2007年2月28日水曜日

”勇気ある行動”物語

勇気ある行動は、いつの時代にも、大所、高所、「車輪の下」だけではなく、いたる所で、たくさんの人によって行われてきた。大仰に言わしていただければ、歴史は、勇気ある者の勇気ある行動の集積、とでも言えるのではないか。そんなことを考えながら、キーボードを叩いていたら、なんと、この私のいかに勇気の無いはかなさを、こんなところで実感してしまい、意気消沈してしまった。だからと言って、滅入ってばかりいるわけには、いかん。頑張って、生きよう。今は、キーボードを一所懸命叩くのみだ。

先日 “死にたい病“に罹ったお姉さんが、線路に飛び込もうとしたが、居合わせた巡査が止めに入り、駐在所内に引き連れ、巡査は、冷静になるように諭していた。が、女性はその隙間を縫って、再び線路に身を投げた。身を投げた”死にたい病”に罹ったお姉さんは命をとりとめ、勇敢に、助けようとした巡査は亡くなった。死亡したのは、警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長(53) 12日付けで警部特進。13日午後 安置先の板橋署から、2年間勤務した東京都板橋区の常盤台交番前を通って斎場に向った。大勢の人々が手を合わせて遺体を乗せた車を見送った。

なんとも、辛い出来事だった。突然の不幸な出来事に、ご家族、ご親族、関係者の方々はさぞかし悲嘆にくれておられることでしょう。

強い使命感と、それを支える勇気に溢れた、立派な警察官だった。

そんな出来事があった前後1週間に、新聞記事に載った“勇気ある物語”2件がどうしても、頭から抜けない。

よって、朝日新聞からの抜粋だけれども、どうしても記憶に残したい。皆さんに読んでいただきたいのです。

下記の二つの勇気ある“物語”は、歌手、とカントリーソングを歌う女性3人組のお話だ。歌手は、時の権力者の前で為政(独裁)に対する反旗を翻した。女性3人組は、世論がイラク侵攻を80%近く支持する米国で、反対の意志表示をした。

勇気ある物語 その一    朝日新聞(天声人語)より7日に80歳になった、ジュリエット・グレコ。

夜の森を思わせる深い声、語るような歌唱、黒ずくめの衣装、宙を舞う両の手。

どれも22歳のデビュー当時からだ。自由を愛し、強者や権力を疑う生き方も変わらない。ナチス占領下のパリで、レジスタンス活動家の娘として秘密警察に拘束された体験が原点だろう。

すでに大御所だった1981年、チリのピノチェト独裁政権の招きをあえて受け入れた。軍幹部と家族が聴き入る御前コンサートの途中から、軍政が禁じた抵抗歌を続け、直ちに国外追放となる。いかつい兵士に囲まれ、空港へ連行される報道写真はフランス人を熱くした。本人は「生涯最大の勝利」と振り返った。

4月に19回目の日本公演がある。「最後の」としない理由はパリマッチ誌との問答からうかがえる。「私に理解できない言葉があるとすれば、ノスタルジー(懐旧の念)です」

とんがって、反骨を貫くのは、人生の損得勘定でいえば大損かもしれない。これを不器用と笑うか、潔とするかは人それぞれであり。80歳を迎えた水曜日の夜、彼女は仏テレビの生番組に出た後、祝宴に臨んだ。参加者は家族8人だけだった。

勇気ある物語 その二    朝日新聞2007年2月15日 文化より 第49回グラミー賞 ディクシー・チックス
米国の音楽家で最も栄誉とされる第49回グラミー賞が日本時間12日、発表された。下馬評に反し、今回の顔となったのは、主要3部門を含む5冠獲得の女性カントリーグループ、ディクシー・チックスだ。


「大統領と同じテキサス州出身なのが恥ずかしい」ボーカルのナタリー・メインズが、そう口にしたのは03年3月、イラクを侵攻しようとする母国への批判だった。この発言に「保守層」が猛反発。ラジオ局による曲の放送拒否、CDの不買運動、脅迫もあった。

バッシングの嵐を経て、3年9ヶ月ぶりに出したのが今回最優秀アルバム受賞の「テイキング・ザ・ロング・ウェイ」だ。騒動をめぐる心の揺れを描いた曲も収録。

最優秀楽曲・レコードの「ノット・レディ・トゥ・メイク・ナイス」は、訳せば「いい子にはまだなれない」と挑戦的だ。このため米国では、彼女たちの4年ぶりの「復権」を、ブッシュ政権批判の空気の高まりと重ねる分析もある。

2007年2月26日月曜日

この指にとまれ!

