写真は読売新聞より。23日、北朝鮮の攻撃を受けた延坪島。島内の港では島民たちが立ち上がる煙を見つめていた=聯合AP
日本から海を越えた一番近い国、韓国。北朝鮮が韓国に砲撃した。戦争だ。こんなことが、身の回りで現実に起こった、私には初めての経験だ。哨戒艦撃沈とか飛行機爆破とかは以前にもあったことだが、民間人が住んでいる住宅街を爆撃するなんて、私には到底考えられないことだ。大変なことをしでかしてくれたものだ。
私が大学4年の時、24歳、1972年に韓国に行った。その時のことを思い出したので、少し触れてみたい。韓国に行ったのは、日本に一番近い外国で、当時、私は大学のバリバリの体育会のサッカー部に所属していたのですが、サッカーでは韓国代表に日本代表がいっつも負けていて、我々と同じ世代の韓国の大学のサッカーがどんなものなのか、実際に自分の目で確かめたかった。日本が勝ったことも引き分けたこともあったのですが、私の分析では韓国が体力的、戦術的にもいつも勝っていた。試合に賭ける執念でも韓国は勝っていた。私が所属していた大学のサッカー部は、高麗大学と毎年親善試合をしていて、こっちも勝ったり負けたりだったのですが、日常の練習がどのようになされているのかを見たかった。旅程は10日間、使える費用は総額3万5千円。翌春、就職したのですが、初めてもらった給料の手取りが5万円だったので、3万5千円はさほど少ないということではなかった。東京から下関までの往復は、キセルが絶対条件だった。下関から関釜フエリーに乗って釜山に入った。韓国のオバチャンが、日本からの荷物をいっぱい背に担ぎ、両手にいっぱいぶら下げて乗り込んできた。ペチャクチャペチャクチャ強烈にうるさかった。商売熱心で気丈夫なオバチャンたちだった。キムチのせいか、ニンニクのせいか。渡航費は往復だと1万円。往復券を買うと1割引で9千円だった。早朝釜山港に着いた。
釜山からは日本の対馬が見えた。釜山の何とか公園には、日本からやってきた豊臣秀吉の軍を追い払った李氏朝鮮軍の大将の銅像が日本に向かって建っていた。釜山港や釜山駅が見下ろせた。この何とか大将と伊藤博文を撃ち殺した安重根(アン・ジュングン)は、憎っくき日本との抗戦の歴史に残る韓国の英雄なんだろう。その公園は釜山市民の憩いの場だった。教科書で習った文禄、慶長の役がこれだ。釜山からソウルまでは、列車・統一号に乗った。釜山の駅長さんが鳥取の出身者で、私に日本語で釜山の町の事情やソウルへの行き方、ソウルの町のことを話してくれた。それも駅長室で。ソウルのミョンドン(明洞、このような字を当てるのではなかったか)で、当時の反抗詩人、キムジハ〈金芝河)がよく酒を飲んでいたと謂われていた酒場で、彼の血、反軍、民主化の血は俺にも流れているんだ、そんな気障なことを口走りながら、マッカリー(濁酒)をあおるように飲んだ。店では、韓国の大学生とも話ができた。梨花女子大だったか、奇麗な女学生もいた。キムジハの長編詩「五賊」を読んで、私はイカレてしまっていたのです。反共法で逮捕されたが、その後も度々逮捕されたが、軍事政権下において言論弾圧には屈しなかった。韓国の学生からは、キムジハの話は聞き出せなかった。感心が薄いことに、何だか、肩透かしを食わされた思いだった。
午後だったか午前だったか、ソウルの町の上空に飛行機が現われ、ウ~ウというサイレンが鳴って、歩道を歩いている人は物陰に隠れ、車は路肩に止めて黄色い旗を揚げていた。往来には人っ子一人もいなくなるのです。飛行機は新聞社のもので、敵機に擬(なぞら)えた。建物にも、一番高い位置に黄色い旗が取り付けられていた。何しろ記憶は薄れているのですが、思い出せるだけ思い出してみよう。私も皆と同じようにビルとビルの間に隠れた。そうすること20分ほどで、敵機もどきは去っていった。人はぞろぞろと物陰から出てきて、車は旗を下げて走り出すのです。
