2007 12 11 朝日朝刊 社説
岡田新監督 オシム流を生かしつつ
サッカーの日本代表監督に岡田武史氏が復帰した。イビチャ・オシム前監督が病に倒れ、緊急の交代である。新監督を語る前に、前監督のことを振り返る必要があるだろう。
オシム氏が就任したのは昨年の7月。分裂前のユーゴスラビアの監督としてワールドカップ(W杯)で8強入りし、来日後は市原(現千葉)を率い、Jリーグの主要タイトルであるナビスコ杯に優勝した。立派な実績だが、何より新鮮だったのは、サッカーを題材に語る言葉の強さとテーマの多様性だった。
たとえば日本社会の分析。「今の日本人が勤勉かどうか疑問だ。非常に高い生活水準を保っているが、それは先代が作ってきた水準を今の人々が享受しているだけなのではないか」
日本人の特性はこうだ。「伝統的に責任を他人に投げてしまう。工場ならそれでも機能するかもしれない。サッカーではそれは通らない。上司も労働者も全員が一緒にいるのだから」(いずれも「日本人よ!」新潮社)
ボスニア紛争を体験し、指導者として欧州を渡り歩いた経験に加え、歴史や社会環境をふまえた視点には、どきっとするものが少なくなかった。
それを土台に掲げたのが「日本代表のサッカーを日本化する」という言葉だった。体格が違うのに、欧州や南米のサッカー大国で成功したスタイルを模倣してもだめだ。自らを見つめ直し、機動性や流動性といった特徴を生かしたサッカーを創造しよう。そこに道は開かれる。
その訴えはファンの心に響いた。志半ばで任を離れるのはさぞ無念だろう。
岡田監督はチームを途中から引き受ける。まずはW杯への出場権獲得が使命となる。重圧は容易に想像できる。
「やると決めたのは理屈ではない。横を見たら断崖絶壁で、これにチャレンジしなければいけないという気持ちになった」と就任の記者会見で話した。淡々とした表情のなかに、武者震いが出そうな思いが伝わってきた。
岡田氏が歩んできた道のりにも、山谷があった。10年前の就任は、W杯最終予選の遠征先で前任者が成績不振を理由に解任されたのを引き継いでだった。
監督経験はなかったものの、チームを立て直してW杯初出場を果たした。大会直前、スターだった三浦知良選手をチームから外した決断は大きな波紋を呼んだが、判断がぶれることはなかった。
W杯は1次リーグ3連敗で敗退。退任会見では「この10ヶ月で10年分ぐらい生きたような」と打ち明けた。その体験は本人だけでなく、日本サッカーの貴重な財産だ。それを生かしたい。
新監督はオシムが残したものを大事にしながらも、それにとらわれることはない。「日本人らしさを生かす」という考え方は同じでも、それを実現する方法論はたくさんあっていい。
危機は常に次の成長への好機である。
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