山岡からの人材募集です。

 *募集の背景

1979年の設立以来、リノーベーション、戸建分譲、宅地開発など幅広い分野を手がけ、多くの購入客の方々から、厚い信頼をいただいてきました。 ありがたいことに、手がける案件が著しく増え、加えてありがたいことに、新規事業として、マンション分譲、コーポラティブ方式による集合住宅建設のコーディネイト、ホテルの企画が目白押しです。活動エリアも首都圏から静岡、沖縄まで広域になってきました。

*求める人物像

そこで今回は、我々が展開する事業のどの分野においても、大いに腕を発揮(頭もフル回転)してくれる勇者を募っています。それも、肝腎、要のスタッフを。将来の弊社の幹部になって、会社運営の屋台骨を担ってくれる人です。「募っています」が、来てくださいと言っている訳ではありません。『あなたの会社に「行って、会社をきりきり舞いさせてやる。!」』ぐらいの気概を持っている方でないと、無理かもしれません。熱い情熱と強い意志、果敢な実行力、高度な知識と企画力、併せてきめ細かいコミュニケーションが必要です。

*担当する業務

我が社が展開する業務、それに係わる関連業務、それとも我々にとっての未開拓事業の立ち上げ、どの業務に携わってくれても結構です。やり遂げたいことを自らの発意に従っていただければ、おおいにウエルカムちゃんです。

*                       年齢不問  

性別不問


経験不問


*     勤務地・弊社の本社(横浜市保土ヶ谷区天王町)/相鉄線「天王町駅」徒歩3分

        横須賀線「保土ヶ谷駅」徒歩10分                    

*     勤務時間、社保、社員旅行、休日、休暇、は社内規定に従う。

*     給与、昇給、決算ボーナスは、打ち合せによる。

*  歴史は、ひょんなことから、始まるのかもしれません。   

2007年2月23日金曜日

ますます”NHK受信料払いたくない病”悪化

またまた、私の“NHK受信料払いたくない病”をもっと悪化させる報道があったものだから、またここで、その内容を記したい。

NHKの橋本元一会長は14日、総務省によるNHK国際放送への放送命令制度を事実上存続させる法改正案が検討されていることについて、「報道機関として自主的な編集権を大事にするということで、命令放送はなじまない」と話した。これまでは命令放送について「自主的な編集を貫く」と主張していたが、今回は改正案に異議を唱えた格好だ。

だが、命令放送制度を放送法から削除するよう求めるか、との質問には、「そこまで言ってないが、趣旨を申し上げた」と述べた。

そこまでは言ってないが、趣旨を申し上げた、なんて、私の生まれ育った田舎風に言わしてもらえれば、「屁のツッパリにも、ならない」だ。何かに着手するのだけれども、いい効果を生まないことを、このような表現をするのです。

また、私の父親は、無意味な行動のことを「布団の中へでも入って、屁でもこいてろ」と、よく言いました。

橋本会長の発言は、「屁のツッパリにも、ならない」し「布団の中へでも入って、屁でもこいてろ」なのです。

時の権力から距離を置いて、不偏不党の、真に自立した番組編成を、公正・公平に行う気概にはどうしても乏しいように思われる。

命令放送の改正案は、命令を「要請」に改めるとともにNHKに「応諾義務」を課すことになる。

命令放送制度は看板を架け替えて事実上存続する。

命令を要請に変えたって、言葉が違っただけで、実態は変わることがないだろう。

 

 

これじゃ、政府・与党の意向に沿わない番組編成はできない、若しくは政府・与党の執行部の顔を窺がいながらの番組編成作業になるのは、自明の理だ。そんな、バカな。

 

 

2007年2月11日のブログ「NHKに物申す」にクドク書いたけれど、やはり、経営委員会の委員が総務省の人選で、内閣が国会の承認を得て3年の任期で任命する。この最初の人選の過程で、財界、民間企業、識者、どこからも政府・与党の都合のいい人をノミネイトされるのは、至極当然のことだ。そんなことじゃ、イカンのじゃないの。

少なくとも、大半の国民が納得する人選でなければならない。

番組編成にも、広く国民の声を組み込んでもらいたい。

 

 

国論を二分するような、大きなテーマの取り扱いについては、十二分に配慮してもらいたい。当面するのは、憲法問題だ。

国が抱えるダーチィな部分、闇の部分、世界の情勢、社会の実態レポート、政府・与党の公表されたくない資料やデーターの報道、公共放送としての役割はいっぱいある筈だ。政府・与党に都合の悪い報道、国民に知られたくない報道こそ、意味があるのではないのか?

