2009年3月20日金曜日

北朝鮮の非道を思い知る

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去年の年末に、ブックオフとかオンとかいわれている店で、105円の本を15冊買った。その本のなかに、拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、元米軍の兵士で非武装地帯を越えて北朝鮮に脱走したチャールズ・R・ジェンキンスさんの手記「告白」(株式会社角川書店発行、訳者・伊藤真)も含まれていた。余り深く考えないで買うものだから、家に持ち帰って、やっとそこで買ってきた本を確かめる、そんな乱暴な買い方をしているのです。だから、時にはとんでもない本が含まれていることもよくあるのです。それにしても、かって1200円もした本が105円で買うことを可能にした流通システムを築き、商売として成り立たせているのは、立派なもんだ。

一度も読まれたことのない、新品本だった。どのような経路で店先に並んだのでしょう。詮索(著作物再販制度)が必要だが、今回はそれには触れない。

この本を読んだのが、1ヶ月半前だ。丁度時期を同じくして、拉致被害者の田口八重子さんの息子さんの耕一郎さんが、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員に会いたいと書いて出した手紙に韓国政府の協力もあって、会えることが可能になりそうだ、という新聞報道があったのです。南北の融和を重んじた太陽政策をとっていた前と前の政権では、実現しなかったのですが現在の李明博(イ・ミョンバク)政権は、この対面に協力的だった。

そしてこの対面は、今月11日実現した。田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さん(70)と長男、飯塚耕一郎さん(32)が韓国・釜山で、田口さんから日本語を学んだ大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚(47)と面会した。金元工作員が公の場に姿を見せるのは97年以来。金元工作員は飯塚耕一郎さんを抱きしめ「お母さんは、生きていますよ」と励ました。また耕一郎さんの手をとり、日本語で「大きくなったね。お母さんに似てますね。早く会いたかった。私たちが会ってるように(田口さんとも)会えますよ」と話しかけた。

ジェンキンスさんの手記「告白」を読んで、北朝鮮の国情の異状な部分が垣間見えて戦(おのの)いた。金元工作員の過去の生活を思うに、北朝鮮という国の闇の深さを憂慮する。

世界のあちこちの国から拉致されて、互いに情報交換しないように隔離され、ただし特権的な生活を享受させて、「組織」の「指導員」、「連絡係」、「運転手」、その他権力側の者たちに見張られながら、北朝鮮の求める対外工作員養成に加担させられていく。そのような生活を強いられていたからだろう、この本のなかには少しも市民の暮らしぶりを表したところがなかった。物資が極度に不足していて、兵隊も役所の人間も、チャンスがあれば直ぐにでも、盗人になるという記述以外は。それほど、実社会とは切り離された生活を強制されていたのでしょう。北朝鮮以外の国に住んでいる者にとっては、知りたいことだらけの国だ。この手記は企画から出版まで急いで作られたのでしょう、残念ながら記述は身辺に限られていて悔しい。ジェンキンスさんには、北朝鮮のことをもっと何かの機会に話したり記述してもらいたいものだ。

ジェンキンスさんやその他の拉致された人たちに朝鮮労働党の「正しいイデオロギー」を理解させ、その後北朝鮮の求める完全な工作員に仕立てあげなければならない。しかし、よその国で育った成人をこの国の工作員まで育て上げるのは困難だ。が、その子供たちはどうかというと、赤子の頃から、徹底した「金正日主義」に洗脳させられたら、これはかなり危険なことになり得る。不満を抱かないように、男には女房を女には夫をあてがう。わずかな俸給とともに。独身男性の住まいには、「食事係」と称して女性を送り込む。

この本を読んで、なるほどなと感じたことがあった。それは、北朝鮮の工作活動を外国で北朝鮮の人間がやると、面貌や服装、言葉遣いなどで、それは見抜かれ(バレ)やすい。ところが、例えばオランダの国でオランダ人が行う北朝鮮工作なら、それは見抜かれ難い。そのために、拉致は多国にわたって行われた。金元工作員も、李恩恵(りうね)と名乗っていた田口八重子さんから日本語や日本の習慣を教えてもらい、北朝鮮人ではなく日本人・「蜂谷真由美」になりすましていた。

