2007年4月4日水曜日

教科書検定、集団自決『軍強制』を修正

文部科学省の教科書検定で、沖縄戦の『集団自決「軍強制」を修正』を求めた。

 私は、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」の次は、「朝鮮人強制連行」問題で、政府・与党議員とその一派たちが、何かを仕掛けてくるのではないかと、思っていた。
今度は、文部科学省が高校の教科書検定で、沖縄戦の『集団自決は「軍強制」を修正』を求めたことを、2007年3月31日の朝日新聞の朝刊が報じた。
なんだ、今度は「集団自決」か! と私は納得した。
私は、国旗・国歌問題から、イラク侵攻、南京大虐殺、従軍慰安婦問題に至る過程で、政府・与党議員とその一派の言動がどうにもこうにも、気に障ってしょうがなかったのです。
(南京大虐殺はなかったのです。いや、あったことはあったのですが、そんな馬鹿げた数の人を殺したわけではないのです。
従軍慰安婦問題については、軍の強制的な働きを示すものは何もないのですよ。)
こんな具合に、殺した人数を過少に表現することや、軍は強制的な役目をしなかったと表現することで、あたかも軍には責任がなかったかのように、日本国家は、そんなに大して悪いことは行っていない、とでも言いたいのだろうか。
今回の教科書検定において、従軍慰安婦については、安倍首相のアメリカでの記者会見で「従軍慰安婦においては、定義されていた強制性を裏付ける証拠はなかった」と発言して、アメリカの政府高官・親日議員から、中韓両国の政府から批判を受け、安倍首相はその後、河野官房長官談話を政府方針であると認め、火の種を消すのに必死だ。そんな状況下、教科書においては、無風だったようです。


私は、知人に「なんで、過去の日本軍や当時の政府のやったことを、過少に、また責任がなかったかのように、今になって言い出すんだろう」と聞いてみたら、知人は「政府はそのためにあるんですよ」と答えた。
ますます、私の頭は混乱するばかりだ。


 30日に文部科学省が教科書検定の結果を発表した。「軍の強制」を否定するトーンで沖縄戦の記述が修正されていた。
「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた7点すべてが、「命令したかどうか明らかと言えない。誤解の恐れがある」と指摘され、各社は「集団自決に追い込まれた」などと修正した。
他には、イラク戦争では、「米英軍のイラク侵攻」が「イラク攻撃」に、自衛隊が派遣された時期は、「戦時中」から「主要な戦闘終結後も武力衝突がつづく」に変わった。かって、中国侵略とか、大陸侵略を中国侵攻に書き換えたこともありましたね。


戦争をしけた側には、きっと後ろめたさがあるのだろう。だから「侵略ではない」と頑なに言い張りたがるのか。悪かったと反省すれば、それで一件落着なのに侵攻と言い換えて、核心をずらしたり、ぼやかしたり。いいかげんにしろう。
  


以下、2007年3月31日の朝日新聞 朝刊の記事を転載させていただきました。 

沖縄国際大名誉教授の安仁屋政昭さん(72)は60年代から沖縄戦の住民犠牲について聞き取り調査を進め、沖縄県史の編集に携わった経験から、軍による強制・誘導があったと考えている。渡嘉敷では、軍との連絡役を務める村職員が手投げ弾を住民に配ったとの証言がある。「玉砕以外で住民に配ることはない。『命じていない』と強弁したところで、軍隊が自死を強いた事実に変りはない」
座間味での集団自決をめぐっては、沖縄の女性史研究家、宮城晴美さん(57)=那覇市=が00年に出した著作「母の遺したもの」が注目された。
母親の初枝さん(故人)が、村民たちが部隊に自決用の弾薬の提供を求めに行ったときに同行した。隊長は、「お帰りください」と言ったという。だが、戦後に発表した手記で命令があったと書き、苦悩の末、事実関係をつづったノートを宮城さんに託した。
著作は、原告の主張の根拠の一つになったが、兵隊に「日本女性として立派な死に方をしなさい」と手投げ弾を渡されたことも書かれている。
宮城さんは、軍の方針の「共生共死の一体化」と、米軍への恐怖心を植えつけられたことが背景にあり、「『国家』による『死の強要』以外の何ものでもなかったと」と記す。


 2007年3月31日 朝日 社説
集団自決   軍は無関係というのか


高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自殺」が軒並み修正を求められた。
「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうか、明らかとはいえない」と待ったをかけたのだ。
教科書の内容は次のように変った。日本軍に「集団自決」を強いられたー追い詰められて「集団自決」した
日本軍に集団自決を強制された人もいたー集団自決に追い込まれた人々もいた
肉親が殺しあう集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにはならないか。
この検定には大きな疑問がある。
ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じ様な表現があったのに問題にしてこなかった。
文化省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが、05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとしたら、あまりにも乱暴ではないか。
そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
「沖縄県史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生生しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士
官が1人に2個づつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜
となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きた
のは、その1週間後だった。
沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾が回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子供たちにきちんと教えるのが教育である。
  

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