2008年10月21日火曜日

奥秩父・瑞牆山(みずがきさん)

紅葉の岩山の名峰

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この企画に我らも参加しないか、と加藤隊長から電話をもらった。私は仲間の都合も聞かないでオッケー、と即答した。

今から約37年前の大学2年か3年の秋だった。詳しいことは記憶に残ってはいないのですが、私は一人で奥秩父連峰の中心部を踏破した。当時私は、大学でのサッカーの練習に苦しんでいた。私以外の部友は、練習すればするほど上達していた。私はと言えば、なかなか人並みのレベルまでは、追いつけなかった。一人っきりになって無茶苦茶、体を苦しめたかった。山歩きの基礎も糞も知らない私は、カッ跳びで山歩きをした。ダッシュとはいかないが、日々のサッカーの練習と同じ感覚だ。軽いクロスカントリーだ。今回、加藤隊長から奥秩父とか瑞牆山の名を聞いて、懐かしかったのです。行きたいと思った。私が、山々の一つひとつを把握している、珍しいエリアなのです。

37,8年前の歩いたコースの詳細は覚えていないのですが、確か西武線の秩父駅の方から入った。その後はバスに乗ったのだと思う。地図を見ながら振りかえってみた。

三峰山を眺めながら三峰神社横を過ぎた。

歩いた、走った、甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)(標高2475メートル)に着いた。山容が拳(こぶし)に似ているので本来は拳岳という。それが、甲斐、武蔵、信濃の国の境にあるので、このような名前で親しまれるようになったそうだ。

少し縦走のコースからは少しそれて、奥千丈岳(おくせんじょうがだけ)(標高2409メートル)にも寄った。

大弛(おおだるみ)と名前のついている所も通った。地名の通り、たるんで?いた。地名が面白かったので地名だけは記憶にある。

国師ヶ岳(こくしがだけ)(標高2592メートル)。

瓦礫の山道をひたすら登って、金峰山(きんぷさん)(標高2599メートル)に着いた。山頂の五丈岩はこの山のシンボルで、強く印象に残った山でした。五丈岩と書いてゴジョウセキと読むのだと言われたように思う。が、今回、ガイドにも聞いてみたのですが、ゴジョウセキとは呼ばず、文字通りゴジョウイワとのことだった。

大日岩を過ぎて、瑞牆山〈標高2230メートル)。山の名前なのですが、その時はミズガキとは、アヒルの足が水をかき易いようになっている様から命名されたのだと聞いた記憶があるのです。文字にすれば「水掻山」か。今回の山行でその真否を確かめなければいかんな、と思って、これもガイドさんに聞いたら、そんなこと聞いたことがありません、だった。何も知らない者に、いい加減なこと教えるな。

金峰山からなのか、瑞牆山からなのか増富ラジウム温泉の方にに下りた。バスの車窓から温泉の施設を見下ろしたような気がする。それからバスに乗って、韮崎の方に出たようだが、覚えがないのです。

こんな縦走と言えばいいのか横断と言えばいいのか、相当長い道のりを2泊で歩き通した。体力には幾らでも余裕がありました。3日で60~70キロメートル、否もっと歩いたと思われた。でも、当時の私にはいくら急峻の直登でも急降下でも、ぬかるみでも、鎖場でも、1日30キロぐらいなら1週間でも2週間でも歩き続けることができるほど、パワーがあった。

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そして今回は~

参加予約は1ヶ月前にしたのですが、お金を振り込んだのは1週間前です。それは私の左足のヒザに痛みが発生したので、参加できるかどうかが心配だったのです。大学時代のサッカーの後遺症です。毎冬になれば、必ずこの痛みは出るのですが、今年は少し早く出たようです。階段の昇り下りでヒザにピリピリと痛みが走るのです。あの、憎っくき金さんをタックルし過ぎたのかもしれないな。

そして、山登りの前日、昼ごろから雨が降り出した。会社の仲間に、明日の天気はどう?と聞いたら、仲間は,口を揃えてきっと雨でしょう、と揺るぎない返答S、(Sは複数のSです)。憂鬱だった。最初から降っている雨の中へ、家を出て、バスに乗って、高い山に入っていく、登山道はぐちゃぐちゃだ、こんなことに思いをめぐらせると、さすがに気が重くなるのも当然でしょう。

