先日、横須賀の武に、司法書士の銀子正美さんと不動産の登記のことでお客様の家にお邪魔した。客間には仏壇があって、花瓶にヒャクニチソウが挿してあった。花についての知識は乏しいのですが、見た瞬間、懐かしさがこみ上げてきた。無粋な私の目にも快かった。ヒャクニチソウが久しぶりだったのです。子供の頃、祖母が畑の隅っこで花壇を作っていた。春に種を蒔いて、夏の早い時期に花を咲かせるのでした。祖母は、この花はヒャクニチソウと言って、百日は無理だけれど、それ程長く咲いているので、このような名前がついたんだ、と教えてくれた。子供心に、花の名前もそのようにして付けられるものなのだと、感心した。祖母は、咲いた花を切って仏壇にお供えしていた。几帳面な人だった。仏壇には、祖母の夫と私の父の兄(祖母にとっては、長男)が祀られていた。祖母が言うように、真夏の炎天下、花は長く咲いていた。切花にした花も、日持ちした。その祖母は、私が社会人2年生のとき亡くなった。父や母には厳しかったけれど、私には優しく、よく可愛がってくれた。
そして、場面は変わります。
私は、今でも毎朝犬の散歩をしています。もう15年程の習慣になっている。雨の日も、風の日も、雪が降っている日も、決して欠かしたことはありません。一年半前に逝ったゴンとは13年間、ポンタとツバサとは今から4年程前から。約4年間は、犬3頭との散歩だった。この犬との毎日の散歩は、とても楽しいのです。睡眠時間をたっぷりとった後なので、精神状態は、とても穏やかな時間帯なのです。夏も冬も、朝5時に家を出るのです。大型犬だったゴンとは、どんどん遠くまで散歩した。
犬との散歩で、私はそれぞれの家の庭に咲いている花や、樹木や花木を観賞するのも楽しみの一つにしているのです。管理が行き届いている庭や、人の手をあまりかけていない野放図な庭、草花の寄せ植え、野菜に重きをおいている庭、そんな他所の家の庭を見て回るのです。又、コンクリートの縁石のちょっとした隙間から、名も知らぬ草花が咲いていたりするのです。近所の誰かが作った割り箸のような柵でその小さな花を守っている。にっこり、微笑まずにはおれません。U字溝の枡の底から生えて、鉄の格子から首を出している草。ガンバレ。春夏秋冬と、それぞれの季節の変わりようも楽しい。景色はきちんと変わるのです。
夏、今頃のことです。夏の草花は多種だけれども、花の咲く花木が割と少ないように感じるのです。その少ない花木のなかで、一番目につくのがサルスベリです。紅い花、白、紫に近い赤、白に少しピンクがかった色、微妙に違った花をつけるサルスベリが今、盛りなのです。散歩中、遠くに色モノの花を見つけると、私は犬の都合など無視して、その花に向かっていくのです。そして、確認するのです。名前は知らないが、かなりの花を見ています。それが、今はサルスベリなのです。大木にならないので、家庭の庭木や街路樹に使われているのが多いように思う。枝に小さな花が群れて咲き、その枝の先に次から次と蕾ができて、それが開花し、いつまでも枝に花が咲いているように見えるのです。当然、咲いた花は、時間が経つと散り、地面にはジュウタンが敷き詰められたように、紅だったり、白だったり、ピンクだったり、あまり性急に掃かなくてもいいに、と私は惜しむ。
相模鉄道の駅「万騎が原」の駅前の通りの街路樹は、立派ですよ。
そして、サルスベリのことを調べようと、インターネットで、「さるすべり」と、キーを叩いた。猿滑り、だろうか。植物学名なら、カタカナだな。それで、変換していたら、「猿滑り」は出てこなくて、「百日紅」と出た。はっは~ん、なるほど、と納得したのです。
田舎で祖母から教えてもらった百日草(ヒャクニチソウ)と、この頃のこの百日紅(サルスベリ)が、私の頭の中で連なった、ということです。
私が家人に、百日草やサルスベリの話をしたら、彼女が庭の花を指差し、あの花が日日草です、と言うではないか。私にとって一番身近な、自分の庭の花を見てはいながら、その名を知ろうとしなかった、そのうかつさを恥じた。日日草は、梅雨の頃から秋まで咲き続け、日々新しい花が咲き変わることからこの名前がついたそうだ。それぞれの花は1日花ではなく、3~5日はもつ。
私も、昨日(080829)、女性スタッフに花屋さんから買ってきてもらって、会社の前にプランタン3個に12株の日日草を植えた。社員の目に、お客さんの目に留まれば、嬉しいのだが。
千日草って花もあるらしい。これは後日なんかで、縁があろう。
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