2006年12月13日水曜日

台湾代表監督 今井敏明君。君の活躍に期待する。

 



 

今井敏明は、早稲田大学ア式蹴球部(通称:サッカー部)の昭和52年度卒業生。高校は浦和西高校。学生時代は、ガッツある元気者で、硬い体でガツウン、ガツウウンとプレーする選手だった。大学では、私のほうが4年先輩だったので、同じ時期に同じグラウンドで一緒に練習したことはない。彼は私の卒業と入れ替わりに入学してきた。

でも、彼たちの学年は楽しい奴ばかりで、私は卒業後も彼らが4年になるまで、練習や試合をよく観に行ったものです。彼らは卒業後も、各界に華々しく活躍しています。奴等のキャラクターならば、当然のことのように活躍するであろう、と想像はできた。


結果、今井敏明以外、学校の先生は4人、教育委員会、大手医療器メーカー、老舗百貨店、酒醸造会社、スポーツクラブ、大学サッカー部の監督さん、大手食品会社、大病院の事務局、大手飲料会社、事務機器販売等で、各地で遺憾なく腕を振るっている。


卒業後、彼たちは1年に1度の試合を取り込んだ同窓会をあっちこっちでやりだした。今年で、30年は続いている。彼らに親近感を持っていた私と田中正親は、当然のように毎年参加している。


その今井敏明君が朝日新聞に大きく取りあげられたので、マイ・ポケットする。私とは随分、人生観、価値観、スポーツ観が違うのだけれども、今此処でそんなことを議論する余地はない。頑張っている今井敏明に、もっと頑張って欲しいとエールを送りたいのです。



 


2006年11月27日  朝日(夕)



監督武者修行 


午前7時15分。台湾中西部・嘉義市の中正大学の一角で、サッカー台湾代表の朝礼が始まった。1人の選手が話を始めた。周りは笑って聞いている。最後を軍歌で締めた。「うまいじゃないか。ちょうど3分9.時計を見た今井敏明監督(51)が言った。2人目は2分で話を終えた。通訳が内容を伝える。「1人目は、会社の上司に誘われ、飲みに行くのが好きになった話。2人目は人に言われるだけでなく、自分の意見を持つことが大事だという教訓の小話でした。8月から、3ヶ月間、大学の寮を借りて合宿をした。


毎朝交代で3分間スピーチを課すようになったのは、「選手に考えさせ、主体性を植えつけるため」だ。午前の練習は10時に始まった。ほぼ北回帰線上にある嘉義の気候は熱帯に近く、10月下旬でも暑い。長距離走の合間にパスの基本練習を行う。「ただ蹴るんじゃない!パスだ!」今井監督が叫ぶ。疲れた状態での正確な球扱いが目的なのに、集中に欠ける雑なキックが目立つ。こんな合宿は初めて。学食の中華料理は口に合うが、さすがに毎食だと「機械的に口に運んでいる」と、今井監督は苦笑する。ほとんどの選手にとって、今井監督は初めて出会う外国人。その存在を有効活用しようと、台湾サッカー協会が日程を組んだ。


かってJリーグ・川崎フロンターレを率いた今井監督は、昨年12月から台湾代表(当時世界ランキング156位)を引き受けた。就任後、アジアカップ予選はここまで韓国、イラン、シリアの強豪相手に5連敗。失点が計21も喫し、得点がない。選手は大学生中心に20代前半が多いが、世代交代を図っているわけではない。今井監督は「こうなっちゃうんだよ。台湾の選手寿命はとても短いから」と話した。企業チームは台湾電力と大同の二つ。軍のチーム、大学、高校を加えた短期の大会などを年に数度開くだけだ。脂がのった社会人がしのぎを削る場は少なく、仕事をこなしながら漫然とプレーするだけになる。「台湾の選手は目標を設定しにくい環境にある」と、今井監督をサポートする陳俊明コーチ(37)も語る。今井監督は、代表に招集した社会人10人から「メリットがない」と断られた。運動能力の高い先住民も「プロがある野球に流れる」(陳コーチ)と言う。サッカー代表には2人しかいない。ほとんどの代表選手隠れて喫煙するのを今井監督は知っている。向上心にも欠けるのだ。就任当初は1時間半だった練習を1時間に縮めたのは、集中力を高めるためのやむを得ない工夫だ。10月には若手2人を横浜マリノスの練習に2週間参加させた。海外で、刺激を与えるためだった。台湾協会には、選手が目標を持ち切磋琢磨できるよ、環境の整備を求めた。林徳嘉秘書長は「企業チームを増やせなくても選手がサッカーに専念できるよう、個人スポンサーは探せる。また県ごとに社会人、大学生、高校生の混合選抜チームを作って戦うリーグを来年から作る」と、改善案を示している。午後練習は4時開始。対人プレーで、守備の位置取りや、それを突破する攻めの動きを説く。鄭勇仁主将(29)には「一つ一つの練習が何のためかを考えさせられる」と新鮮に映る。11月15日。アジアカップ予選最後のシリア戦も0-3で敗れたが、台湾協会は来年の契約延長を希望する。「何としてもここで結果を出す」。生まれ変わろうとする台湾と走り出した今井監督の思いだ。

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