娯楽番組は、民放さんで十分なのではないか。

NHKさん、そのように、やってくれなくては受信料を払わないぞ。

 

  

 

その後

2007年3月の初めの報道によると

NHK受信料の義務化を、今回提出される放送法改正案に盛り込まれそうもない、見通しになってきた。菅総務相は法案提出の前提として受信料の2割値引きを求めているが、NHKは早期の値下げには応じない方針だ。総務省幹部は27日夜、NHKの態度が変わらない限り、法案から受信料義務化の項目を外さざるをえないとの見方を明らかにした。

菅総務相は「義務化だけでNHKを焼け太りさせることは、国民の理解を得られない」と述べた。

ざまあみろ、だ。

水道、ガス、電気料の使用料を払うことについては、納得いく。ただ、料金が高いと感じるか、安いと感じるかは個人に多少差異はあるだろうが、支払わなければならないことについてはあったり前だ。

でも、だ。私のように、NHKを観ない者には、感慨複雑だ。

 

2007年2月21日水曜日

法事の日、その日は東京マラソン

明と暗の(明)  

東京では、2007年2月18日、国内最大規模で、日本初の大都市型市民マラソン(日本陸上競技連盟、東京都主催)が行われた。東京・新宿の都庁前をスタートし、東京ビッグサイトにゴールする42.195キロに男女合わせて2万6千人が参加。10キロレースと合わせた総参加者数は3万800人だった。

都心の主要道を最長で7時間も通行止めするなど、警視庁、東京消防庁が厳戒態勢を組んだ。都心のマヒは起きなかった。

ランナーの荷物をスタートでどう回収し、ゴールでどのように手渡すか、主催者は頭を悩ませた。トイレ不足(待機中、ランニング中)も今後の検討課題だそうだ。

PRが奏功して、概ね運営は成功したようだ、と専門家は評価した。

マラソンに趣を置かない人にとっては、大いなる迷惑だったかもしれない。

勘弁してください。1年に1度のお祭りだと、理解していただきたい。参加した人たちは、心すべきことがいっぱいあります。運営者、協力者、住民の方に深く感謝すべきだ。ラーメン、うどん、焼き鳥の1本でも買って、地元に感謝すべきだ。

 明と暗の(暗)

その日私は、母と父の七回忌と祖母の三十三回忌を同時に行うというので、生家のある京都府宇治田原町に居た。仏教の世界では、3とか7にこだわるそうですな。我が隊は、休暇をとれた娘次女H子とその息子H、娘三女Sの4人組。久しぶりの田舎入りなのに、心が騒がないのは、やはり父母が死んで6年も経ったからなのか。生れ故郷を偲ぶのは、そこに、愛しく想う人が居るからなのかな。愛しい人がいなくなったら、「ふるさとは、遠くにありて思うもの」になってしまうのか。顔見知りの親戚の方々との、なんてことのない四方山話。宴席は盛り上がらないまま、しらけ鳥。酔いが廻らない。我が兄弟間にも挨拶もなし。ただ、甥っ子の清一が、農家の跡取り達14,5人で組合を結成、大規模な茶畑開発計画を具体的に進めている、という話には興をそそられた。頑張れ、と励ました。アル中を難とか乗り越え、静養している体育の先生、後に宇治の方の中学校の校長を務められた吉岡由造『現姓・森田』先生には、玄関先に土産を置いてきた。余りにも、朝、早過ぎたので、声を掛けなかった。心から、長生きしてくださいと、お祈りしている。私の浪人時代に、酒を教えた、悪い先生だ。でも、この何年間は「たもっちゃん! 酒!飲み過ぎたら、アカンで!」と、教訓を御垂れになる。いつも、立派な先生で、いつも、言う事を聞かない悪い教え子だ。

翌日、朝日新聞の天声人語で、いい文章が記載されていた。アスリートに係わる内容には、この私・山岡は、どうしても感心が向く。やはり、パクらせて頂くことにして、保存させてもらった。このような記事は何回読んでも気持ちが洗われる思いがする。

