2007年1月10日水曜日

ゴン ありがとう 感謝してる。

ゴン 永眠。我が家の守護神だった。  

昨年11月中旬、ゴンの腰が立たなくなって、家族全員、ぎょっとした。永年付き合ってくれているM獣医さんに相談したら、「大型犬は多にして、そういうことはあるのです。小型犬よりも大型犬の方が間接を弱めることが多いのです。大型犬の8割方、関節をやられるのです」というもっともらしい説明。それで、腰を持ち上げる介護用品を買い求めた。その介護用品を使っての散歩を1週間ほど続けていたら、ゴンは自らの力で歩こうとしだした。神様、仏様、お天道様、有り難うございました、天にも昇る、喜びだった。

ところが、じゃ。俺のような不信心な心得の奴を、神様、仏様、お天道様、はそう簡単に赦しては、頂けなかった。

今月の6日。いつものように散歩に出かけようと声をかけても、ゲージから出て来ようともしない。抱きかかえて外へ出しても、その場にヘタリコンダまま、動こうとしない。ゴンの容態が急変した。唯、腰が立たないだけではなく、生きる意欲が減退しているように思われて、私は涙ぐんでしまった。ゴンを前に、俺自身も生きる力が抜けていく。情けないぞ、そんなに弱気になって、どうするんだ。今後どのようにゴンを介護してやれるのだ? 共に 強く、生きよう、と改めて覚悟した。

8日、私がゴンの腹に手を廻してお尻を持ち上げ、前脚だけで5メートル程前進、おしっこを一度しただけ。缶詰の肉と、ドライフーズを少し、自分の力で喰った。

9日、表情は、昨日よりもイイように思われた。昨日と同じだけ前進、おしっことウンコをした。我等家族全員で拍手、よかったね、と一時の安堵。おしっこが赤茶色で、臭いが強い。でも、最高級の缶詰の肉を、食おうとしない。手で少しずつ口の中に入れても、嬉しがらない。むしろ、迷惑そうなのだ、それが、私には非常に辛い。私は、不安で、心細く、おろおろするだけで、何をしてやればいいのか、さっぱり分からない。

10日、今朝9時頃、永眠した。

昨夜初めてのオムツをした。朝、オムツから糞尿が溢れていたので、お風呂で下半身を洗った。ベッドに戻して、食事を上げようとしても、口にしなかった。水はスプーン5杯ぐらいしか飲めなかった。

友人から、昨夜、頑張れなんて言うな、感謝をこめて、安らかに眠れるように、お祈りするのだ、とアドバイスを受けた。家族にその通りに話した。

 

 

ゴンの死を迎え、思い出が、知らず知らずのうちに、次から次と蘇ってくるんだ。

ゴンの10歳の誕生日(04 2 28)に記した文章です。   

 

ゴンが生後2ヶ月ぐらいで我が家に来たのは、今から丁度10年前。当時、我が家には凄まじい嵐が吹き荒れていた。

何と言っても嵐の中心は次女のHさんだった。

ゴンが我が家にやってきた時は、私45歳、女房K・41歳、長女M・16歳・高校1年生、長男S・14歳・中学2年生、次女H・12歳・小学6年生、三女SO・8歳・小学2年生。

その頃を思い出ししてみよう。

長女は多感な中学時代を苦しく耐えながら、K先生の指導のもと、SA女子大の付属高校に目出度く入学、長女なりに女子高校生として頑張りだした。

長男はサッカー部の顧問とは折り合いが良好ではなく、でも部友には滅茶恵まれ、サッカーと受験勉強に充実した生活を過ごしていた。

問題は次女のHさんだった。

自分は親からの愛情薄い、可哀想な存在だと一人合点をしていたのだろうか、私よりも女房である母・Kになんでもかんでも逆らっていた時分だ。

母・KはKで何事についても、筋の通った常識派、かつ、間違いをけっして許さない正義派。家庭内での口論や諍いは絶えなかった。学校での生活態度についても悪い評判ばかりが聞こえてくる。私たち両親は、肝を冷やりとさせられることばかりだった。

