20100129〈金〉
19;30~
桜の森の満開の下
坂口安吾/作 広渡常敏/脚本・演出 池辺晋一郎/音楽
東京演劇アンサンブル
ブレヒトの芝居小屋
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職場のスタッフは、私が練馬の関町に行ってくるわ、と言えばもうそれで全て了解してくれるのです。一部には、私のことを飽きれた奴だ、と思っている人もいるかもしれない。早い目に上がるけど後は頼むわ、と言い置いてブレヒトの芝居小屋に向かった。
昨年、2009年4月の公演を楽しみにしていた。
だが、主演の公家義徳さんが舞台稽古の最中に怪我をして、突然中止になった。残念な思いを味わってからもう1年近く経ったのだ。光陰矢のごとし、とよく言うが、一日一日が飛ぶように過ぎていくのには驚く。
早く、19:00に着いた。ロビーでは焼酎を売っていた。なんと売り子さんが、6代目?7代目?の「銀河鉄道の夜」の現役ジョバンニさんではないか。昨年も一昨年も、舞台の上の彼女にはお会いした。今日は売店の店長さんだ。勇気を振り絞って焼酎1杯ください、と、声は引きつっていた。濃い目にしますか、淡(うす)い目にしますか、と問われ、なんと気の効いた店なこと!!、特別濃い目にお願いしますと迷わなかった。ジョバンニはお湯を入れてから、焼酎を入れますので、自分でストップと言ってください。どこの酒場でもこんな調子だったら、日本中がアル中ばかりになってしまうではないか。もう一人、この焼酎コーナーから離れようとしないオジサンがいた。このオジサン、少し酔っていた。ジョバンニの説明によると、このオジサンの娘さんがこの劇団の照明係だと言う。そんなことを話しているところに娘さんが来て、父に向かってこれ以上お酒を飲まないようにと苦言、怖い顔をして去って行った。酒飲みのオヤジはどこでも嫌がられるらしい、これって常識なの?
芝居は、舞台正面に置かれた屏風を破って、男と女が大きな音とともに飛び出して始まるのです。外国では、この初めのワンシーンだけで、劇場内が大混乱になるほど驚いてくれました、と龍氏。
1967年、檀一雄氏の進めによって広渡常敏が脚本して初演、その後演出を変えて再演し、現在に至る。90年のニューヨーク公演を皮切りに、91年ソウル、99年ロンドン、ウラン・ウデ、そして2005年のアイルランドの3都市で公演を行い、その都度高い評価を受けている、東京演劇アンサンブルの代表作だと、パンフレットには書いてあった。
原作を、よくここまでお芝居に仕上げたものだと感心させられた。脚本、演出を担当した広渡常敏さんの類まれな才能に驚嘆した。音楽、衣装、舞台演出、小物に至るまで奇抜だった。雪を模した紙吹雪をドンドン降らせた、そして風を吹かせた。宙吊りされた女、その下では男が女を背負っての動きか、見慣れぬ動きで、観客の目を瞠らせた。女房たち数人、生首たちの歌舞伎の手法を巧みに取り入れた不思議に絡み合った舞踊にも、私は興味をもった。
お芝居が終わって、劇団が手作りの料理とお酒を用意してくれた。
舞台を担当した劇団の龍氏が、この舞台の装置や道具、セットの工夫や苦心したことを熱い思いを込めて話してくれた。昨年の暮れ、「銀河鉄道の夜」を観た後、必ずこの芝居を観に来て欲しいと強く誘われた。昨夜の彼は雄弁だった。あの屏風だって、タリさん(広渡常敏さんの愛称)と、いろんな屏風を検討したんですよ。海外で好評を博した話で盛り上がった頃は、もう興奮の絶頂だった。そりゃそうだろうな、地球の極東の国からこんな演出で乗り込まれたら、どこの国だって度肝を抜かれたであろうと、容易に納得できた。国毎に安全基準や消防の規制が違って、即応しながらこなしてきたのですが、それは大変でした、と言っていた。だから、此処、私たちの芝居小屋では好きなようにやれるので苦労なし、楽しいことばかりです。この仕事に就くまでは、「芸術は爆発ダ」の岡本太郎氏の処で働いていた。そこでの仕事のことも、もっと聞きたいと思ったが、時間がなかった。私との共通の友人の、ソニーの部品作りの会社経営者の昌氏、いわき市でスイミングのコーチをしている西氏のことにも話題が飛んだが、これもじっくり話せる時間がなかった。
