20100214(日)
ソの宮参り
11:30~
住吉神社(福岡市博多区住吉町)
神事を司ってくれたのは、当神社の神主=H・宗氏でした。
(ソと、ソの両親、ソのジジババ4人と神主=宗氏)
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14日、私たち夫婦は羽田を7時35分発の福岡行きスカイマークで飛び立った。長男夫婦に初めて生まれた女の子・ソの宮参りのためだ。私にとっては、三番目の孫になる。機中からは、眼下一面、雲海で何も見えない、上空はきれいな青空だった。雲海の上に、富士山が忽然と現れて、三合目辺りから山頂にかけての山容がくっきりと真っ白に見えた。噴火口がこんなに真上から見えて、窓際の妻は痛く感動していた。私にとっても初めて見る光景だった。今までも、これからも富士山は日本の厳然たるシンボルだ。フジヤマは神々しいばかりだ。日本に富士山があってよかった、と思う。
往き帰りの機中で、大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」〈講談社〉をなんとか、半分までは読み終えたいと思っていたので、窓の外のことには目もくれないで本に夢中になった。琵琶湖の上を通った時にも、妻は私に報せてくれた。私の生まれ故郷は、琵琶湖から流れ出る瀬田川の下流だ。生家の辺りは見当がついた。それからは、ただ雲の中を飛び続けた。見えるのは雲ばかり。福岡に近づいて、高度を下げると、雲り空にけむる福岡の市街と海岸線が見えた。海岸線には埋立地と思われる造成地が広がっている。会社では社員が一所懸命働いている。そんなことを思うと胸がチクチク痛みはすれど、やはり私事といっても祝い事だから自ずと気が緩む。
福岡空港からタクシーで直接住吉神社に向かった。住吉神社に10:30頃着いた。広い境内には大木が何本も茂っていて、敷地には細かい砂利が掃き清められていた。先ず驚いたのは、結婚式や宮参り、厄除けと思われる参詣者が多いことだった。大安だったこともあるのだろう。住所は福岡市博多区住吉3丁目だ。
早く到着したので、境内をうろうろしていたら、この神社に奉職中の神主さんで、私たち夫婦の長男・草の嫁・元さんの兄・宗さんが、私たち夫婦を見つけて近づいてこられた。私は、今日のことでお世話になること、明日のことは大層おめでとうございます、と挨拶を交わした。
ここらで、何故九州の福岡の博多の住吉神社で、長男の子どもの宮参りをすることになったのか、説明しなくてはならない。長男の嫁・元さんの兄・宗さんが、この神社で奉職中だとは先ほど記したのですが、そのお兄さんが明日、ここで、この神社にかって勤めていた女性と結婚式を挙げるのです。その式に列席するために、息子夫婦はここに来なくてはならない。それならば、お兄さんに宮参りの祈祷をやってもらおうじゃないか、ということになって、我々夫婦も来ることになったのです。私は宮参りとお食い初め、それと最近我が家に忍び寄ってくる”松っつん”との食事に、妻は、それ以外に明日結婚式から披露宴までの間、孫・ソの子守役を買って出たのです。
明日新郎になる神主は、足腰が弱っている妻には控え室を案内してくれて、私には神社の建物や歴史のことを色々話してくれたのです。
話してくれたことと、パンフレットなどから得た住吉神社についての情報を少し纏めておきたい。筑前一の宮だ。底筒男命(そこつつのおのかみ)、中筒男命(なかつつのおのかみ)、表筒男命(うわつつのおのかみ)の住吉三神を祭神としている。「筒」は星を意味するとか、何かで読んだような気がする。日本全国に約二千社ある住吉三神を祀る神社の中で最も古い神社であるとされている。現在の全国の住吉神社の総本社は大阪の住吉大社である。大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社の三社が日本三大住吉とされる。本殿と拝殿とは、25年ごとの式年御遷宮(せんぐう)が行なわれることになっていて、平成22年の10月にはその遷宮大祭がある。本殿は16??年に黒田長政公による建立、建築様式は「住吉式」、福岡県の重要文化財に指定されている。
