大相撲初場所は25日、東京国技館で千秋楽が行われた。3場所連続休場から復帰した西横綱の朝青龍(28)が14勝0敗、東横綱の白鵬が13勝1敗で戦った本割で、朝青龍が負けた。両横綱は8ヶ月前、取り組み後、不要なにらみ合いで、協会から注意を受けた。遺恨の一番だった。本割の結果、両横綱は、14勝1敗で同じ星に並んで、優勝を決める決定戦に持ち込まれた。館内は否応なしに盛り上がった。しかし、か、さすが、か、でも、か、やっぱり、か決定戦では朝青龍が、両差しから一気に攻めて勝った。土俵下で直後に行われた優勝インタービューでは「朝青龍、また帰ってきました。優勝したのでまだまだ思い切り頑張りたい」と答えて、館内を沸かした。
土俵から下りて、両手を高らかに挙げて、観衆に喜びをアピールした。全ての観衆に応えるべく、体をぐるっと1回転させた。どうじゃ文句あるか、俺が優勝したのだ、と言わんばかりに。この時、私はアレっと思ったのです。何かが可笑しいぞ、と思ったのは、今までに優勝したシーンで両手を挙げて、ガッツポーズをした関取がいなかったからだ。見慣れない光景だった。これ、ちょっとまずいことになるかも、と予感した。
案の定、翌日の横綱審議委員会で、朝青龍に対して、取り組みには目をはるものがあったとして各委員が復活を讃えたが、でも、ガッツポーズには苦言が寄せられた。あの「寅さん」や「浜ちゃん」を世に出し、その主人公を国民的アイドルまでにした、これまた国民的映画監督の山田洋次委員さえもが、委員会には欠席したものの、ガッツポーズは品格においてはゼロだった、と述べていたそうだ。「サクラ、山田監督も以外に厳しいことを言うもんだね。品格、そんなもん、横綱でなくても誰にだって必要だよ。寅にだって、寅流の立派な品格ってモンがあるだろう、なあサクラ」
場所前、引退か否かと話題になったが、まさかの優勝決定戦だった。私にとっても、不思議な15日間だった。取り組みそのものは、ハラハラさせられながら、私を痺(しび)れさせてくれた。面白かった、というのが正直な実感だ。
私には、ガッツポーズぐらい認められていいのではないかと思うが、諸氏は如何(いかが)お考えになりますか。両手を挙げてのガッツポーズは、日本人には馴染みの万歳(バンザイ)でもあるのですから。
柔道でもレスリングでも、勝者は畳の上を、リングの上をピョンピョン飛び上がって喜びます。その姿は美しい。女性だって、監督に肩車をされることだってあります。その師弟の姿は美しく品格がある。ハンマー投げの室伏選手が投擲後、ウオーと吼えるのも、私には美しい品格に値すると思うのですが。
相撲は国技だから、横綱だから、ガッツポーズは相撲道には相応(ふさわ)しくないのでしょうか。下位の相撲取りなら、許されるのですか。
優勝のインタービューの前、満面破顔の小さな三角の目から、涙が光って零れた。あの朝青龍が泣いたのを、私は見逃さなかった。私は、ドキットした。
表彰式を終えて支度部屋に戻ると、待っていたのは元床山「床寿(とこじゅ)」こと日向端隆寿(ひなはたたかじゅ)(65)さんだった。二人はがっちりと抱き合って、周囲にはばかることなく号泣した、とラジオのニュースで聞いた。車を運転中の私も、流れる涙を何度もハンケチで拭いた。今度の優勝には、朝青龍には格別の感慨が沸いたのは当然だろう、またがっぷり巨体を抱きしめた日向さんにも、ただならぬ深い思い入れがあったのだろう。
こんなに泣く朝青龍を初めて知らされた。
翌日の新聞には、優勝パレードの朝青龍がオープンカーに乗っている写真が載っていた。朝青龍の横に日向さんがくっついて乗っていた。狭っ苦しいそうだ。この床寿=日向さんは、現役時代、床山でも最高位の役割を担っていて、昨年定年退職していた。日向さんには、どの力士の銀杏も結えることができる資格が与えられていたようだ。昨年11月の九州場所を前に、朝青龍から「絶対優勝してオープンカーに乗せるからね」と声を掛けられた。だが、全休。髪を結うことなく定年を迎えた。そして今場所直前に食事に誘われた際、「千秋楽、オープンカーで待っているよ」と言われた。そのあたりから、朝青龍は酒を控えて、相撲に精進していた。日向さんは、取り組みが終わる度に「おめでとう」の一言の電話を掛け続けて喜びを分かち合った。
ここまでの記述は、日向さんと朝青龍の熱い交流のこと。私も仲間に入れてよ、と言いたいところだ。このパレードの様子をテレビで観ていて、また嫌な予感がしたのです。それは、オープンカーに二人は笑顔で乗り込んでいて、そこで朝青龍が手にして振った旗は、モンゴルの国旗だったことです。日本相撲協会が主催する相撲・場所だ。いくら自分がモンゴル出身だからといって、祝賀パレードにモンゴル国旗はいただけない。朝青龍はやはり日本の文化を理解していない。モンゴル国旗を掲げたいならば、主催国の日本の国旗のことも考慮に入れなくてはいかんのではないのか。このことについては、今のところ、世間も協会も物議を醸してはいない。
