訳者・村上春樹
本の名前・キャッチャー・イン・ザ・ライ 「ライ麦畑でつかまえて」
世界的なベストセラー「ライ麦畑でつかまえて」などで知られるアメリカの作家、J・Dサリンジャーが、今年の1月27日、米ニューハンプシャー州の自宅で老衰のため、91歳で亡くなった、という新聞記事を見つけた。
この本を45年前に読んだ。その本の名前がちょっと気になったので、買って読んだのだろう。随分昔のことで、その本を買った動機は曖昧だ。当時の私は、大学受験に失敗して、来るべき大学生活のための資金稼ぎにドカタをしていた。大学サッカーのチャンピオンチームになんとしても、モグリ込みたい、とひたすらそれだけを考えていた。本の中の「僕」を、ナンチュウ生イキで生ヌルイ奴やなあと感じた程度で、その本がそれほど世界で多くの読者に愛されていたなど、想像もつかなかった。本当にサラット、読んだようだ。何が、そんなに名作なんだ、と馬鹿にしていた節もありか? 私は、私自身若者でありながら、「僕」の若者としての悩みや、焦りや苛立ちを「僕」ほど理解できなかったようだ。きっと私には、能天気だけど健康でいい加減な父母やすばらしい友人、先生、後輩先輩、仕事仲間に恵まれていたからなのだろう、ただ学業の仕上がりだけは、大いに悩みの種ではあった。
なんとか大学生になれたが、学校では友人は少なかった。一日のほとんどの時間は、サッカーもしくはそれに関することで費やしていた。私のクラスにはたった二人だけ女の子がいて、この二人とは話をする機会が、クラスの誰よりも多かった。それは、この二人はラグビー部のマネージャーをしていて、サッカーグラウンドの隣のラグビーグラウンドに毎日来ていたからだ。顔見知りになって親近感が生まれていたのだろう。
そのグラウンドに向かう彼女達と電車の中でバッタリ一緒になったことがあった。彼女らは、私が織田作之助の本を持っているのに気付いて、話題は今読んでいる本の話になった。私は、デカダンモノから戯作モノに、太宰から安吾、田中英光を思いつくまま喋った。その時、顔の小さい方の人が、このライ麦畑~を持ち出したのだ。彼女達には、嫌な思いをさせたかも知れないのですが、ライ麦畑~のどこがそんなに面白いの、なんて不遜な発言までしてしまった。ちょっと喧嘩腰だった。偏狭で、恥ずかしながら自己主張が強いのです。顔の大きい人の方が、私は好みだった。
そして、卒業後入社した電鉄系の会社を10年ほどで辞めて、横浜の不動産屋さんとして身を立てようと決心していた頃知り合った友人の、そのまた友人が、今度長野でペンションを始めたのですが、そのペンションの名前が、この本の名前の通り、ライ麦畑~なのです、ときたもんだ。友人が、友人にペンションのネーミングに、ヒントを与えたようだ。なに!そんなにまで、惚れさせてしまったその本は、やっぱりそれほど偉大なのか。でも、まだまだ腑に落ちなかった。私はその友人のことを尊敬していて、友人の言動は何かにつけて大事に受けとめていたが、それでも浮かぬ顔はいつまでもスッキリしなかった。
それから、25年は経ったのだろう。
そして、ここにきて、この本の著作家、サリンジャーが亡くなったという新聞記事を見つけた。その記事の中で、当然この本の話が出ていた。再三の出現だ。そこで、もう一度この本を読んでみようという気になった。村上春樹氏の訳本が最近発売されていることを知っていたものだから、尚更、この訳本で読み直したいと思った。生まれて初めて、アマゾンでこの中古本を買った。売主は仙台の人だった。
読後、売れっ子の村上春樹さんの訳でも、やはり私の気分は盛り上がらなかった。大人に対する苛立ち、不可解なおしきせ。他の人との違和感、価値観や考え方のの違い。若者の繊細で脆く傷つきやすく揺らぐ心模様は、最初に読んだ時と同じように、今度も痛く理解できたのですが、それでもいまいち、すっきりしない思いを友人に話したら、あれはねえ、英語で読むといいのよ、と返ってきた。
ええ、私ーがー英語でーー?。また、なんぜこんな処でーーーー、友人は難題を振り向ける? なるほど、青春時代に辞書を片手に教科書のように読んでいたら、ひょっとして私の読後感想は違ったのかも知れない。
ここで、自分の青春とこの本を合わせて振り返ってみるに、自我の本格的目覚めの青年期、「僕」の年と同じ頃の私、若者は何かに必ず悩むものだろうが、私には、悩む前にひたすらな希望や夢、目的を具体的に持っていたことが、サイワイだったようだ。そして、希望が叶って大学時代、サッカーにのめりこんでいった。目先の、諸々(もろもろ)の不都合や不合理、将来に対する不安、世間や大人への不信で、クラクラするようなことはなかった。若い雄馬は、鼻先に何もぶら下げなくても、夢中で走っていた。偉くならなくてもいい、金持ちにならなくてもいい、他人(ひと)様に迷惑さえかけなければ、何をやってもいい、郷里を離れる際の母の唯一の忠言だった。大学一のサッカーチームにもぐりこむこと、そして、もぐり込むことができたら、ひたすらサッカーに邁進するのみだった。くたばったり、ひるんだり、躊躇している場合ではなかったのだ。そんな私が、こんな「僕」を理解できないのは当然だったのだ。文科系の人からは、私たちのことを体育会系の奴等は何も考えてないからなあ、と思われていたのだが、私にとっては全くその通りだった。