2007年2月20日 朝日新聞 天声人語より

走り終えて、後ろを向く。そして、深々と首を垂れた。東京マラソンのゴール地点で有森裕子さんが見せたお辞儀に、心引かれるものがあった。深い安堵や感謝の気持ちが、テレビ画面からも伝わってきた。それは、この「最後のマラソン」までたどってきた長い道のりへの思いだったのではないか。マラソンには、独特の魔力のようなものがある。レースの中に、人が人生行路で出会うのと似たようなものが幾つも見てとれる。坂道があり、曲がった道がある。時には靴が脱げたり、転んだりする。気を取り直して走り続けることもある。そうしたことが、走る人たちだけではなく、見る側をも強く引き付けてきた。メキシコ五輪で銀メダルに輝いた君原健二さんは、人生は、マラソンより駅伝に似ていると自著に書いている。先人から受けたタスキを、責任を持って次の世代に渡す。「私という個人の人生は、実は、人類発祥以来やむことなく続いている途方もなく長いレースのほんの一部分なのである」(『人生ランナーの条件』佼成出版社)

3万人以上が参加した初の東京マラソンでは、人々が都心の通りを駆け抜ける姿、特に角を曲がる瞬間が印象深かった。銀座にしろ、浅草にしろ、ずうっと前の世代から人は様々な思いで角を曲がり続けてきた。いわば降り積もった都市の記憶をかすめて、現代のランナーが行く。記憶というタスキを、次世代に渡す力が、東京マラソンにも備わるようにと願った。

 

 

 

 

2007年2月11日日曜日

NHKさんに、物申す

私、また、”NHK受信料払いたくない病”が再発しました。

先日、朝日新聞(他紙にも掲載されていたのかは調べていない)の社会面に、次回のNHKの大河ドラマの内容、スケジュール、配役、脚本家の紹介記事が掲載されていた。

テレビドラマには、感心がないので、記事の内容については記憶には残っていない、が、ただ、正確な記憶ではないのですが、がっつ~んと頭に残った断片がある。それは、制作費が、年に14,5回放映される、その1回の制作費が何と5、000万円とか7、000万円とか書いてあったのだ、その金額の大きさに吃驚した。それって、総額7億とか10億円になるってこと。直接の制作費以外に、職員の給料、事務所経費を入れると、その1,2~3倍はかかるのでしょう。これは、ちょっと黙ってはいられない。虫酸が走った。

第一、NHKに果たして、大河ドラマ、大晦日のNHK紅白歌合戦、一連の娯楽番組を現在のように、制作し続ける必要があるのか? この類の番組は十分民放で補われているのではないのか。

この記事を見て、朝日新聞がNHKの広報部の役目を果たしているように思えた。NHKの片棒を担いでいる、と。朝日が「国民の皆さん、そろって、大河ドラマを見ましょう、楽しみですね」そんなアピールを、敬愛している“朝日新聞“がしているように感じて、不愉快だった。裏には、見たら、ちゃんと受信料を払うんですよ、と圧力をかけているんじゃないか、と、まで。

NHKは、広く国民(受信料支払い者)に、誰にも支持を得られる番組編成をしなければならないのではないか。

NHKには、関連子会社が50社近くあると言われていて、ちゃんと退職後の天下り先がセットされている。 闇費用を捻出するためのダークな下請け会社が跋扈、完備されている。国民から徴収したお金を、制作費としてNHKから下請けに実際よりも多い目には支払われ、その多い目に支払われた分が、ユーターンして職員のポケットに、飲食やギャンブルに、愛人との同伴出張費に、あてがわれる。

職員の経費水増し請求もあったな。出張もしないで架空旅費を請求するような手口もあったな。

政府・与党のおエラ方の意向に、簡単に番組の編集方針変更に応じてしまう、体質。

イヤになる事を積み上げればきりが無い。

そこで、だ。

NHKの受信料のことだ。

使った水の分量だけ、支払う。使った電気の量だけは、支払う。これらを支払うことについては、当たり前のように納得している。

勝手放題の運営のうえに、勝手な番組の作り放題、これじゃ受信料を払えと言われたって、へい、きた、ガッテンなんて、払えるか。 

元朝日新聞記者の本多勝一氏が朝日ジャーナルに書かれていた一文を転載させていただく。

「朝日ジャーナル」1988 8 12号

たとえば新聞や雑誌なら、少なくとも講読をやめることによって最低限の影響力は行使できる。ところが、NHKだと見なくてもなんでも、テレビを持っているだけでも、強引に受信料を払えという。だが、払っても番組や経営に参加できるような制度は全くないのである。株主が経営に対して全然口をはさめない会社などは存在しない。NHKには株主総会にあたるものがゼロなのだ。