その時に初めて、韓国は戦・争・状・態にあるのだということを知った。まだ戒厳令が出ていたのです。高麗大学のサッカー部のなかにも、徴兵を終えた人もいた。夜も外へ出るのには、時間制限があったように思う。10時か、11時以降は外出はできなかった。マッカリーが飲みたくて、薬缶で酒屋に買いに出て、旅館のおばさんに叱られた。
飯を食いに食堂に入ったら、女の子が私のオーダーを聞きながら、私の髪の長い頭を見ながら不機嫌な表情をするので、どうしたんだ?というような顔をしたら、その彼女が言うには、長髪はナンバーテンだと言うのです。男として、ナンバーテン。男として私の姿が、最悪だと言うのです。長髪は格好悪いのだ。韓国人なら、もう立派な国賊モン扱いだ。
朝、ホテルをチェックアウトして、これから何処へ行こうかと考えながら、うろちょろ道路を歩いていたら、警官が私の傍に寄ってきて、確か「パルリー」と言いながら、本気で怒っているのです。怖くなって、警察の目から逃げるように、その場から離れました。それは、急げと言うことなんだよ、と帰国後友人に教えてもらった。ゆっくり歩くことも許されない国だったのです。少し前、横浜でAPECが開かれ、横浜には警察官がそこらじゅうにいて、横断歩道で立ち話でもしようものなら、走ってきて早く通り過ぎてくださいと言っていた、あれと一緒だ。
バスで板門店に向かって高速道路を走っていた。軍隊か警察によってバスは止められ、乗り込んできた兵隊か警察官に取調べを受けた。身体検査をされた。銃器を持っていた。表情は怖くなかったが、それでもこのようなことに慣れない日本人にとっては、クワバラだった。板門店は異様な警戒感に包まれていた。盗むようにカメラを北に向けて撮った。北朝鮮の兵隊が銃をこちらに向けて立っているのが小さく見えた。その後、板門店は観光の名所になり、今は、今回の北朝鮮の韓国への砲撃事件で、板門店には近づき難くなっているようだ。
高麗大学の本校があるグラウンドに着いたら、此処はサッカー部が使っているグラウンドではないと言われ、事務局へ行って、サッカー部が毎日練習しているグラウンドを教えてもらったのですが、肝腎のサッカー部は今、地方に遠征中と言われてしまった。韓国語が喋れないために、事前にそのような情報を得ることをしなかったのです。
それから、数日ソウルの町を徘徊した。いろんなことがあったが、ここまでにしておこう。又の機会があるだろう。
私の大学時代の友人・金さんの叔父さんは横浜市の石川町に住んでいて、金と私がそのお宅にお邪魔をした時のことです。今から15年ほど前のこと。叔父さんが金に話しているのを聞いて、驚いたのです。「イサオ〈金のこと〉、来月ポサン団(墓参)として韓国へ行くんだが、怖くて、恐ろしくて心配しているんだよ。殺されるんじゃないか。帰って来れないんじゃないか」、とそんな話を真顔で金に話していた。この会話を私はその時は理解できなかった。墓参団で韓国に行って、何故、そんなに怖がることがあるのかと。後で、金の説明してくれたことによると、叔父さんは朝鮮総連の仕事の一部を手伝っていたので、韓国政府からは、注意人物と見られていないかと言うことだった。1948年、私が生まれた年だ、朝鮮半島が二つの国に分かれて、東西冷戦で、政治的にも対立する羽目になってしまった。市民生活のレベルでもこのような不幸が生まれていることを、初めて知った。祖国の分裂がこのような家庭内にも不幸の影をさしていたのだ。東西冷戦の犠牲だ。韓国系の民団(在日本大韓民国民団)と北朝鮮系の朝鮮総連(在日朝鮮人総連合会)は対立していた。金は叔父さんに、建物の角を回るときには少し注意した方がええですよ、大きく回れば大丈夫ですよ、と半ば冗談の心算で言った言葉を、叔父さんは真剣に聞いていた。