私は、仕事の関係で池袋に居た。プロジェクト資金の借り入れのための金銭消費貸借契約をして、連帯保証の約定に署名捺印している最中に、加藤隊長から私の携帯電話に電話がかかってきた。「事務局から、明日、下山が遅くなったら暗くなるので懐中電灯を持ってくるように言われたので、忘れないように」、私はそんなことより、「雨やな」と一言切り返した。本音は、雨だったら行きたくないんじゃ、と言いたかったのですが、言いそびれた。隊長の気合に臆したのだ。当日、隊長は「あの時のあなたの声は暗かった」と仰る。隊長は私の魂胆をよく見抜いておられた。その時、雨でも行くしかないかあ、と諦めた。

明日、瑞牆山から下りたらビールを必ず飲むだろう。その時のツマミを明治屋で、ピスタチオ2袋買った。雨で憂鬱なのに、明日のビールのツマミをちゃんと用意するとこは、優秀でしょ。

その後も、東京・銀座で打ち合わせをして、お酒をごちそうになった。雨は降り続けていた。家人は、明日は晴れますよ、と嬉しいことを言ってくれる。23;00 雨音を聞きながら布団に入った。

翌朝、5:00起床。まだ外は暗かったが、雨はやんでいた。犬の散歩からの帰り道、東の空にうっすら朝陽が見えてきた。納豆ご飯に味噌汁。空が晴れることに、これほど感謝したことはない。ハレルヤ~だ。私の孫の名前はハル~です。これは関係ないか。

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瑞牆山荘をスタート(11:00少し前)して瑞牆山に登って、その登った登山道を戻ってくる、というコースでした。登山道はきっとぐじゅぐじゅで、ぐちゃぐちゃ。ズボンが泥んこになるぐらいは覚悟していたのですが、我々はどこまでもツイテいるのです。山は花崗岩でできていて、私見ですが、どうも此処の花崗岩は軟らかそうに見えた。気密性がなさそうで、ぼろぼろ壊れ易そうな岩だった。その壊れてできた砂状の土壌は水のはけがいいのだ。そのはけの良さで、降った雨は地中に早く沁み込み、登山道の表面はサラサラで、転んだり滑ったりすることが心配だったのですが、その心配はなく快適そのものだった。

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富士見平で昼飯のお握りを2個のうち1っ個、賞味した。さあ、これからだ。

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でも、奇峰をなす頂上の奇岩たちは、そんなに脆(もろ)そうには見えなかった。脆いとあの異様な威(偉)容さはいつまでも維持できてない筈だ。山の名前の由来は、先に書いたのでここでは触れないが、長い期間この姿をよくぞ守ってきたものだ。頂上は平らな岩岩で、狭かった。平らな岩面から一歩足を踏み出すと、何百メートルもの谷底へ落下。クワバラクワバラ。落下したら、お陀仏、間違いなしだ。尻込みしながら、谷底や周辺を眺めた。今回は20人ほどの団体だったので頂上の狭いスペースでも危なくなかったが、土日でたくさんの人が登ってきた時には、冷や冷やさせられます、とガイドさんは言っていた。

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頂上で、昼飯のお握りを2個のうち残りの1っ個を食べた。下りの危険は、慢心だ。

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登山道がこんなに急な岩場なのに、軍手を持ってこなかった非常識を恥じた。完璧な山登り家の大澤さんが、軍手を貸してくれた。彼もまた、私の公私に亘る重要な保護者でもあるのです。私のイイカゲンサを御見抜きになられているのだ。感謝して、感謝。

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頂上から眺められる限りの山々や峰々や、瑞牆山の大きく聳(そび)える岩のことは、写真を観ていただきたい。金峰山、国師ヶ岳、奥千丈ヶ岳、八ヶ岳、甲斐駒ははっきり眺められた。日によっては富士山も遠望できるそうだ。

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紅葉が終わって、葉っぱが散って裸になった木があると思えば、まだまだこれから艶(あで)やかな紅葉の衣に着替えようとしている木もあった。同じような高度でも上手い具合に揃わないものなんだ。紅葉している樹木で、知っているのはモミジ、イチョウ、ヤマブドウ、ウルシ、ブナ、ナナカマド、ツツジ、カエデなどでした。シャクナゲは、しっかりした濃緑色の葉で頑張っていた。春に芽吹く幼い芽が、ちょこっと出していた。これから冬を迎えるのだ。芽が可愛いかった。尖(とん)がった芽は葉の、丸い芽は花芽でした。子供の頃、よく食べたアケビは見当たらなかった。