*本多勝一氏には「“NHK受信料“拒否の論理」という本を著しておられる。15年程前に読みました。面白かった、と言えば著者に失礼かな。一考させられました。

NHK出身の評論家・小中陽太郎曰く

「経営委員会は一般企業であれば、株主総会に匹敵する。株、つまり受信料を支払っているわれわれに、個々の委員に対する信任投票がないのは、おかしな話ではないか」

それでは、経営委員会とは~

経営委員会を構成する委員12人は総務省が人選し、内閣が国会の承認を得て、3年の任期で任命する。当然、政府・与党の自民党の意向で決まることが多い

よって、経営委員会や番組編成会議に国民(受信料支払い者)が参加できるような仕組みにしていただかなければ、始まらない。公共放送として、真面目な『NHKならではの機能』が十二分に発揮されるようになれば、受信料徴収率もあがることでしょう。

ところで、ラジオの受信料はどうなっているの?    

NHK受信料    2007年2月5日  朝日社説より

支払い義務化を急ぐな    

一連の不祥事から発したNHK改革の流れが、根本的な変革とはほど遠いところへ向おうとしている。総務省は今国会に出す放送法改正案に受信料の支払い義務化を盛り込む方針だ。現行法では、テレビのある世帯はNHKと受信契約をしなくてはならない。この契約義務に代えて支払い義務を明記することで、受信料の徴収率を高めようというのだ。

だがそれでは、自らの不祥事がもとで不払いが広がったのに、NHKに甘すぎるのではないか。そんな反発を考えたのだろう。総務省はNHKに受信料を2割程度下げるように求めている。

視聴者にしてみれば、値下げはうれしいが、いくつも疑問や心配がある。

支払い義務にしても、不払いが激減するとは考えにくい。効果がなければ、不払いへ罰則をかける動きが出てくるだろう。そうなると受信料は税金に近づき、視聴者に支えられる公共放送というよりも国営放送に近くなってしまう。

英国の公共放送BBCは罰則まであるが、それは政治権力から自立しているという評価があってこそのものだ。

それに比べて、NHKは政府や与党に弱い。国会議員らの意図をおしはかって、慰安婦問題の番組を改編した、と東京高裁の判決で指摘されたばかりだ。

NHKは罰則には反対だが、支払い義務化は歓迎している。受信料を集めるには、背に腹は代えられないということだろう。徴収率が上がれば、値下げも考えるという姿勢だ。

しかし、受信料を集めるために住民基本台帳ネットワークを使いたいというのはいただけない。

視聴者の転居先を突き止めるのに苦労しているのはわかる。だが、住基ネットはプライバシーを侵すとして住民訴訟が各地で起きているし、もともと政府と自治体の利用しか想定していない。その枠を真っ先に破れば、いよいよ政府機関に近い性格を強める。

統制力が弱くても国民の8割が払ってきたのが、世界がうらやむ日本の受信料制度だ。7割に落ちたからといって、政府に頼ろうというのでは、自立した報道機関とはいえまい。

もちろん、受信料の公平な負担は大切だ。「NHKを見ているのに払わないのは許せない」という声は当然だろう。

だが、見ない人が増えている事実にも目を向ける必要がある。NHK放送文化研究所の昨年11月の調査で、NHK総合テレビを1週間に5分以上見た人の割合は62%だった。前前年の68%、前年の63%から減った。教育テレビは30%だ。

見なくても払う。国民全員で支える。これが受信料制度の根っこにある考え方だ。国営放送への道を歩むのではなく、公共放送としてとどまるにはどうすればいいか。それがNHKに問われている。それには出費の無駄をなくしよい番組を作ることで信頼を取り戻すしかない。

支払い義務化は急ぐべきではない。      

   

2007年2月8日木曜日

櫻井さん、こんな記事書いちゃっていいの?

櫻井さん、こんな記事書いちゃっていいの?

週間ダイヤモンド(2006 12 23号)地価狂乱!激変する不動産相場の「新常識」
私にとって、職業上、感心高い特集だったものだから、友人から頂いて読んでいた。一通り目ぼしい記事を読み終えて、そろそろ、終わりだと思いきや、そこで、とても不愉快な記事にぶち当たってしまった。よって、ここに、どうしても書き留めておかないわけにはいかないのだ。
 その記事をここに転載させていただく。
著者は、ジャーナリスト 櫻井よしこさんです。
存在しなかった「南京大虐殺」を材料に
いまだ日本非難を続ける中国の戦略、(がタイトルになっている)
(ここでは、前後の文章は割愛させていただく。)   (  )内は私が書きました。