ツムにも会えた。ツムは龍氏の姉で、かっての劇団員だった。「銀河鉄道の夜」の2代目のジョバンニだった。大学時代からの知り合いだから、かれこれ35年以上のお付き合いだ。今から20~25年前に、弊社のクリスマスの企画として横浜市中区関内のYMCAの最上階にある教会で、ツム一人による「銀河鉄道の夜」の朗読会を催したこともあるのです。社員は勿論、協力会社の人たち、サポーターに大変喜ばれた。今は、家事の傍ら軽自動車でお米を運んでいるとか、言っていた。彼女を前に懐かしさがドンドン湧いてきて、ツムの夫のこと、駆け込み出産のこと、仕事のこと、共通の友人のこと、それぞれの家族のことを、あれも話したい、これも聞きたいと思うことがいっぱいあったが、嗚呼、時間がないのが悔しかった。ツムの夫が彼女を迎えに来た。彼とは、先ほどのYMCAの朗読会以来だ。立派な体格だった。
ツムと龍氏の父=洋氏は、この劇団の代表者だ。大学時代、私がお世話になったテレビドラマの脚本家だった牛氏から洋氏を紹介され、この劇団のお芝居によく連れて来てもらったのです。今夜、洋氏の奥さんに初めてお会いした。ツムが来ると龍氏から聞かされていたので、カメラを持ってきた。この家族を纏めて撮ろうとしたら、洋氏の奥さんが家族揃って撮ることを、強く願ってくれたのです。奥さんは、家族が揃って撮った写真が、我が家には一枚もないのです、みんながバラバラなので、撮って、撮って。この写真を奥さんに、多い目に現像して贈ろうと思った。
車で来たのでお酒は遠慮したが、劇団員が作った料理に舌鼓を打ちながら、龍氏やツム、代表者の洋氏らとお芝居の話や身辺の出来事を話していると、此処が、この劇団が、独特な空気が漂う不思議な世界を作り出しているような気がしてくるのでした。富、金銀財宝とか、株や借金とか、身分や所属とかとは無縁の世界だ。劇団の出し物が、私と気脈が通じていることに、この快さの源があるのだろう。この酒盛りの誰の顔にも、無垢で、心の豊かさが滲み出ている。きっと、みんながこの劇団を愛しているのだろう。愛しながら、自分のことを確かめ合っているのかもしれない。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」風に言わしてもらえれば、自分の自分探しなのかもしれない。私も、此処では心穏やかに素(す)で居られる。みんなは同志なんだ。此処で、いつまでもいつまでも、時間を過ごしたいと思った。万一、此処のサロンならば、どんなトラブルが発生しようとも、民主的な手法で平和的に治まるだろう、と確信した。そんなことを洋氏一家に話したら、にっこりウンと頷いておられた。
一つの気球船に乗り合わせた、クルー仲間のようにも感じた。
大学時代は40年前、坂口安吾の本を真剣に読んだ。同時代の織田作から太宰、田中英光、檀一雄も好んで読んだ。どてらを羽織って酒を飲んでいる安吾、日本海の冬の海岸を寒風に吹かれながら歩く安吾、レンズのぶ厚い丸い黒縁メガネの安吾が布団の中で本を読んでいる、そんな写真が目に浮かぶ。
安吾の短編はどの作品も面白かった。探偵物や歴史物が面白かったと記憶に残っている。なかでも、今回の「桜の森の満開の下」は、民話からとった題材がいかにも安吾らしくて、ストーリーは簡単だったので、ほぼ確実に憶えていた。
が、長編は面白くなく、ただ、牛の涎(よだれ)のように楽しくもない話がこれでもか、これでもかと続くのです。男と女がああでもない、こうでもないと。私は、意地でも読み通してみせるとむきになって読んだが、結果、空しさと疲労だけを覚えた。作者と読者、お互いに意地を張り合っていたように思う。そんな面白くもない本を何故、そこまで我慢して読むんだと聞かれても、的確には返答できない。この苦しい本を読みこなさないと、俺の明日はないんだ、なんて自画自賛、いっぱしの安吾通を自任していたのです。
(男と女)&(広渡常敏)
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(パンフレットより)
花というのはおそろしいもんだな。
花の下では風がないのにごうごう風がうなっているような気がしてくる。
花びらがぼそぼそ散ってくると、こっちの魂も散っていのちがだんだん衰えていくようだ。
桜の花が、間もなく咲く。
桜の花が咲くから、それを見てから旅立つことにしたい。
どうしてなの?