韓国大延坪島で24日、北朝鮮の砲撃によって被害を受けた海兵隊官舎の前で報道陣を制止する韓国軍の兵隊=ロイター
20101124、25の朝日新聞・朝刊1面の記事をそのまま転載させていただいた。
2兵士死亡、住民も負傷
大延坪島(テヨンピョン) 陸地砲撃は休戦以来
【ソウル=牧野愛博】韓国国防省によると、北朝鮮南西部の黄海南道に駐屯する北朝鮮軍が23日午後2時半過ぎから、韓国の大延坪島やその周辺海域を断続的に砲撃した。同日午後3時40分ごろまでに数十発の砲弾が撃ち込まれ、韓国軍に死者2人、重軽傷者16人の被害が出たほか、民間人が少なくとも3人負傷した。韓国軍も応援措置として対岸の北朝鮮軍陣地に砲撃80発を加えた。
1953年に朝鮮戦争が休戦した後、北朝鮮軍が韓国領土の陸地を直接砲撃したのは、今回が初めて。今秋、南北離散家族の面会事業などで緊張が緩和しかけていた南北関係は再び緊張し、北朝鮮核開発を巡る6者協議の行方にも大きな影響が出そうだ。
大延坪島は、海上の軍事境界線に相当する北方限界線(NLL)挟み、北朝鮮から南に十数キロ。北朝鮮の海岸砲による砲撃で市街地など島内数ヶ所で火災が起き、民間家屋60~70軒も破壊された。島内には民間人1100人以上が住み、韓国軍約500人が駐屯しており、民間人は島内の施設や本土へ退避した。
現場海域では韓国軍が22日から演習をしていた。北朝鮮は国連軍の設定したNLLの有効性を認めていない。朝鮮中央通信によると、北朝鮮軍最高司令部は、砲撃は韓国軍演習への対抗措置だとして「我々の領土を侵犯すれば、無慈悲な軍事対応打撃を加え続ける」と警告。先に砲撃したのは韓国だと主張した。
韓国の李明博(イミョンバク)大統領は23日午後、緊急の外交・安全保障関係閣僚会議などを開き、「状況が悪化しないよう万全を期せ」と指示。同夜には韓国運合同参謀本部を訪れ、「民間を無差別に攻撃した重大な事態だ」と強調。北朝鮮が再び挑発した場合、通常の対応の枠を超えて応戦する考えを示した。
韓国統一省は同日、25日に予定された南北赤十字協議の無期限延期を発表した。
韓国軍は、砲撃が朝鮮戦争の休戦協定などに違反すると判断、北朝鮮軍の砲撃陣地に集中的な反撃を加え、「相当な被害を与えた」とした。周辺海域一帯に、局地挑発に備えた軍の防衛準備態勢を最高基準に格上げして発令。空軍機も現場海域に待機させた。
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「村全体が萌えている」
【ソウル=箱田哲也】「村全体が燃えている。真っ黒な煙で何も見えない」---。北朝鮮から砲撃を受けた韓国・大延坪島の島民たちは23日、韓国YTNテレビの取材に当時の生々しい状況を語った。
「船に乗り込もうとしたところで砲弾が落ちてくるのを直接見て、逃げた。まだ目の前に真っ赤な火柱が立っている。今は橋の下に約20人の住民と避難している。道路にはだれ一人としていない」
島の生まれと言う40代の男性は、電話口で話した。「子供が学校にいる。心配だ」「村が廃墟になった。震えている。早く島を出たい」
砲撃は白昼、何の予兆もなしに始まった。50代の男性は「『これは訓練ではない、実戦だ。すぐに避難しなさい』という放送を聞き、近くの学校に逃げてきた。ここから見えるだけで10軒以上の家が燃えている」と話した。