この本の名前が何故ライ麦畑~になったのか?その辺りを村上春樹さんの訳本の一部を無断で引用させていただいて、ここに披露しよう。「僕」と妹のフィービーとの会話から。「僕」の悩みの総体としての心情が、言葉として漏れているーーーーーー。
「あの唄は知っているだろう。『誰かさんが誰かさんをライ麦畑でつかまえたら』って言うやつ。ぼくはつまりー」 「『誰かさんが誰かさんとライ麦畑で出会ったら』っていうのよ!」とフィービーは言った。 「それは詩よ。ロバート・バーンズの」(*スコットランドの国民的詩人)。 「てっきり、『誰かさんが誰かさんをライ麦畑でつかまえたら』だと思ってたよ」と僕は言った。
それからーー
《この物語のなかで、下の「僕」の話したことを、私は一番感動を持って読みましたーー山岡》
「でもとにかくさ、だだっ広いライ麦畑みたいなところで、小さな子ども達がいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子ども達がいるんだけれど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はその辺のクレージーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現われて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれぐらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんだけどね」
これからも、この本とはどんな処で、どんな風に又巡り会うのだろうか。まさか、英語で読むことになるのだろうか。不思議に縁のある本だから。
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20100208
朝日
池上彰の新聞ななめ読み
サリンジャーの死
「青春の一冊」がもつ魔力
池上彰(ジャーナリスト)
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池上彰さんが、各紙各様にサリンジャー氏が亡くなったことに触れ、若者の青春を描いてベストセラーになった「ライ麦畑でつかまえて」が、いかに多くの読者に愛されたかを、コラムで取り扱った記事をまとめていたので、そこの一部を拝借させていただいた。転載しました。
サリンジャーは、後半生は筆を折り、田舎に引きこもって、誰とも会おうとはしないまま、91歳の人生を閉じました。サリンジャーについて触れる以上、「青春」というキーワードと、このエピソードは必須です。
朝日新聞の「天声人語」は、
1951年の「ライ麦畑」は世界で最も読まれた青春の一冊に数えられよう。大人への嫌悪や孤独を描いて、それは狂おしく激しい、と表現した上で、「伝説に殉ずるように作者は逝ったが、遺産は世界で読み継がれることだろう。青春は短い。だからこそ、稀有な青春文学の頭上には、「永遠」の枕詞が色あせない、と語っています。
日経新聞の「春秋」は、
作詞家の秋元康さんに「借りたままのサリンジャー」という題名の歌があることに触れ、「この小説家の名を聞いただけで青春時代のほろ苦さや憂鬱、出口のない焦燥が胸によみがえる人も多いに違いない」と感慨に耽ります。「田舎町で隠遁生活を送っていたという氏は、移ろう世と人間の悲喜劇をどう見つめていたのだろうか」と思いを馳せ、この週末は、「彼に彼女にいつか借りたままの本を取り出し、思いにふける人もいよう」と文章を締めます。
読売新聞の「編集手帳」は、
自己を据える場所が見つけられないいらだちと、大人社会への反抗と、永遠の青春小説を残し、サリンジャー氏が91歳で死去した、と書き記す。孤独であったろう後半生については、みずからの後半生を原稿用紙にして小説のつらい続編を書いた、そんな気もする、と。
中年の新聞記者たちを、一瞬にして文学青年の昔に引き戻す。サリンジャーにはそんな魔力があるようです。
このライ麦畑~を、3日前の朝9時頃、新宿中央公園で読み終えた。その後、西新宿にある東京オペラシティにある会社と打ち合わせをするために向かったのですが、待ち合わせ時間よりも早く着いたので、2階の本屋さん、KUMAZAWAで時間潰しを図った。以前から頭の中にこびりついていた梶井基次郎の「檸檬」を偶然見つけてしまった。一冊の文庫本にたくさんの短編がおさめられていて、420円也。久しぶりに中古本でないものを買った。
60年前のサリンジャー、80年前の梶井基次郎。アメリカの悩む若者の姿を描いて、その後、社会との接触を避け、人知れず隠遁生活に入ったサリンジャー。
今度はーーーー、人間の苦悩を見つめ31歳の若さで凄絶に夭折した梶井基次郎の作品に触れてみたくなったのです。