ジェンキンスさんの長女は自分の希望ではなく、「組織」に外国語大学に入学させられた。父は農業大学を薦めていた。この外国語大学はレベルが高く、エリートが集まっていた。ところが、この名門大学は学生なのか教師なのか職員なのか、盗人の巣窟でもあったのです。私物から学校の公用物まで、ドンドン盗まれていくのです。金賢姫が、工作員としての一歩を踏み出したのも、この大学だ。インドネシアで待つ母の許に行く段になって、日本へ戻れば父は生涯米軍の豚箱から出してもらえないとか、組織から寄せられる少ない情報のなかで、父と娘二人は、自分らは今後のことをどう判断したらいいのか苦しんだ。妹のブリンダは迷うことなく日本行きを主張した。姉美花は最後まで、在学中であること、北朝鮮の友達のこと、日本行きは母国を裏切ることにはなるまいか、と悩んだ。このことからしても、姉美花にはもう既に外国語大学での教育の成果が出ていたのかもしれない。

あらゆる情報が完全にシャットアウトされた特殊な国だ。ジェンキンスさんは、隠れてボイス・オブ・アメリカを聞いていたから、北朝鮮のなかでは、比較的情報通だったのだろう。アメリカ人なので、洋画の訳や、書物の翻訳もさせられたらしい。その仕事では、母国の文字や映像に触れ、ささやかな楽しみとともに望郷の想いに耽っていたのだろう。

☆大韓機爆破事件

北朝鮮の工作員で「蜂谷真由美」名の偽造旅券を持った金賢姫元死刑囚は87年11月、別の工作員の男とバグダッド発ソウル行き大韓航空機に乗って爆弾を仕掛けた。経由地で降りた後に爆発、115人が死亡した。男は服毒自殺した。金元死刑囚は90年3月に韓国最高裁で死刑が確定したが、韓国政府が同年4月に特赦。金元死刑囚は工作員としての日本人化教育のため、平壌の招待所で「李恩恵(りうね)」と名乗っていた田口さんと一緒に過ごした

★拉致被害者・田口八重子さんと、田口さんの子供・飯塚耕一郎さんと、兄の飯塚繁雄さんが金賢姫元死刑囚(元北朝鮮工作員)がソウルで対面した。その少し前にジェンキンス氏の「告白」を読んだ。そして、下記の朝日新聞の社説だった。社説を転載させていただいた

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20090312

朝日・社説

拉致と爆破テロ

北朝鮮の非道を思い知る

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息をのむ思いの対面だったに違いない。それは涙で始まった。

「抱いてもいいですか」。金賢姫元工作員(47)は日本語でそう話しかけ、田口八重子さんの長男、耕一郎(32)を抱き寄せた。

金工作員は30年近く前、拉致被害者の田口さんから北朝鮮で日本語と日本の習慣を教えられた。

拉致された時、1歳だった耕一郎さんは母の記憶はない。面談で驚くような新事実はなかったかもしれない。ただ、見知らぬ母親像のすき間をいくらかでも埋めることはできたろう。

会えてよかった。これからも折に触れ、こういう機会があってほしい。

金元工作員は「田口さんは生きている。希望をもって」と励ましたが、自ら犯行に加わった87年の大韓航空爆破事件の後は、韓国で暮らしている。田口さんがその後どうなったのか、事情は知らないに違いない。

日本政府は17人の拉致被害を認定している。日本に戻れた5人のほかの被害者について、今回、新たな消息はつかめなかったと見られる。

飛行中に爆破され、ビルマ沖に消えた大韓機には115人が乗っていた。その犠牲者の家族と金元工作員との本格的な面談はいまだできず、家族らの思いは満たされるままだ。

そして金元工作員本人も、悲劇に巻き込まれたひとりでもある。恵まれた家族の出身だが、学生時代に工作員にさせられた。事件で死刑が確定後、特赦を受けて韓国内にひっそりと暮らす。両親と妹弟の消息はわからない。

拉致も爆破テロも、朝鮮半島の南北分断と、激しい対立のなかで起きた。北朝鮮という特異な独裁国家が手を染めた、犯罪のむごさを思う。

北朝鮮に融和姿勢をとった韓国の前政権のころは、金元工作員の存在を目立たせたくなかったのだろう、今度のような面談はできなかった。それが実現したのは、今の李明博政権が北朝鮮政策を見直したためだ。

韓国も多くの拉致被害者を抱える。これを機に拉致問題の解決に向けて、日韓の連携をさらに探りたい。

「北朝鮮のプライドを守ってやりながら、心を動かせる方法を考える必要があるのではないか」。金元工作員は面談後の会見でそう語った。

北朝鮮は核放棄の交渉を空転させ、今は人工衛星の打ち上げと言ってミサイル開発を強行しようとしている。

過去のおぞましい犯罪や現在の行動を許すわけにはいかない。ただ、圧力一辺倒で打開できないこともまた現実である。変わらぬ怒りと悲しみを抱きつつ、対話と圧力を組み合わせて北朝鮮を動かす環境をつくっていく。それしか道はないのではないか。

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