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太宰治は、「富嶽百景」の中で、師匠の井伏鱒二が富士山を眺めながらの散歩の最中に放屁をなされたことを、文学として著しているのを、かってニャリとさせられたのですが、加藤隊長がオナラを私の面前でカマしたことには、ニンマリできなかった。正隊員の大澤さんにも、屁をカマした。隊長、屁をコク自由は制約されているのですぞ。今度こそ、加藤隊長が腰を抜かせる程の屁をカマしてやるぞ、と決意した。

私の足は、登りには強いのですが、下りには滅法弱いのです。下り坂で、どしんと、体重がヒザにかかるのが、苦痛なのです。左足のヒザは学生時代の名誉の古傷をいまだに引きずっているのです。ショックをできるだけ右足のヒザにかかるようにしているのですが、時間が経つに連れて、弱い左足ヒザが痛み出したのだ。人間は二本足で歩く以上、避けられません。この程度の痛さで、山登りの醍醐味を棒に振れるか!! こんな時はそのように考えるのです。

山荘に戻ったのが16;40ぐらいでした。戻りの下り坂は西斜面になっていたので、夕日が射している時はなんとか五時ごろまでは明るいのですが、この時間、北斜面なら懐中電灯が必要になります、と注意していた。

瑞牆山荘で、缶ビールを買って飲んだ。慌てて飲んだので、鼻の下にまで泡がついた。

バスに乗っての帰途。車窓から遠ざかる瑞牆山を何度も振り返って眺めた。それにしても頂上がギザギザの山容は、これからも記憶に残り続けることだろう。

須玉インターまでの道は田んぼの中を走った。刈り取られた稲が、天日干しされていた。私の田舎では、刈り取った稲をそのままコンバインにかけた籾(もみ)を乾燥機に入れて、十分乾燥させてから籾摺(もみすり)機にかけて、玄米にするのですが、そのやり方では美味い米ができないそうだ。天日干しにこだわる農家の方はそのように、申されているようです。専業農家として頑張っている私の田舎の兄貴や甥っ子にも、言っとかなくちゃ。

中央高速道の須玉インターに向かった。須玉から中央高速道を走って、高井戸で下りて環8を走り、第3京浜の三ツ沢で下りた。天理ビル横でバスから下車。

ダイヤモンド地下街の中華料理屋さんで、ビール、紹興酒、レバニラ炒め、マーボ豆腐、ギョウザ、あと何やら腹にぶっ込んだ。最後に私はタンメン、加藤隊長と大澤隊員はチャーシュウと何とか入りメンを仲良く分けて食べておられた。

そして、各人、三々五々、自宅に帰った。

そして、、遅れてFIFAサッカーワールドカップ・アジア予選の対ウズベキスタン戦をテレビで応援。

オーレイ!!

後半戦しか観られなかった。戦果のことは別の場所で、酒でも飲みながら、いかが?ですか。

山から戻っての数日間は、筋肉痛が快い。

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081015(水)かお

横浜西口(7:00)===バス===瑞牆山荘ーーー富士見平ーーー天鳥川源頭ーーー瑞牆山(標高2230メートル・日本百名山、山梨百名山)---(往路下山)---瑞牆山荘===バス===横浜到着(19:45)

歩程約8キロメートル・5時間30:

登山中級B

旅行企画・実施=クラブツーリズム株式会社

我らの仲間たちは、隊長=加藤史朗、隊員=大澤勝彦(正隊員)、山岡保(補欠)

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瑞牆山(みずがきさん)(山梨県)(パンフレットより)

北杜(ほくと)市のシンボルになっている瑞牆山は、秩父連山の西端に位置する花崗岩山です。まるでノコギリのような独特のギザギザ頭は今から2万年以上も昔の火山活動の名残です。瑞牆山は弘法大師が修行した山と伝えられ、山岳信仰の山となっています。古くから甲州修験道として登拝していた。神社の周囲に巡らす垣根を表す瑞垣が名の由来と言われている。奇岩、奇峰です。

大ヤスリ岩、小ヤスリ岩、弘法岩、十一面岩。

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***後日、山で撮った写真を貼り付けしますので、ご覧ください。

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