物欲の権化のような父、放蕩無頼な情熱漢の長男、冷徹な知性人の次男、敬虔な修道者の三男、女。愛憎の地獄図絵。あ~ァ! 神様も参加しきたぞ、こわ~い。
私、現在、「カラマーの兄弟」の4回目の読書進行中です。3回目は、今から6年前のことだから、ストーリーについては、割と憶えているのだが、読了後の感想が明瞭でなく、まして、感想を文字などにして表現できるどころか、「なんじゃ、こりゃ!」と思ったのは、前2回の読了時と同じだった。
ところがじゃ、今回は違うのです。
文章が難解で、すっきり理解できないところは、繰り返し読んだり、後戻りしながら読み返したり、おや?と思ったときはじっくり時間をかけて読むように努めているせいか、今のところ、理解しながら進行中です。読書する環境が初めて整ったのか、私自身の頭の中が変わってきたのか、今までとは違うのです。
私には、「カラマー兄弟」を読みたくなる、不思議な周期があって、読みたいなあ!とちょっとでも思いつくと、もうそのまま重症患者になってしまうのです。その読みたいと思いつく時には、共通していることがあります。日々の暮らしのなかで、身の周りが異状にざわついていて、私もつられて異常に精神が高揚している時に、発生した熱帯低気圧が、急に台風になり嵐になるのです。そして、本屋さんに駆け込むのです。
フョードル(父):「イワン(次男)、答えてみろ、神はあるのか、ないのか?ただ、まじめにだぞ!俺は今まじめにやりたいんだ」
次男 「ありませんよ、神はありません」
父:「アリョーシカ(三男)、神はあるか?」
三男:「神はあります」
父:「イワン、不死はあるのか、何かせめてほんの少しでもいいんだが?」
次男:「不死もありません」
父:「全然か?」
次男:「全然」
父:「つまり、まったくの無か、それとも何かしらあるのか、なんだ。ことによると、何かしらあるんじゃないかな?とにかく何もないってわけはあるまい!」
イワン:「まったくの無ですよ」
父:「アリョーシカ、不死はあるのか?」
三男:「あります」
父:「神も不死もか?」
三男:「神も不死もです。神のうちに不死もまた存するのです」
(注)これは、作中の一部の会話なのですがこのようにして、一つひとつに、こだわり続けるのです。
父と息子3人とそれに係わる女性たち、金と欲、神の存在と信仰、人間の尊厳、放蕩と知性、女と男、真理と不信、真実と不実、侮辱と屈辱が入り乱れてストーリーは進む。神と人間の根本問題を据え置いた、屈指の名作と言われているだけに、私、充実しています。
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