朝青龍ご本人に、そんな配慮をすることが無理ならば、朝潮・元大関=長岡末弘さん、高砂親方さん、しっかり管理監督、指導してよ。子飼いの力士が、暗雲を払いのけて頑張ったのだ。シコ名の通り、たなびく青雲と立ち昇る龍を見せ付けてくれたのだ。高砂親方さん、朝青龍が優勝パレードで日章旗とモンゴルの国旗を両方掲げたならば、日本の国民はどれほど喜んだことだろう。そんな気配りをやって見せてくださいな。悪評がいつも付きまとう朝青龍を、親方こそ、真剣に考えるべきですよ。それができないようなら、ますます親方のメッキが剥(は)がれますよ。
追記
朝青龍のガッツポーズについて、横綱審議会では問題視する意見が出たのを受けて、武蔵川理事長は、29日品格に欠ける行動を取ったとして横綱朝青龍に対し、師匠の高砂親方を通じて注意を与えた。同日開催された協会の理事会では横綱の品格問題は出なかった、と聞くと武蔵川理事長の理事長としての「注意」なのか、個人的に思いついての「注意」なのだろうか。はっきりせい、と私は真実を求める。
高砂親方のコメントも、私ががっかりするほどしっかりしていない。「ガッツポーズはテレビで見たが、深く考えていなかった。朝青龍には自覚を持たせないといけないし、私も師匠として自覚しないといけない」。このようなコメントでは、果たして高砂親方自身がどれだけ「自覚」したのか、定かではない。本当は、品格ということについてもよく理解はしていないし、この注意にも納得していなのではないか。きっと不満なのだと思う。腹の底ではあの程度のガッツポーズなら、いいんじゃないの、と考えているのではないか。それなら、それで、理事長に自分の意見を述べるべきだ。
私は、個人的にはあの程度のガッツポーズは決して横綱の品格を損なったとはどうしても思えない。私の身中には、昔から判官贔屓(ほうがんびいき、はんがんびいき)の虫が棲んでいるのです。今回この贔屓の的は、皆に何かといじめられてはいるものの、けっして弱くはなかった。世の大半の期待に反して優勝してしまった。贔屓になどする必要はなかったのでした。
本来の日本の文化の中心には、自分の感情を律するということ。勝者も敗者も互いへの賛辞をつつましやかに表現し、感情を律するのが本来の姿だ、と主張される御方(おんかた)もいらっしゃることは、私も理解はしています。
朝青龍は、日本でのアレコレなんか、屁のカッパ。場所終了後、即、愛するモンゴルに休養のために帰ったらしい。朝青龍は、ますます意気軒昂、意気天を衝’(つ)く勢いだ。
そんな横綱が、私は好きです。
今後もこの品格について、考えていきたい。
(朝日新聞の26,27,30日の記事を参考にさせていただいた)
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20090126
朝日朝刊
天声人語
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存在より不在が気になるのが看板役者というものだろう。不在のツケを倍にして返されては大看板と認めるほかない。初場所に進退をかけた朝青龍が賜杯をさらった。3場所の空白や引退説がうそのような復活だ。
白鳳との優勝決定戦。左から崩して頭をつけ、一気に寄る。最盛期の、運動神経の塊がそこにあった。「朝青龍が帰ってきました」の言葉にうそはない。勝ち名乗りを座布団が直撃したが、構わず両手を突き上げた。
日を追って、ふてぶさしさが戻ってきた。目を三角にとがらせ、締め込みをポンとはたいて気合を入れる。だめ押しの悪癖、感情丸出しの形相が、久々に観衆の心を波立たせた。やんちゃな存在感は、安定感がまわしを締めたような白鳳と対をなし、両雄で一双の屏風絵が完成すると改めて思った。
敵役が強いほど物語りは盛り上がる。ところがこの適役、最後には倒されるというお約束や、もろもろの批判まで寄りきり、主役に帰り咲いた。強くて客を呼べて、国技だ品格だと言わねば理想のプロの格闘家である。今場所の収穫がもう一つ。新入幕で勝ち越した山本山だ。目方250キロの自称「どんぶり王子」は、ふくよかな容姿で癒し、ほんわか発言で和ませる。懸賞金の使途を聞かれ「しゃぶしゃぶかな。タレはポン酢派」というのがあった。こんな時代にはうれしい存在だ。早く出世し、あの腹で横綱を受け止めてほしい。勝敗が決した後の朝青龍の挙動、山本山のコメントには、食後酒に通じる楽しみがある。酔えるかどうかは好みの問題だが。