地価狂乱!いまだ日本非難を続ける中国の戦略、(存在しなかった「南京大虐殺」を材料にいまだ日本非難を続ける中国の戦略、チャン氏の著作(ザ・レイプ・オブ・ナンキン)は、意図的としか言いようのない事実の歪曲と捏造に満ちている。「南京大虐殺」が存在しなかったことは、すでにいくつかの貴重な研究によって立証済みだ。一例が、北村稔氏の『「南京事件」の探求』(文春新書)である。同書は日本語の文献には頼らず、中国語と英語、つまり非日本語の文献にのみ依拠して書かれた。日本人の主観を排して書かれた同書は、南京事件を中国人からの目から見た情報のみでまとめられたわけだ。同書は、中国人による戦中の記録はすべて、「南京大虐殺」は存在しなかったと物語っていることを書いたものだ。

以上です。

学校を卒業した直後あたりに、朝日新聞記者の本多勝一氏の著作「中国への旅」を読んでいた。この本は、本多氏が中国での聞き取り調査した内容を中心にしたルポルタージュで、朝日新聞に連載されていたものを、まとめたものです。その後、続本「南京への道」を読んでから、この本とは全然違う視点から書かれた本が本屋さんの店頭に並んでいるのに気づいた。それから、私の頭のなかで、どっちが本当なの?状態が続いていた。そうこうしていると、本多氏と文春系御用作家との戦いが鮮明になってきた。あちこちで、バトルが繰り広げられ、その都度話題になった。熱い論争が続き、私はその論争の行き先に、興味深々だった。

鈴木道明「南京大虐殺のまぼろし」

山本七平氏の"諸君”連載された記事  

洞 富雄氏の「南京事件」「”南京大虐殺”はまぼろし」か

私は、「南京大虐殺」の規模的なことについては、推し量ることはできないが、「南京大虐殺」が存在したことには確信をもっています。大虐殺があったのか、なかったのか、そんな大それた問題なのに、そんなことでええのか? はっきりせい!! そんなモヤモヤ状態だったときに、答えを出してくれた人に巡り会えたのです。それは、私の信頼できる親友のお父さんが、自分の息子と私を前に、自分がその現場に遭遇したこと、その直後、特に日本に帰ってからは、この実体を広言するな、と上官より強く命じられたことを、涙ながらに話してくれたことがあったからです。私が持参した雑誌に載っていた写真を見ながら、これは本当に起こったことだ。でも、俺も全部を見たわけではないので、全体的なことはよくわからない。でも、この写真程度のことは、俺はこの目で実際見てきた、と言った。

なので、私は「南京大虐殺」が事実として存在したことに、確信をもっています。

櫻井よしこ氏が、何をもって、前記の如く言い切れるのか、不思議な気がします。すでに、貴重な研究によって、立証済みだとおっしゃる。何故だ?

この重要な問題、「南京大虐殺」は存在したのか? 存在しなかったのか?早く、はっきり、してもらいたいものです。今からたかだか70年程の前の話しだ。卑弥呼がどどこで、何をしていたんだ?、蘇我氏の入鹿や馬子は?、という問題ではない。

公開討論会でもしてみて欲しい。

本日、インターネットで「南京大虐殺」を検索すると、やっぱり、色んな意見があったのだ、と驚かされた。「南京における、事件」としてとらえている人々もいるようだ。国民運動としての、検証が必要に思われます。

 

 

2007年2月7日水曜日

NHK

私、NHK受信料の支払いをためらっています。

 

先日、朝日新聞(他紙にも掲載されていたのかは調べていない)の社会面に、次回のNHKの大河ドラマの内容、スケジュール、配役、脚本家の紹介記事が掲載されていた。

テレビドラマには、感心がないので、記事の内容については記憶には残っていない、が、ただ、正確な記憶ではないのですが、がっつ~んと頭に残った断片がある。それは、制作費が、年に14,5回放映される、その1回の制作費が何と5、000万円とか7、000万円とか書いてあったのだ、その金額の大きさに吃驚した。それって、総額7億とか10億円になるってこと。直接の制作費意外に、職員の給料、事務所経費を入れると、その1,2~3倍はかかるのでしょう。これは、ちょっと黙ってはいられない。虫酸が走った。

第一、NHKに果たして、大河ドラマ、大晦日のNHK紅白歌合戦、一連の娯楽番組を現在のように、制作し続ける必要があるのか? この類の番組は十分民放で補われているのではないのか。

