2007 11 19朝日新聞朝刊の記事をそのまま転載した。泣かせる記事を保存した。
野口V北京確実
東京国際 大会記録を更新
来年8月の北京五輪代表選考会を兼ねた2007東京国際女子マラソンが18日あり、アテネ五輪メダリストで日本記録を持つ野口みずき(29)=シスメックス=が大会記録を8年ぶりに更新する2時間21分37秒で初優勝し、2大会連続の五輪代表入りを確実にした。
2位は終盤まで野口と競ったサリナ・コスゲイ(ケニア)で、尾崎朱美(セカンドウィンドAC)が日本選手2番目の4位。前日本記録保持者の渋井陽子(三井住友海上)は7位に終わった。五輪代表枠は3人で、今夏の世界選手権銅メダルの土佐礼子(三井住友海上)がすでに内定。代表選考会は来年1月の大阪国際、同3月の名古屋国際が残っている。
勝利の証し 突き上げた2本指
「走った距離は裏切らない。マラソンは走れば走るほど味が出る」野口は常々そう口にする。ワコール時代から野口選手を指導する広瀬永和(ひさかず)コーチは野口の長所を「勝負への執着心」と語る。
アテネ五輪で金メダルを獲得し、ひとつの頂点を極めながら、野口の闘争心は変わらない。アテネ五輪のレースが終わってすぐに、藤田信之監督は言った。「これから先どうするか、自分で答えを出せ。プロになって金を稼ぐ方法もある」。そして続けた。「そうするんやったら、チームから離れてやってくれ」。野口が選んだのは競技を追求する道だった。
「とにかく誰にも負けたくない」。マラソン6戦で敗れたのは03年パリ世界選手権でキャサリン・ヌデレバ(ケニア)だけだ。そのヌデレバにも翌年のアテネ五輪でお返しした。それでも、野口は「タイムはヌデレバさんが上。その上には世界記録保持者ラドクリフさんがいる」と話す。
ゴール直後に突き出した3本指は、日本選手で初めて名古屋、大阪、東京の国内3大マラソンを制した証し。「ひとつの目標をクリアできた」。北京への道を開き「強い選手がいっぱいいるので今まで以上の練習をしていきます」。野口はさらに高い頂を目指す。(堀川貴弘)
仲間にVの恩返し 野口みずき選手
失業保険・自炊生活・苦楽ともに
晩秋の青空の下、かってのチームメイトらも沿道から声援を送った。笑顔でゴールした野口選手は、支えてくれた指導者と真っ先に喜びを分かち合った。10年以上指導を受ける藤田信之監督と抱き合い、海外合宿でもマンツーマンで練習を見てくれる広瀬永和コーチとは握手を交わした。
勝者の証しである月桂冠をかぶると、「大会記録更新を狙っていた。北京の道を開くことができてうれしい」と勝利をたたえる観客席に応えた。その大歓声の中にいたのは、同じチームで苦楽を共にした徳島県鳴門市の尾池(旧姓・田村)育子さん(29)と、東京都葛飾区の黒田(同・加岳井)ひとみさん(29)。98年、解任された藤田監督を追う形で、実業団を飛び出した仲間だ。
トレーニングルームやプールが完備され、寮生活で食事の心配もいらなかった生活が一変。コーチが住んでいた京都市内の団地に部屋を借り、食事は交代で作った。失業保険をもらいながら、公営体育館でトレーニング。3人で自転車を買いに行き、「まとめて買うから」と値切ったこともある。「チーム・ハローワーク」。いつからかそんな名前で呼ばれるようになった。
食事や練習用具の差し入れのありがたさが身にしみた。「色んな人に支えられて、走れるんだと気づいた。ずっと恵まれた環境にいたら、分からなかった。恩返しするには結果をだそうって。再出発の原点だった」。今は陸上を離れた尾池さんはそう振り返る。
2人は電車を乗り継ぎ、コース沿いを回って応援。野口選手とほぼ同時に競技場に戻った。「前半は競り合いで、自分のレースより緊張した。本当に良かった。風もあって暑かったのに、このタイムはすごい」と喜んだ。
「みずきーっ」
表彰台の一番高いところに立った野口選手に声をかけると、笑顔とピースサインが返ってきた。
黒さんは銭湯で野口選手と話したことを思い出す。「30歳になったら、3人で温泉でも行こうねって。でも、来年は温泉に行っている場合ではないですね」。記念の温泉旅行は、五輪応援ツアーに変わりそうだ。
両親も感涙
夜行バスに乗って三重県伊勢市から応援に駆けつけた野口選手の両親も国立競技場の観客席で抱き合って喜んだ。「みずきー」声援も涙で声にならない。母春子さん(56)は「最初があまりよくなかったから、大会新記録なんて信じられない。よく頑張ったと思います。おめでとうと言ってあげたい」と話した。
ゴールの瞬間、ガッツポーズした父稔さん(55)は「みなさんのおかげです」と周りの応援団にあいさつ。「五輪代表に選ばれたら、2大会連続のメダルという夢をかなえてほしい」
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