フセイン元大統領(イラク)、死刑執行
イラクのサダム・フセイン元大統領(69)の死刑が30日、バグダッドで執行された。米英が主導したイラク戦争で、旧政権が崩壊してから、3年半。約四半世紀にわたり独裁体制を敷いた旧指導者は、26日の死刑確定から4日後に絞首刑となった。イラク政府は旧体制と決別を強調し、復興に向けた国民の統合を呼びかけたが、激しい宗派対立で治安状況が改善する見通しは立ってない。
自他共に認める、ヒューマニストのこの私が、フセインの死刑執行を当たり前のことだと認めているのです。いや、自然的です。
国の政治を掌る執行責任者(為政者)は、先ずは、国民全ての生命の安全を確保することではないのか? 国民の一人一人が、安全で、安心して、将来の豊かさを確信して暮らせるような状況を作りだすことではないのか。当然、諸外国とも協調しながら国益も考えなければならない。そこで、以前、私は私のブログで、朝日新聞の天声人語の記事を利用したその文章を又、ここで使わせて頂くことにする。
ここから~
230年前に独立した時、アメリカは北米大陸の中の、新しい一つの国でしかなかった。初代大統領となったワシントンは、3期目には立候補しないことを表明した後、議会で決別の演説をした。「ある特定の国々に対して永続的で根深い反感をもったり、他の特定の国々に対して深い愛着をもったりせず、かわりに、すべての国に対して正当で友好的な感情を育むことが何よりも重要である」(井上一馬・編著『後世に伝える言葉』小学館)。 生まれたての国の未来を案ずる切実な思いが伝わってくる。超大国としてではなく、世界の中の一つの国として、建国の父の精神を思い起こす好機だ。~ここまで
* 注 今、現在のブッシュ大統領は、初代大統領のワシントンの考えとは、全く逆方向に進んでしまった。ワシントンさんは、さぞかし草葉の陰で嘆いていらっしゃることでしょう。このイラクのフセインを、かってイラン・イラク戦争において、欧米は支援した。今度は、手の裏を反す様にイラクそのものの国潰しを行った。歴史的にも、アメリカは、ブッシュは、破廉恥な国、破廉恥な大統領に成!り!果!て!て!し!ま!わ!れ!た。
誰が言ったのか知らないけれど、人間一人の命の重みは、地球よりも重いと。この意味が分からない人は、政治執行者になる資格がない、と同時に間違っても絶対になってはいけない。冒頭、フセインが絞首刑で死んだと知って、そんなことは当たり前だと記したのは、いろいろあるフセインの悪政のなかで、クルド地域における毒ガス兵器による住民殺害、キルクークにおけるクルド人やトルクメ人虐殺、特定の宗派に対する容赦ない弾圧を知ると、こんな奴、早くこの世から抹殺しなければならない、と思っていた。 自由はなくとも暮らしは安定する「独裁社会」か、それとも、明日の命もしれない混乱の「民主化」か、と選択を求められたら、必ず「民主化」です、と手を挙げるだろう。独裁社会で、社会が少しばかり安定していても、差別されたり、弾圧されたり、虐げられた人々が存在する事実に、注目しなければならない。一部の体制側の人には、結構、都合いいものだろうが、そんな国家なんて砂上の楼閣に過ぎない。そんな定理を、イラクはあらためて世界中に知らしめた。このことと、同じ意味で、同じだけ重要なことは、米国のブッシュも同罪だということです。
サダム・フセイン元イラク大統領(2006年12月31日 朝日)
1937年4月28日、バグダッドの北約150キロのティクリートに生まれた。20歳でアラブ民族主義を掲げるバース党に入党。59年、当時の首相暗殺計画に加わったとして死刑判決を受け亡命。63年に帰国。68年のクーデターで指導的役割を演じ、79年に大統領に就任。80年から88年までイラン・イラク戦争。末期に国内のクルド人を化学兵器で攻撃した。90年、クウェートに侵攻し併合を宣言するが、翌91年の湾岸戦争で米国を主力とする多国籍軍に敗れた。イラクの大量破壊兵器廃棄のための国連査察を拒否し98年に米英軍の空爆を受ける。03年には米国から亡命を求められが拒否し、イラク戦争に。政権は崩壊、逃亡中の同年12月に米軍に拘束された。
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