今、北京五輪の聖火が世界の五大陸を回っている。日本でも今月26日、長野で聖火ランナーが走ることになっている。一番走者は、全日本野球監督星野仙一さんだそうだ。当初善光寺をスタートして18キロ程走ることになっていたが、各国の妨害による混乱を見据えて、スタート地点を変更した。善光寺の僧侶たちは、チベット自治区での騒乱で亡くなった仏僧に対して、しのびがたい思いをつのらせたのだろう。善光寺は記念すべきスタート地点になることをを避けた。仏僧たちの連帯の意思表示なのだろう。善光寺には、天台宗と浄土宗の両方の僧侶がいる珍しいお寺だそうです。五輪発祥の地、アテネで採火式が行われた。その採火式において、チベット人や「国境なき記者団」たちが、開催粉砕を主張して妨害行為をおこなった。
その後、ヨーロッパ、特にフランスではチベット人や「国境なき記者団」による妨害行為は激しかった。思いは、なんで、そこまでチベットの人たちはやるの?に行きつく。やはり、それなりの理由がある筈なのだ。私には理解できる知識のストックがない。マスコミも、その理由をきちんと報道しないので、よくやるねえと感心するのみだったが、今回の新聞記事で、やっと納得した。専門家が解りやすく教えてくれていたので、その記事を転載させていただいた。ありがたいことです。
今、世界の最大関心事は、環境というか地球温暖化と、人権問題なのだ。中国の高級官僚は、これは偉大な国の内政問題だ、と言い切っている。熟慮されたし。
真実の歴史 まず理解を チベット問題を考える
一橋大名誉教授 田中克彦(社会言語学)
チベット人が自治・独立を求め続けているという。要求の正当性とその歴史的な淵源がどこに由来するのかを問うても、かれらには自分の歴史を自由に書くことが許されない。そこで、多くの点で歴史の運命を共有しながらも、遂に独立を手に入れたモンゴル国の歴史認識をかりて、チベット問題を考えてみよう。
それによればこうだ。1911年、辛亥革命によって、三百年近く続いた満州族の清帝国は崩壊した。その支配下にあった漢、モンゴル、チベット、回族はひとしく解放されて、対等の立場になった。
言い換えれば漢族が支配を主張する理由もなくなったのである。そこで外モンゴル(現モンゴル国)とチベットは、それぞれ独立宣言を発するとともに、1913年には、互いに独立を確認しあい、友好条約を結んだ。その根拠には、「仏教という信仰を同じくする」ことがあった。
外モンゴルは、その後、中国軍の侵攻によって、独立宣言を取り消し、次には独立を再興してくれたソ連の支配が続いた後、苦難の歴史を経て1991年、ついにソ連邦の崩壊によって、真のゆるぎない独立を達成したのである。チベット仏教は、十六世紀に内モンゴルに入って深く根をおろした。観音菩薩の化身とされる第三世代の活仏を迎えたモンゴル人は、その海のように広く深い徳に打たれて、モンゴル語で「海」を指す「ダライ」の称号を贈った。
仏教はさらに北上してロシア・バイカル湖東岸のモンゴル人のもと(現プリヤート共和国)に到着し、ここに仏教圏の最北端をしるした。僧院が十一、僧侶が百五十人を数えるに至った1741年、女帝エリザヴェタ・ペトロヴナが仏教を公認したことによって、この教えはロシアにも確かな地歩を築いたのである。
ロシアにはもう一つの有力な仏教共和国があり、その国旗にも白い蓮の花を配している。ボルガ下流の西岸側、つまりヨーロッパ一角に位置するカルムィク共和国がそれであって、仏教圏の最西端をなしている。かれらは故土である、中国・天山のふもとの地を捨て、仏教をたずさえて1630年この地の移住したのである。
第二次世界大戦中、かれらはドイツの占領下に入ったためナチ協力者とされ、全住民は根こそぎシベリアやウラル地方に移住させられるなど過酷な制裁を受けた。ブリヤート人もまた1930年代に、多くは「日本の手先」というお決まりの罪状のもとに、数千人の知識人と僧侶を失った。
ソ連崩壊後、ソビエト時代に破壊された寺院は修復され、新たに作られた仏像を開眼するために、1991年現ダライ。ラマ14世が招かれ各地で法要を営んだ。ちょうど、エリザヴェタ女帝の仏教公認から二百五十年目にあたっていた。こうした迫害を生きのびたモンゴル諸族が、チベットの運命に心痛めないはずはないのである。
深く深く傷ついたチベットの人びとに、私たちは今、アジアの友人として、何をしてあげられるだろうか。支配者の都合からではない、真実の歴史を明らかにし、それを知ることである。民族の独立がいかに大切であるかは朝青龍や白鵬の例を見ればわかる。モンゴルの独立がなく、いまだに中国の一部であったら、あのような名力士は生まれなかったであろうから。
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