「みんな『戦争が起きた』と言い合っている」。被弾した集落に住むイ・ジョンシクさんは、「一発落ちるたび、すごい衝撃だった」。
ソウル中心部から100キロ以上西の黄海に浮かぶ大延坪島は、「住民千数百人の大半が漁業か農業で生計を立て、ふだんは静寂に包まれている。
付近海域で交戦があるなど、いったん南北が衝突すると緊張が走る「海の火薬庫」のような地域ではあった。だが40代の男性は「これまでとは全く違う」と語った。
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20101128の朝日の社説より
朝鮮半島
米中、そして日本の役割
北朝鮮が砲撃した韓国領の島から遠くない黄海で、きょうから、米国と韓国の合同軍事演習が始まる。北朝鮮は「挑発を敢行するなら、2次、3次の強力な物理的報復を加えることになろう」と反発している。
北朝鮮への一定の圧力は必要だが、再び軍事衝突を招かないような冷静な運用と対応が求められる。
北朝鮮は「挑発を敢行するなら、2次、3次の強力な物理的報復を加えることになろう」と反発している。北朝鮮への一定の圧力は必要だが、再び軍事衝突を招かないような冷静な運用と対応が求められる。
緊張の緩和と危機の管理へ、米国と中国が果たす役割が大きい。
北朝鮮が砲撃した韓国領の島から遠くない黄海で、きょうから、米国と韓国の合同軍事演習が始まる。北朝鮮は「挑発を敢行するなら、2次、3次の強力な物理的報復を加えることになろう」と反発している。
北朝鮮への一定の圧力は必要だが、再び軍事衝突を招かないような冷静な運用と対応が求められる。
北朝鮮は「挑発を敢行するなら、2次、3次の強力な物理的報復を加えることになろう」と反発している。北朝鮮への一定の圧力は必要だが、再び軍事衝突を招かないような冷静な運用と対応が求められる。
だが、これだけでは、中国に集まる国際社会の厳しいまなざしを満足させるものではあるまい。
北朝鮮が砲撃した韓国領の島から遠くない黄海で、きょうから、米国と韓国の合同軍事演習が始まる。北朝鮮は「挑発を敢行するなら、2次、3次の強力な物理的報復を加えることになろう」と反発している。
北朝鮮への一定の圧力は必要だが、再び軍事衝突を招かないような冷静な運用と対応が求められる。
北朝鮮は「挑発を敢行するなら、2次、3次の強力な物理的報復を加えることになろう」と反発している。北朝鮮への一定の圧力は必要だが、再び軍事衝突を招かないような冷静な運用と対応が求められる。
北朝鮮は「挑発を敢行するなら、2次、3次の強力な物理的報復を加えることになろう」と反発している。北朝鮮への一定の圧力は必要だが、再び軍事衝突を招かないような冷静な運用と対応が求められる。
今年は朝鮮戦争が開戦してから60年だ。北朝鮮は砲撃の後、朝鮮戦争で戦死した中国の故毛沢東主席の長男の生涯を描いた中国のテレビドラマを放映したり、墓前に閣僚らが献花したりして、中国の歓心を買うような行動を見せた。
とはいえ、北朝鮮の今後の暴挙中国は強くいら立っているに違いない。演習名目とはいえ、ひざ元の黄海に米軍の原子力空母まで来させることになり、心穏やかではなかろう。
中国は今年、金正日総書記の訪問を2回も受け入れ、友好を演出した。経済やエネルギー、そして食糧の面で気や朝鮮の生命線を握ってもいる。
そんな中国も、北朝鮮の核実験やウラン濃縮の開始を防げなかった。その影響力に限界があるが、世界で急速に存在感を高める中国は、それに伴う責任も果たすべき大国である。より強い説得に当たってもらわねばならない。
米国も今回の事件による危機を押さえ込むために、中国との高官協議の実現を探り、これまで以上に中国の影響力行使を求めている。近く、日米韓の外相会談も開きたい考えだ。