この記事を見て、朝日新聞がNHKの広報部の役目を果たしているように思えた。朝日が「国民の皆さん、そろって、大河ドラマを見ましょう、楽しみですね」そんなアピールを、敬愛している“朝日新聞“がしているように感じて、不愉快だった。裏には、見たら、ちゃんと受信料を払うんですよ、と圧力をかけているんじゃないか、と、まで。

NHKは、広く国民(受信料支払い者)に、誰にも支持を得られる番組編成をしなければならないのではないか。

 

関連子会社が50社近くあると言われていて、ちゃんと退職後の天下り先がセットされている。 闇費用を捻出するためのダークな下請け会社が跋扈、完備されている。国民から徴収したお金を、NHKから下請けに実際よりも多い目には支払われ、その多い目に支払われた分が、職員のポケットに、飲食やギャンブルに、愛人との同伴出張費に、あてがわれる。

職員の経費水増し請求もあったな。出張もしない架空旅費を請求する手口だ。

政府・与党のおエラ方の意向に、簡単に番組の編集方針変更に応じてしまう、体質。

イヤになる事を積み上げればきりが無い。

そこで、だ。

NHKの受信料のことだ。

使った水の分量だけ、支払う。使った電気の量だけは、支払う。これらを支払うことについては、当たり前のように納得している。

だが、私には、見もしないテレビの受信料を払えと言われたって、そう簡単に納得して、支払うことができないのだ。

 

元朝日新聞記者の本多勝一氏が朝日ジャーナルに書かれていた一文を転載させていただく。

「朝日ジャーナル」1988 8 12号

たとえば新聞や雑誌なら、少なくとも講読をやめることによって最低限の影響力は行使できる。ところが、NHKだと見なくてもなんでも、テレビを持っているだけでも、強引に受信料を払えという。だが、払っても番組や経営に参加できるような制度は全くないのである。株主が経営に対して全然口をはさめない会社などは存在しない。NHKには株主総会にあたるものがゼロなのだ。

*本多勝一氏には「“NHK受信料“拒否の論理」という本を著しておられる。15年程前に読みました。面白かった、と言えば著者に失礼かな。一考させられました。

 

NHK出身の評論家・小中陽太郎曰く

「経営委員会は一般企業であれば、株主総会に匹敵する。株、つまり受信料を支払っているわれわれに、個々の委員に対する信任投票がないのは、おかしな話ではないか」

それでは、経営委員会とは~

経営委員会を構成する委員12人は総務省が人選し、内閣が国会の承認を得て、3年の任期で任命する。当然、政府・与党の自民党の意向で決まることが多い

 

よって、経営委員会や番組編成会議に国民(受信料支払い者)が参加できるような仕組みにしていただかなければ、始まらない。『NHKならではの機能』が十二分に発揮されるようになれば、受信料徴収率もあがることでしょう。

 

ところで、ラジオの受信料はどうなっているの? 

 

 

NHK受信料    2007年2月5日  朝日社説より

支払い義務化を急ぐな 

一連の不祥事から発したNHK改革の流れが、根本的な変革とはほど遠いところへ向おうとしている。総務省は今国会に出す放送法改正案に受信料の支払い義務化を盛り込む方針だ。現行法では、テレビのある世帯はNHKと受信契約をしなくてはならない。この契約義務に代えて支払い義務を明記することで、受信料の徴収率を高めようというのだ。

だがそれでは、自らの不祥事がもとで不払いが広がったのに、NHKに甘すぎるのではないか。そんな反発を考えたのだろう。総務省はNHKに受信料を2割程度下げるように求めている。

視聴者にしてみれば、値下げはうれしいが、いくつも疑問や心配がある。

支払い義務にしても、不払いが激減するとは考えにくい。効果がなければ、不払いへ罰則をかける動きが出てくるだろう。そうなると受信料は税金に近づき、視聴者に支えられる公共放送というよりも国営放送に近くなってしまう。

英国の公共放送BBCは罰則まであるが、それは政治権力から自立しているという評価があってこそのものだ。

それに比べて、NHKは政府や与党に弱い。国会議員らの意図をおしはかって、慰安婦問題の番組を改編した、と東京高裁の判決で指摘されたばかりだ。

NHKは罰則には反対だが、支払い義務化は歓迎している。受信料を集めるには、背に腹は代えられないということだろう。徴収率が上がれば、値下げも考えるという姿勢だ。

しかし、受信料を集めるために住民基本台帳ネットワークを使いたいというのはいただけない。

視聴者の転居先を突き止めるのに苦労しているのはわかる。だが、住基ネットはプライバシーを侵すとして住民訴訟が各地で起きているし、もともと政府と自治体の利用しか想定していない。その枠を真っ先に破れば、いよいよ政府機関に近い性格を強める。

