アイヌの人々は先住民族
今国会で決議採択へ
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「朝日新聞 5月末のある日の朝刊」より
政府は96年の有識者懇談会報告書でアイヌ民族の先住性・民族性は認めたが、先住民族とは明確に認めていない。
認めれば、土地補償などの権利問題が起き、財政負担が生じるとの懸念があるためだ。
しかし、昨年の国連の総会では、先住民族に幅広い権利を認める「先住民族に関する宣言」が日本も賛成して採択された。7月の北海道洞爺湖サミットを前に、先住民族と認める国会決議を採択する機運が高まった。
その後の調整で、「アイヌの人々が労働力として拘束、収奪されたため、その社会や文化の破壊が進み、『同化政策』により伝統的な生活が制限、禁止された」などの記述は削除したが、アイヌの人々を「独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認める。「高いレベルで有識者の意見を聞きながら、これまでのアイヌ政策をさらに推進」することを政府に求めるーーーとの部分を残す方向で各党が一致した。
が、政府は、国会決議が採択されても従来の見解を変更する姿勢は示していないが、有識者会議の設置などの取り組みを強化する方針だ。
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1986年、当時の首相だった中曽根康弘氏が、アメリカで「日本は単一民族」と発言した。それを聞いたアイヌの人たちは、一斉に抗議した。私も、怒った。元々、氏とは人間的要素において、何もかも違う私は、居酒屋で徳利片手に楯突いたのが精一杯の抗議で、それまでだった。
当時、私は朝日新聞のある編集者の著作物に入れ込んでいたので、ことさら、中曽根氏の発言は許しがたいものでした。その前にも、中曽根氏の世界観が私とは随分違う人だな、と感じていた。この問題は、今後大きな社会問題に発展するだろうと予感した。
でも当時は、政府もアイヌについてはその程度の認識だったのです。
だが、5年後の91年には、国連への報告ではアイヌ民族を少数民族と認めた。
そして、95年には、人種差別撤廃条約を批准した。少数民族に対する考え方が、がらっと変わってきたかに思えた。
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でも、悲しいかな。その後にも、政治家のアイヌ民族に対する誤った発言が繰り返されたので、下記にその内容①②も付け加えた。
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2001年7月2日
①北海道選出のムネオハウスで有名な鈴木宗男自民党代議士が、2日、東京・有楽町の日本外国特派員協会での講演で、「(日本は)一国家、一言語、一民族。アイヌ民族は今は全く同化された」などと発言した。
北海道ウタリ協会は、「情けない、アイヌを一番知るはずの地元の鈴木代議士が正気で発言したとは思えない。中曽根首相の単一民族発言から15年たつのに、相変わらずの認識だ」と。
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②同日、平沼赳夫経済産業相も、札幌市内のホテルで開いた自民党の中川義雄参院議員のセミナーで、「小さな国土に一億一千六百万人のレベルの高い単一民族でぴちっと詰まっている。この人的資源があったからこそ、あの大東亜戦争に負けて原爆まで落とされて、いまだにアメリカに次いで世界第2位の経済大国の座を守っている」などと述べた。
この発言に対しても、平沼経済産業相はアイヌの人たちから批判を受けた。
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アイヌ民族最大の団体「北海道ウタリ協会」は5月16日、協会の名称を設立当時の「北海道アイヌ教会」に変更することを決めた。
アイヌ語で「アイヌ」は「人間」、「ウタリ」は「同胞」の意味。
アイヌという言葉が差別的な意味で使われていたことがあり、入会時などの心理的な抵抗を軽減させる、ということで「ウタリ」を使ってきたが、97年のアイヌ文化振興法制定などに伴って民族や文化への理解が進んできた社会的背景の変化などから、民族の本来の呼称であるアイヌにもどすべきだという声が高まった。
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20080607 朝日朝刊 天声人語より~
《その昔この広い北海道は、私達の先祖の自由の天地でありました》。85年前に初版が出た『アイヌ神謡集』の序は、そう始まる。編訳者の智里幸恵「ちりゆきえ」は自分達を「滅びゆくもの」と呼び、文化の一端でも残そうと病身にむち打った
彼女は母語と和語を自由に操る天才少女だった。見出し、導いたのはは言語学者の金田一京助だ。南の文明に脅かされる同胞が「進みゆく世と歩をならべる日」を夢みて、幸恵は19歳で逝く。本は間に合わなかった。
アイヌを列島北部の先住民族と認める国会決議が、全会一致で採択された。〈多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされた〉。その権利を守る政策をさらに進めるよう、政府に求めている。
つ11年前まで、アイヌを旧土人と呼ぶ法律があった。土着の史実を認めていたも同じだ。先住民族の権利を尊ぶ国際的な流れにならえば、「歩をならべる」べきは世の中の方で、決議もその一歩となる。
異なる文化や習慣が出会うことで、社会は厚みを増す。反対に「単一民族」の虚構は、妙な思い上がりに化けかねない。すべては多様性を認め合うことから始まる。
『銀の滴(しずく)降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに』。フクロウの神は、そう歌いながら飛ぶ。「神謡集」冒頭の一編だ。神は金持ちの子らが放つ金の矢をよけ、貧しい子の木の矢にわざと射られる。大自然と折り合い、漁猟や耕作にいそしむ心優しき民。幸恵が伝えようとした、先住民族の生活や精神に学びたい。
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