2010年3月22日月曜日

山脈(やまなみ)

20100320(土)

19;00~22:00

山脈(やまなみ)

木下順二/作  入江洋祐/演出   林光/音楽

ブレヒトの芝居小屋・東京演劇アンサンブル

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街は3連休の初日だ。ブレヒトの芝居小屋まで、横浜からのどの道路も非常に混んでいた。

先日、「桜の森の満開の下」を観に来た時に撮った写真を、この劇団代表者の入江洋祐氏に渡した。入江家の父(洋祐)、母、息子(龍太)、娘(紡子)の4人だけの写真なんて、我が家にはないのよ、と母上から言われて、偶々(たまたま)カメラを持っていた私は、それならばと腕に磨きをかけて、一家4人勢ぞろいの写真を撮ったのでした。入江家にとっては、貴重な写真になったのだ。芝居小屋の客席に着くと、舞台担当の入江龍太氏が寄ってきて、前回の桜の森~の舞台や道具を作った際の苦労話を、楽しく振り返りながら話してくれた。余程、あの芝居には精も魂も使ったようだ。彼は、ますます「舞台屋さん」の風格を滲ませてきた。

彼との共通の友人である昌にも、招待状を送っておいたんだけどなあ、とこぼしていた。次回には、昌を連れて来てやろう、きっとこの舞台監督は、昌にも自分の仕事を見てもらいたいのかもしれない。お客さんは、芝居の内容からオジサン、オバサンが多かった。この芝居をかって何所かで観て、郷愁の思いにかられて来たと思われる人も多かった。

お芝居の内容は、頂いたプログラム等を貼り付けましたので、その方でご理解ください。ちょっとサボリ気味です。すみません。

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パンフレットより~

1945年、東京大空襲、疎開、原爆、敗戦、戦後。

とし子は、出征した夫の親友山田の勧めで、義母とともに山村に疎開する。山田ととし子は愛し合っていた。義母と暮らしながらとし子は、山田の農村研究を助けるための聞き取り調査をすることで自分の気持ちを抑えていた。しかし、夫の戦死の報せが届き、山田には赤紙が届く。とし子は入隊するまでの30時間を愛する人と過ごすために、家を捨て広島へ向かうーーーー。

戦争という極限状態のなかでほんとうに生きようとする人間の熱い想い。1968年『蛙昇天』でシュレを演じて以来この作品に憧れてきた入江洋祐が、木下順二の傑作に挑む。

とにかくぼくは生きたいんだ。死なないで生き延びたい。石にかじりついてでも。そして生き延びて、思う存分いつかは仕事がしたい。あと十日もすりゃぼくはどこの戦場で銃を構えているか分らない。僕の意思とは全然別に。ただ人形として。

あたしにもやりたいことをやらしてよ。どうせお互い、どうなっちゃうか分らないじゃんじゃないか。あたしは今まで我慢して我慢して自分を殺してきたのよ。かわいそうなほど自分を殺してきたのよ。だけど、もういや。あたしにも今度一度だけは好きなことをさしてよ。

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(練習風景)

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「青い山脈」  入江洋祐

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兵なれば婚約解かむと申されき (昭和16年12月8日)

昨年12月読売新聞に投稿された短歌である。

その1941年(昭和16)年から既に68年経っている。作者は80歳を超えている筈だ。彼女は68年間、毎年、いや毎日この時の衝撃を思い浮かべていることだろう。おそらく志願兵であったろう彼は、12月8日の天皇の開戦の勅令と、真珠湾攻撃の報道を知り、自己の死が確定したと考えたに違いない。そして、愛する人のために婚約を解消した。君は自由でなければならないと。ぼくは戦争中疎開児童だった。その伊豆の山村で別の形の結婚も見た。突然の召集令状、赤紙が届き、娘さんの方からせめて式だけでもと申し込まれて、三々九度の盃を交わし翌日出兵、戦死。花嫁は出征兵士の妻としてずっと婚家で過ごし生涯独身を通した。小学生だったぼくはその行為を誇り高く美しいものだと思っていた。そして正しいことだとも。でもいま思う。《美しかった》のだろうか、《正しかった》のだろうか。あまりにもむご過ぎる、あまりにも悲しすぎると。

『山脈』のとし子は愛する山田に召集令状が届き、翌日入隊だと告げられた時、即座に決意する。残された30時間を一緒に過ごそうと。そして広島へ出奔する。戦死した夫とその母、山田の妻子に対する大きな背信行為だ。そして大日本が何百年もかかって創りあげた、大切な伝統を、美意識を破壊する《反逆》であり《不倫》である。でもぼくはこの瞬間のとし子がたまらなく好きだ。縛られていた道徳、規律、文化を喰い破る。人間の自由への投機。木下順二は「本質的に非常にエゴイスティックな恋愛」を描きたかったのだと語っているが、その《個》のエゴイスティックな行為が、人間の《自由》への残された隘路(あいろ)なのだ。しかし、こうして獲得した自由も小さなものでしかない。そして、木下順二の生涯を貫くもう一つのテーマ「個人が抹殺されることによってでなければ、歴史ってのはつくりだされてこないだろう」が現われてくる。

三幕、原爆で山田を失ったとし子が、若いよし江に語る。「どんどん歩いてきたのよ、夢中にね、山なみに向かって。ーーーーだけど、ちっとも近づいてこないのよ、山なみが。歩けば歩くほど向こうへ行っちまうような気がするのよ」。この感覚はぼくの、現在の喪失感にピッタリなのだ。なにもかもが、芝居を始めてから55年、世界が良くなったという実感がないのだ。犇犇と悪くなってゆく。なにをやってきたんだと自戒している毎日だ。「山なみがどんどん向こうへ」行ってしまうのだ。

戦後『青い山脈』という小説が映画が歌があった。「若く明るい歌声に、雪崩も消える、花も咲く」と唄った。「古い上着をさようならーーー」と唄った。あの輝かしい青い山脈を求めて、ぼくたちは歩きつづけなければならない、息をきらせながら。

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