桜の森の満開の下へ行ってみなければならないからだ。
もう一度あの下へ行こうと約束したんだ。
だれに?
俺にだ。
なぜ行ってみなければならないの?
花が咲くからだ。
花が咲くから、なぜなの?
花の下には冷たい風がはりつめているからだ。
花の下にかえ?
花の下は涯しがないからだ。
花の下がかえ?
わたしも花の下に連れて行っておくれ。
だめだ、それはだめだ!
俺一人で行かなくてはだめだ!
桜の森の満開の下は俺一人で行くんだ!
お前は淋しいっていうことがどういうことだか、わからないんだね?
淋しいということばを知らないんだね?
山賊のことばでなければいえないこともあるぜ!
(ジョバンニと私)
男と女 (公家義徳・原口久美子 )
(ツム、龍氏と父母殿、志賀澤氏、私)
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パンフレットより
吹き抜ける安吾の風
岩波 剛(演劇評論家)
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奥行き深く 真骨頂舞台に
無頼派、異端、風狂とさまざまに呼ばれる坂口安吾は、日本の戦後文学といわず文化の歴史で、その名を逸することのできない異能の人である。「安吾の本質」の中には「激越な、求道的な、あるいは破壊的な狂気が宿って」いたと檀一雄はいうが、”狂気”のエネルギーでももってしなければ、あのすさまじい権威への抵抗はありえない、そんな戦中・戦後の混迷動乱期を生きたのだ。小説、エッセー、文化論から人生案内、巷談までその筆は奔放であり広範囲だったが、生誕百年を迎えてなお読み返され、論じ直されているのを見ても、いわゆる文化人などとは質の違うことは明らかだ。
その代表作ともいえる作品を舞台化したものが、東京演劇アンサンブルの「桜の森の満開の下」である。脚本・演出の広渡常敏は、2006年に亡くなったが、安吾の血をひく詩人であり、デカダンであり、反抗者であった。この劇は安吾の作品であり同時に自立した舞台芸術であって、安吾の風がときに嵐のごとく、ときに沈黙となって吹きぬけてゆく。
いきなり巨大な屏風を踏み破って、山賊が美しい人妻を引きずり出すというぎょっとする幕あき。宙を飛ぶ美女と山賊の道行き、女がもてあそぶ人間の生首、血しぶきはカラーテープとなって噴出し、歌舞伎の手法、モダンな舞踊もふくみ込みながら、美女が花びら闇に消えるまで、ごうごうと桜吹雪が舞い続ける。
「サクラ」は日本の象徴、しずこころなく花の散るらんーーーの静けさ平穏を日本的美意識と思い込んできた外国人が驚いたのも当然だろう。すでに海外五カ国へ遠征している。
ロンドンでは「美と残酷のコントラスト」が評価され、ニューヨーク紙には「身も凍る神秘的な芝居」と書かれたが、この華麗・過激な舞台は、これが主題だと一言で言えない謎、多義的な闇をはらんでいる。アイルラアンドではそのお国柄らしい寓話が読まれた。「自然・大地に根ざしていた男が、都の美女に目がくらみ、手に入れた末に喰い殺されそうになる。美女と見たものは鬼だった。つまり美女とは西欧文明ないし資本主義の隠喩なんじゃないか」と。広渡常敏は一言「これは詩だ」としか言わなかったが、どんな深読みも楽しみ方もこばまず許す奥行きの深さが、風圧の人安吾の真骨頂だろう。
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広渡常敏『青春無頼』より
「ぼくらが自分にとってよくわかった、既知の安全な場所に踏みとどまっていり限り、ぼくらはナイーブにはなれない。自分にもわからない未知のなにものかへむかって自身を投げ出していく時、はじめて”狂気”が発生して演劇空間が創り出される。サルトルはそれを自由と言ったのだった。」