米国は中国とともに朝鮮戦争の当事者でもある。それだけに、東アジア地域の平和と安定の確保にとりわけ重い役割がある。米中の首脳同士をはじめ、あらゆるチャンネルを使って緊張緩和に努めてほしい。
そして、日本は「中国頼み」「米国任せ」にとどまってはならない。
日本は、国連安全保障理事会の非常任理事国だ。北朝鮮情勢は、東アジアで最大の安全保障問題であり続けている。安保理などの場で、北朝鮮に国際社会の一致したメッセージを出すよう積極的に動くべきだ。
韓国では、北朝鮮への強硬論と戦争の不安が交じり合い、社会が揺れている。日本は韓国に思いを致し、安定回復に向けて連係を強めたい。
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20101130 朝日朝刊・社説
朝鮮半島 米中が対話の環境作りを
「対話と協力を通じて努力し、人道支援mp惜しまなかったのに、返ってきたのは、核開発と哨戒艦爆沈に続いて島への砲撃だった」
韓国の李明博大統領が昨日、国民向け演説でそう憤ったのも無理ない。
哨戒艦事件で兵士46人が犠牲になった。今回の砲撃は民間人を含む4人の命を奪い、多くの民家を焼いた。
いま最も大切なのは、更なる衝突を回避し、緊張を和らげることだ。当事者はむろん、関係国はそのための知恵を絞らねばならない。
中国政府が、6者協議の代表による緊急の会合を呼びかけた。
6者協議は本来、南北朝鮮と日米中ロが参加し、北朝鮮の非核化、米朝や日朝の関係正常化をめざすものだ。中国が提案したのは、核問題を扱う正式な会議ではない。「最近半島情勢に複雑な要素が現われている」といい、6者で意見交換をしたいという。
北朝鮮に影響力を及ぼすよう求められている中国が、真剣に動いていることを世界に示す。対話を提案しているとき、北朝鮮は新たな挑発をしづらくなるだろうーーー。6者協議の議長国である中国が、そう期待しての提案かもしれない。
事態好転の糸口を探ろうという狙いはわかる。だが、今いきなり6者代表が集まって、現実的な成果をあげられようか。
韓国は「まだその時期ではない」と反応している。米国も、北朝鮮が「態度の変化」をはっきり示すことが先決だとする立場を明らかにした。
韓国は「まだその時期ではない」と反応している。米国も、北朝鮮が「態度の変化」をはっきり示すことが先決だとする立場を明らかにした。
日本もそれに同調している。北朝鮮は行為の責任を認めるなど、先にすべきことがある、という姿勢だ。
北朝鮮は、韓国の挑発が砲撃の原因だと反論している。新たな核開発につながるウラン濃縮施設の公表や軽水炉の開発のほか、核実験の準備ととられかねない動きも見せている。
これでは、6者が顔を合わせたところで平行線に終わる。だが、何もしないままでは、緊張と膠着状態が続く。北朝鮮の核をどうするかも、いずれ本格的に打開する必要がある。
局面を転換させる大きな力を持っているのは、やはり米国と中国だ。
一昨日、クリントン米国務長官と、中国外交を統括する戴耒国国務委員が電話で話し合った。戴氏は「重要なときに中米が建設的役割を積極的に果たさねばならない」と語った。
その通りである。両国が対話の環境づくりに協力して努めてもらいたい。
米国は日韓との外相会談を開く意向だ。中国は近く高官を訪朝させると観測されている。北朝鮮を説得し、各国を調整する。米中のそんな取り組みがあってこそ、6社が会える素地ができる。この戦略に沿って日本も、朝鮮半島の緊張緩和に貢献すべきである。
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