4回目の「カラマーゾフの兄弟」を読み終えた。そして、3回目の「罪と罰」の上巻を読み終えた。今、下巻半ば突入です。
カラマー親子のエネルギーには、ふらふらにさせられた。
次は、ラスコーリニコフとの戦いだ。こいつも難敵だ。
カラマー親子問題を読み終えたときは、しばらく本から遠ざかりたいと思ったが、間もなく「罪と罰」を手にしてしまった。少し休憩時間が必要だったかも。
余程、私はドスト親爺が好きなようです。
新潮文庫/「罪と罰」ドストエフスキーのカバーより。
鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸しの老婆を殺害し、その財産を有効に転用しよう企てるが、偶然その場に来合わせたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺害が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。
ドスト親爺はどこまでも、人間の心を描き続けることに精を出す。その精の出し方は、彼以上の人を知らない。
彼は、「魔物がつかないと、書けない」と言っていたそうです。魔物が彼をつき動かしているのでしょう。私も気を引き締めて、読み進みますぞ。
今、私は「ソーニャ」さんに泣かされている。
ラスコーリニコフは、所詮、陰湿な素浪人なんだろうが、人殺しの立場に身を置きながら、いろんなことに遭遇しては、真実を希求する。
殺人者としての自分は?
善良な人とは?
悪人は?
家族は?
神は?
愛は?
真は?
小説「罪と罰」は下巻の半ばを読書中です。
0 件のコメント:
コメントを投稿