も、国家の利害ではなく、市民の問題ととらえられるべきなのだ。
 と書いてきたものの、日本政治は日々忙しく、それどころじゃないと思いがちだが、カント先生はそこもクギを刺している。
 「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」