伊勢神宮も御遷宮の準備をしていましたよと彼に話したら、伊勢神宮は20年ごとに完全に建て替えるのですが、それは大変な工事になるので、住吉神社では25年ごとに立て替えるのではなく、大規模な修繕、修理や模様替えをすることにしているのです。今はその工事の最終的な仕上げの状態のようであった。そのために、祈祷などは拝殿の前に仮の拝殿を設(しつら)えて行なわれていた。遷宮が終了したあかつきには、この仮の拝殿は移築されて神輿を仕舞いこむ倉庫になるとのことだった。
今日も参拝客は多いのですが、昨日の方が結婚式が多かったのです、と仰った。昨日は土曜日で先勝だった、遠方からのお客さんを呼ぶには好都合だったのでしょう。神社で働いている人は、アルバイトの人もいるのですか、と尋ねたら、全部職員ですとのことだった。他人事ながら、みんなに支払う給料のことなどを考えてしまった。
能楽堂は、近所の人たちが能の練習に使うことが多い。以前に野村万何とかさんも演じたこともあったのです、とのこと。若者用のミュージック大会やお笑い大会、演芸会なども催される。福岡県の重要文化財に指定されている。
土俵。今回の主役の一人、孫・ソの出生した当日(20091108)には、今の横綱の白鳳が土俵入りをしてくれたのですよ、と仰っていた。奉納土俵入りだったのでしょう。
無事に生まれた感謝と健やかに成長することをお願いしました。
H・宗氏によって、宮参りの神事は執り行われた。同時に4組が祈祷を受けた。赤ちゃんを抱くのは、赤ちゃんの父親側の祖父母の何れかが抱くことになっているようです。神様の世界では、お産をした母親は穢(けが)れているとみなされているようです。私見ですが、この儀式が滞りなく済めば、この神の霊域から遠ざかれば、もうそれはどうでもいいことなんでしょうが。神は、神ゆえにいつも、古めかしいことを言いなさる。ここは、黙って従いましょ。
住吉神社の神楽と巫女さんによる舞を披露してもらった。太鼓、横笛、謡いはH・宗氏が担当された。拝殿の前で全員で何枚も何枚も記念写真を撮りました。
12:00~。ホテル・日航福岡で、「お食い初め」だ。子どもが一生食べ物に困らないように願う儀式のようです。私は初めて知ったのですが、宮参りの主人公・ソに石を噛ませるのです。何故石なのか、このことについて詳しくは分らない。後日学習すること。このとき、ベイビーはお母さんのおっぱい以外の食べ物を初めて口にする、ということ。実際には食べることはできないので、食べたことにするだけです。大人たちは大いに食し、鯨のように酒やビールを飲みました。さらに充分親交をあたためました。
私と妻、息子・草と、私の四番目の子ども=三女に忍び寄る男”松っつん”、この四人で、宿泊先のホテル・ニューオータニ博多の近くで、18;00から飲んだ。
松っつんが去年から博多で働いているので、俺たちが福岡に行くことを前もって報せたら、是非一緒に食事をしたい、私が安くて美味いところを探しておきますと、請け負ってくれた。モツ鍋だった。彼は職場から自転車でやってきた。店を出た頃は小雨が降っていたが、若者はそんなことにはお構いなしで、傘もささず闇に消えていった。社宅を追い出されるのでアパートを探さなくっちゃと言っていた。彼は、新進気鋭の社長が張り切る服飾メーカーの誇り高い社員だ。この会社の社是(しゃぜ)が、格好いいのです。私も気に入っているのですが、ここでは差支えがあるので公開は遠慮します。
翌日15日、福岡発07;10のスカイマークで、羽田には9時頃着いた。会社での10:00から打ち合わせに間に合った。
妻は、息子夫婦が結婚式に参列、披露宴で美味しいお料理を食べている間、孫の子守をしながら、松っつん紹介の博多人形店へ出かけ、長女の住宅が今年8月に完成する、その新築祝いに人形を買ってきたと言っていた。
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