2010年3月16日火曜日

孫の一言は、魔法の力

昨夜、孫が我が家に泊まった。孫・晴の住んでいる家は、我が家の前の道路の向かいだ。距離で言えば、10メートルも離れていない。一日の仕事を終えて自宅に帰るときには、孫・晴の家に寄って娘夫婦から酒を一杯、二杯、多い時には三杯、もうちょっとご馳走になるときもある。気持ちよくなって、それから我が家の玄関チャイムを押す毎日なのです。

孫・晴の家に寄ると、孫が喜んでくれる。「ただ今」と声をかけると、「お帰り」と返ってくる。私もそれに呼応して嬉しくなるのです。頬っぺたを両手で包み、頭を撫ぜて、次に全身をぐうっと抱きしめるのです。これは孫を持った者にしか味わえない、特権的快楽、排他的愉悦です。

朝、私が犬の散歩を終えて、新聞を読みながら食事をしていたら、隣の部屋に寝ていた孫・晴が起きてきた。まだ早いから、もう少し寝ていても大丈夫だよ、と言ったのですが私と一緒に食事をしたかったようだ。食事をしながら、孫・晴が大きな声で、「ジジイは、幸せだよね、美味しい料理を作ってくれるお嫁さんをもらって」ときた。なんちゅう!!、見事に当を得た美辞。突然、私の脳天を直撃したこの言葉は、私の体を蜂の巣のように穴だらけにしてしまった。

実は、この一週間、私と妻との間で揉め事があってお互いに嫌な雰囲気のまま過ごしてきたのです。原因は他愛無(たわいな)いことです。夫婦喧嘩は犬も食わぬというけれど、こんなものにどんな熨斗(のし)を付けても、誰もがご免被りたい。所詮、夫婦喧嘩なんて他人を思いやる、ちょっとした配慮があれば、起こり得ないものなのに。些細なことでも、一度感情をこじらせると、普通の状態に戻るには空しく長い時間を要する。大人には何かが邪魔をして、相手に対して簡単には、スマンとは言えないものなのだ。これが、悲劇が長引く原因なのだ。

そんな、重っ苦しい雰囲気の中での、孫・晴の一声は私の頑な心を一瞬にして、和(なご)ましてくれた。鋼鉄のようになって心が、瞬時に蒟蒻(こんにゃく)化現象だ。妻も孫・晴の声を確かに聞き取っていた。私は、「お前なあ、ええこと言うなあ」と感謝を込めて、頭を下げた。

それから、いつものように朝風呂に入るのですが、お前も入らないかと声をかけると、既に幼稚園の制服に着替えていたのに、惜しみなく脱ぎ始め、「ジジイと朝風呂に入ると気持ちがいいんだよね」ときた。なんちゅう!!麗句。

いつものように新聞を持ち込んだ。何か面白い記事でもあれば、孫・晴を喜ばしてやれたのに、生憎適した話題はなかった。「新聞にはいっぱい色んなことが書いてあって、面白いんだよ。字をいっぱい知っていなくては読めないので、ジジイは字を一所懸命に憶えたんだよ」。

「そうだよね、ジジイはいっぱい字を知ってるよね、ママが言っていたよ」ときた。

そうなんだよ、ジジイはいっぱい字を憶えて、いっぱい新聞や本を読みたいんだよ、と話すと孫・晴はしっかり肯いていた。

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