1月7日朝08:30、近くの神明社に社員全員で、初詣に出かけた。何もかも経費節約で、祈祷料も控えめ。各自お賽銭箱の前で、お祈りしました。貧乏会社だからこそ、お祈りしたい内容はヤマヤマある。神様は度量があって、太っ腹。図う図うしい参拝者とお思いになられたのではないだろうか。祈祷料ですか? 来年にご期待してください、と独り言。
その後は、中村社長から新年の訓示を受けて、通常の仕事に入った。
夕方に新年会を会社内で行った。これも経費節約のあおりを受けて、少ない予算で思いっきり酒を飲んだ。スタッフもそこらへんの事情はよく解ってくれていて、感謝している。
この宴席には二人の目出度い来訪者がいて、私にとっては嬉しい限りでした。一人は金融機関に勤めている山さん、もう一人は開発設計や土木工事を請け負う会社の柳さんでした。山さんは女性です。
山さんは、以前に勤めていた金融機関の時の弊社の担当者だったのです。その会社は、プロジェクト資金の融資をしてくれていたのですが、会社の都合でその業務をやらなくなったために退社を命じられた。3年間の在任中、弊社には78件の中古の戸建やマンションの購入資金を融資していただいていたのです。彼女から、退社する羽目になったことを聞かされた私は、即、君の身柄を俺に預けてくれ、と頼んだ。それは、彼女の能力を私の会社は勿論、勤務先でも高く評価されていたことを熟知していたからです。彼女を、弊社の仕事の領域内に、私の目の届く処に留めて置かなければいけない、そんな使命感に燃えたのです。身勝手な私の思いつきに彼女は、迷惑だとは思わなかったらしい。むしろ、今までの仕事が面白かったので、できるものならば、同じ仕事の転職先があれば嬉しい、と答えは返ってきた。私には思惑があった、秘策があったのです。早速、弊社のことをいつも表裏でサポートしていただいている金融機関Dの取締役の鈴さんに、連絡をとって、話を聞いてもらいたいことが発生したので、面会の時間をとってください、と依頼した。
取締役の鈴さんに、彼女の人柄、頭の良さ、気配り、仕事の的確さとスピードの速さ、それらを必死で訴えて、兎に角会ってみてください、と平身低頭お願いした。スタッフを採用中でもなかったのです。社長や専務に会わせる前に、会いましょうと言って頂き、山さんにその会社の沿革と取締役の鈴さんの電話番号を教えた。その後は、トントン拍子で入社が決まった。最初のうちは本社で、何かと教育を受けることになったようだ。入社後、1週間目あたりに会った時には、もう充分本来の、いつもの山さんらしく絶好調だった。よかったなあ、と安心した。私も大満足でした。
ところが、年が明けて山さんに横浜支店に転勤の辞令が出たのです。戦士は修業を重ねて、本丸に戻ってきたのです、なんて内心はほくそ笑んだ。その挨拶のために弊社に寄ってくれたのです。前任者の担当していた会社は、他のスタッフに振り分けて、山さんは新規開拓に専念しなさい、でも、アーバンビルド・パラディスハウスは貴女が担当しなさい、ということだそうだ。山さんの上司の弊社に対する配慮に感謝している。きっと取締役の鈴さんの気配りだ。宴会の席に彼女が居てくれると、急に華やかさが増し、元気を振りまいて、私たちにパワーを吹き込んでくれた。
もう一人は変な柳さんだ。彼とは4~5年前にはよく仕事をしたものですが、彼と私は仕事のことで大いトラブって、お互いに連絡を取らない状態が続いていたのです。弊社はその間、開発設計や土木工事を担ってくれる会社が数社あったものですから、何も柳さんに連絡をとらなくても、用は済んでいたのです。連絡を取らない間中も、彼のことだから、ひっちゃかめっちゃか頑張っていたのでしょう、私には、その辺りのことについては、興味ない。他人の会社のあれこれを推察したってしょうがない。
そんな彼が、何を思うたのか、何を考えてのことか、突然弊社にやってきたのです。数年前とは、変わらぬ表情で、変わらぬ服装で。魂胆はなにか、そんなことに私は斟酌しない。昔の喧嘩仲間が、ふらっと顔を出してくれたことに私は、面白いと思うのです。仕事をしたい、仕事をしましょうよう、そればっかりだ。以前と全然変わっていない。
そんな二人が、この弊社の新年会の宴席にいてくれるのが、私には非常に嬉しかったのです。
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