そんな時期に犬を飼おうということになった。

ほんとは、その時よりも随分前から子供達の間で、犬を飼いたいと話していたのを聞いていた。せめて三女が小学校に入ったら考えようと、女房・Kと相談していた。

そんな、ある夜。だから10年前の夜。

スナックで飲んでいた時のこと、ママと犬の話になった。私は即自宅に電話をして、犬を飼おうと思うのだが?と、家族の全員に賛否を採ってくれないかとKに話した。ママはスナック経営と犬の販売を兼業していた。私の希望は大型犬。ちっちゃくてちょろちょろする犬は神経質そうで御免被りたい。頭のいい奴、馬鹿な犬で余計な苦労はしたくない。そんな理由で犬種は私とママで、ラブラドールレトリバーに決めた。色は?黒がいい、白がいいと意見は散発したが、結局は馴染み深い茶毛にした。

我が家に来た時は、両手の上に載るほど、ネズミと猫の中間程の大きさ。可愛くて 可愛くて、見る者の全てに愛くるしい感覚を与えてくれた。生まれたままだから、当然のことながら行儀作法は何も身につけてはいなかった。けれど、そんな生後2ヶ月の犬でも、畳の部屋には入るなと教えたら、その時から畳の部屋には絶対入らなかった。小便と糞のシモ処理を教えるのに1週間はかかった。部屋の中で糞をしそうな時、小便しそうなふりをした時には、手身近にあるタオルや新聞紙を持って走って行って受けてやった。いつも、滑り込みセーフで、てんやわんやの大騒動。ほとんどこの仕事はKがやってくれた。

ゴンは生まれながらに腸が弱く、定食にしているドッグフード以外のちょっと変わったものを食った時は、必ず下痢をした。乳製品や油を含んだものには、滅法弱い。ゴンの健康に関しては、この弱い腸対策のみで、その他飼い主として頭を悩ましたことは何もない。

名前はどうしよう? 

俺には腹案があった、名前はゴンだ。住んでいるのが権太坂、当時のコマーシャルでタンスにゴン、日本のA代表でジュビロ磐田の中山がゴン、もうゴンしかない。家族の誰も反対しなかった。

それからの毎日、朝一番の散歩はこの俺様の担当で、私とゴンの特権だ、と家族に認知させた。。

雨の日も雪の日も、ゴンと私は幸せな時間を共有することになった。

強い雨の日はビニールで体を纏って家を出るのだが、途中で着崩れしてだらしない風体、終いには剥がれて濡れっぱなし。

ゴンは夜の間は家の中に居るので、朝、散歩のために家を飛び出すさまは、喜びに満ち溢れている。散歩の後の楽しい朝飯のことも、当然予測しているのであろう。雨の日も冷たい風の吹きすさぶ日も、ゴンは喜んで家を飛び出す。

仕事を前にして気分の高揚している私、元気いっぱいのゴン。嬉しそうなゴン、おのずから私も幸せな気分になる。仕事を控えての朝一番にとって、私の心身に及ぼす影響は絶大だ。

いい糞をした時はホットするが、軟らかい糞をした時は心配になる。最初の頃下痢でもした日には一日中気になって、仕事中でも家に電話することがあって、Kに笑われたこともしばしば。

子供が小さかった頃、あなたは子供の健康をちょっとも気に掛けなかった癖に、どうしたの? 又、ゴンとの散歩によって思わん喜びを味わうことにもなった。

散歩中、どこのお家の庭にもさまざまな庭木や手入れの行き届いた花壇、この頃は色鮮やかに配色をこらした寄せ植え鉢が、俺とゴンの目を楽しませてくれる。季節ごとに咲くように、一年を通して絶やさないように工夫されている。

~ ここまで。

 

 

追筆、私達家族はゴンに感謝することがいっぱいあります楽しかった

った思い出、ゴンが我々に教えてくれたことを、後日、あらためて

書かせていただきますので、その節はよろしくお願いします。

 

 

今日(10日)は、今後のことの打ち合わせのため、今、会社を出

て自宅に向います。

 

 

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