統制力が弱くても国民の8割が払ってきたのが、世界がうらやむ日本の受信料制度だ。7割に落ちたからといって、政府に頼ろうというのでは、自立した報道機関とはいえまい。

もちろん、受信料の公平な負担は大切だ。「NHKを見ているのに払わないのは許せない」という声は当然だろう。

だが、見ない人が増えている事実にも目を向ける必要がある。NHK放送文化研究所の昨年11月の調査で、NHK総合テレビを1週間に5分以上見た人の割合は62%だった。前前年の68%、前年の63%から減った。教育テレビは30%だ。

見なくても払う。国民全員で支える。これが受信料制度の根っこにある考え方だ。国営放送への道を歩むのではなく、公共放送としてとどまるにはどうすればいいか。それがNHKに問われている。それには出費の無駄をなくしよい番組を作ることで信頼を取り戻すしかない。

支払い義務化は急ぐべきではない。 

2007年2月2日金曜日

テレビは怖い

関西テレビ制作の「発掘!あるある大事典」が、データーの捏造が発覚して放送が打ち切られた。ことの発端は、「納豆でダイエット」。過去にも、06年には「味噌汁で減量」、98年には「レタスで快眠」が取材事実を捏造していた可能性が濃厚との報道あり。研究者の言葉を捻じ曲げたり、実験結果を偽って、あらかじめ想定する結論に結び付ける手法は、みな同じ。

今回の『納豆でダイエット』では、納豆を買い求める人が急増、品薄で、店先から納豆が消えた。

そんな、バカなことが、と嘆いていた。制作するやつもバカなら、それを本気で電波にのせてしまう放送局も大バカだ。

放送された内容を、自分でも吟味しないで、言われたまま、放送されたまま、店に納豆を買いに行く。確かに納豆は体にいいから、いいけど。それにしてもだ、危険だ。

昔、テレビの前に群がる大衆を「一億 総白痴化」と言った評論家がいたが、巧いこと言ったものだ。新聞や本を読む場合は、目で文字の意味を考える。人によって、脳の思考回路を、ぐるぐる回るかひゅうっと素通りするかの違いはあるが、とにかく考える。時間がかかる、その分だけは考える羽目になる。テレビは、情報が直接、脳幹(脳味噌)のどこかへ飛び込んで、思考するイトマがない。視覚したものが、そのまま答(結論)になるのだ。

そんな、バカな、と嘆いていた。

今朝

4月で3歳になる愛孫のハルが、今、自分が食べているお茶づけを「これ、お相撲さんが、食べるんだよね」と言うではないか。

なんのこっちゃ、と娘に聞いたら、テレビのコマーシャルだそうだ。お相撲さんがお茶漬をおいしそうに食べているシーンがあって、茶漬けの商品名が連呼される。

孫も、危険に巻き込まれそう。

アーバンビルドの5ヵ年計画

こんなことまで、弊社は公開しちゃっていいのかな?と心配しながらも、敢えて公開することにした。

今後5ヵ年の事業計画の簡素化したものです。弊社のことを、何かと気にかけてくれる関係者の方々が、私の想定以上にいてくださる。

弊社の事業展開に対するアドバイス、事業内容のチェック、過去のこと、将来のこと、何でもいいですから、弊社に物申して、いただければこの上ない幸甚の至りでございます。

ちなみに、今期は28期です(平成18年9月1日~19.8.31)

計画策定の背景①     業容拡大に伴う組織の改編、内部統制の強化

②     スタッフの増強と教育、スキルアップを図る

③     各事業部の権限、責任の明確化

④     外部専門家の導入

⑤     社内情報の共有化システム

⑥     業務内容の発信手法の拡大

 

 









アーバンビルド 5カ年計画

 

 
































































































































































単位:100万円
28期 29期 30期 31期 32期
売上高 8,621 10,014 11,106 12,323 15,491
PJ利益 727 920 1000 1,144 1,426
営業利益 351 509 539 622 844
要員
営業部 14 16 19 27 29
開発部 3 3 4 4 4
建築部 1 2 2 2 2
販売部 3 3 4 4 4
管理部 5 5 5 5 5
売上 PJ利益 売上
100億 10億 150億

課題

財務力強化、財務戦略の確立

管理業務の整備

関連会社の整備

上場に向けた社内整備

 仕入れ情報ネットワーク  個人の営業力から組織力強化

商品化システム  安定生産性強化