2010年6月22日火曜日

諦(あきら)めない「はやぶさ」に、感謝

地球を旅立って7年、約60億キロにわたる長旅を終えて、小惑星探査機「はやぶさ」が、地球に戻ってきた。相次ぐ困難を乗り越えてきた姿に共感を得た人は多いだろう。科学的知識が薄い私は、想像の域をはるかに超えた、この宇宙航空研究開発機構の偉業に唯、驚かされっぱなしだ。

この私のブログにも、この「はやぶさ」君の活躍を、朝日新聞の記事を、あっちこっちから集めてきて、そのまま転載、後日のためにマイファイルした。新聞では、ワールドカップ南ア大会の日本代表の初戦に向けての記事が大いに踊っている中で、「はやぶさ」君の記事は扱いとしてはさほど大きくなかったけれど、その内容は偉大だ。

幾度となく襲いかかるトラブル、懸命に修復する研究員、研究員に支えられた「はやぶさ」君は健気に飛び続け、諦(あきら)めるもんかと踏ん張って、指示された仕事に励んだ。そんな姿に感動した人は多い。

そんな話を同僚としていた。

そして夕方、小田原の隣町で建設業を営んでいる秋さんが、仕事で会社に寄ってくれた。秋さんの会社は業績はほどほどで、悪くはないのですが、将来のことを考えて会社を閉鎖する方向で話し合いがもたれているということだった。彼は、代表者ではないのですが、専務取締役として、会社の屋台骨を支えてきた。有り難いことに、声を掛けてくれる会社は数社あるのですが、この年になって、背広を着て机なんかに座っているなんてことはできっこない、だからと言って野心は萎えるどころか、この場に及んで、ムラムラとやる気が俄然湧いてきているのです、とのことだった。

私はすかさず、私達の会社に来て欲しい、と入社を促した。とは言え、弊社はリストラが済んで、金融機関との利払いの交渉がうまく調整できて、やっとのことで再建の一歩を踏み出そうとしている矢先だ。手堅くいくなら、スタートを切って、走り出せたら、その時にこそスタッフの増員が必要なのだろうが、今は、ちょっと時期尚早なのでは、とも思った。早計な私の胸はちくちく痛んだ。

彼は、私が言い訳するまでもなく、そんなに急がなくてもいいんじゃないですか、準備に6ヶ月かけましょう、その間、お互いに準備しましょう、私はその期間給料等でできるだけ負担をかけないように工夫します。あなた方は、会社として組織、営業面において、私が全面的に頑張れるような会社の内外の整備を進めてください、と頼まれた。

飛び火のようなこの話には、何か運命的な臭いを嗅ぎ取っていたのです。

数週間前、パワービルダーのスタッフに、私は造成し上がりの8区画の土地の紹介をしたのです。この土地は、現在農地として現実にキュウリやナスを作っている農地を弊社が買い受けて、開発造成した宅地をパワービルダーに買ってもらおう、そういう商談だったのです。パワービルダーはこの話をすこぶる喜んでくれたのです。パワービルダーは、購入した土地に、自社で開発した廉価な住宅を素早く建てて、早い目に資金を回収するのを得意にしている。方や弊社は、造成をして、その土地を時間をかけて売りさばいて利益を確保するなんてことはもうしない、懲りたのだ、ダラダラ時間をかけて相場の崩れに遭遇するようなことは、二度としたくないと腹に決めているのです。

このパワービルダーと弊社の関係のなかに、彼が飛び込んで来てくれたのです。これは、会社を預かる者にとって、面白いことになるワイと、喜んでいる。

彼とミーティングの後居酒屋に行った。お互いの家族のこと、学校を卒業してから今に至るまでの仕事のこと、趣味、種々雑多な話の弾みで、今からでも、俺達オッサンたちは頑張って、誰にも負けて堪るか、糞っ垂れ、お前等(広い意味で一般的な三人称)なんかに、ナメラレテ堪ルカ、と口走った。酔っていたのは私だから、私が口走ったのだろう。その言霊(ことだま)に憑かれた様に、私と彼は、酔った勢いもあって、ナメラレテ堪ルカ、と何度も声を掛けて笑った。発火点近くの彼に、火を付けて油をぶっ掛けた様だった。

諦(あきら)めない「はやぶさ」のことが頭の隅っこにへばりついたまま、今夜の宴の終わりも既定のように、酔いまくって終わった。彼を保土ヶ谷駅までタクシーで送ってから、約1時間かけて、千鳥足で権太坂まで帰った。真っ暗な夜空、暗い街灯、ニタニタしながら彼のことを考えた。声にならない声で呟(つぶや)いた、ナメラレテ堪ルカ。

頑張った「はやぶさ」君に感謝。「はやぶさ」君に勇気をもっらたのです。

ナメラレテ堪ルカ、だ。

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20100622

朝日・朝刊

天声人語

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海辺で遊んだ名残の砂が、脱いだ靴からこぼれ出る。さらさらした感触と共に、灼(や)けるビーチでのあれこれがよみがえる。砂はその地に立った証し。旅先の思い出を、世界に一つの砂時計に仕立てるのもいい。

さて、小惑星イトカワの「思い出」を期待された探査機はやぶさである。カプセルをX線で調べたところ、1ミリ以上の砂粒はないと分ったそうだ。ホコリ状の微粒子が入っている可能性はなお残るという。

砂がこぼれ出ずとも、はやぶさの功績が減じることはない。小惑星に降りたのも、戻ってきたのも初めてだ。イトカワ表面に黒く映った特徴的な影、南十字が輝く天の川で燃え砕け、カプセルだけが光の尾を引いて地上に向かう絵は、私たちの胸に熱く残るだろう。

ピーナッツ形のイトカワは長さ500メートル。パリのカフェに豆粒が転がっているとして、東京からそれに楊枝を命中させる離れ業だった。数々のピンチを切り抜けての7年、60億キロの旅は、国民を大いに元気づけた。手柄はすでに大きい。

これで、日本の宇宙開発を取り巻く空気は一変した。科学予算を削り倒すかにみえた事業仕分け人、蓮舫さんも「全国民が誇るべき偉業。世界に向けた大きな発信」とたたえる。科学者たちにすれば、この上ない孝行者であろう。

カプセルがイトカワの物質をわずかでも持ち帰っていれば、太陽系の起源を探るのに貴重な資料になる。大きな誇りに小さなホコリが花を添え、--いや、それは問うまい。どんな旅も、つつがなく帰ってくるのが何よりの土産なのだから。

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