2007年10月15日月曜日

沖縄集団自決に軍の関与はあった。

沖縄集団自決問題

9月29日の沖縄県民大会

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安倍首相が退任した。そのお陰で、「戦後レジームからの脱却」だとか、何とか言っちゃって、イヤに威勢がよかった一派『私はこのグループのことを日本の悪霊と言っているのです』が、ちょっと沈静してきた。確かに、戦後レジームからの脱却をしなければならないことは、山程ある。やらなくてはならない喫緊の問題がある。足元を揺らがしている火急の問題があるでしょ。そんなことには目を瞑って、この悪霊たちは、憲法改悪を進めようとしていた。教育基本法を何十年ぶりかに改正したことの評価を受けたがっていた。残念、全然、なんとも感じなかった。従軍慰安婦問題では、軍は直接関与していない、それを証明するものが見つからなかった、と結論づけた。結果、中国、韓国をはじめアジアの隣国から、強い非難を受けた。

そして、今回、沖縄で集団自決問題で、沖縄は怒っている。私の友人は、狂ったように怒っている。沖縄を馬鹿にするな!!

朝日新聞の記事を参考(引用も含めて)に記述しました。

集団自決には、軍の「強制」を示す資料が見つからなかったとして、教科書から「軍の強制」を示す記述が検定で削除された。沖縄では、集団自決に軍が関与したというのは常識中の常識だ。教科書の執筆者らは「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と言っているのではない。そうした事例もある、と書いたにすぎない。それなのに、日本軍のかかわりを全て消してしまうのは、あまりにも乱暴という他ない、と朝日新聞の社説でも主張している。

そして、沖縄では検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が開かれた。この教科書検定で「集団自決強制」削除された問題で、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が9月29日宜野湾市の海浜公園で開かれた。参加者は11万人が参加した。主催側の予想の倍以上が集まった背景には、「戦争」や「基地」にかかわる重いが、なお「本土」との隔たっていることへのいらだちが、根強いのだろう。この事態を重く見た福田首相は、次のようにコメントした。安倍首相なら、どんなコメントを発しただろうか、そしてどのように沖縄に応えようとしただろうか。決して福田首相をヨイコラショと持ち上げているわけではありません。安部の敵前逃亡を喜んでいるのです。安倍は、こういうことになるのではと、薄々感じていたのかもしれない。

福田首相のコメント

☆ (衆参両院の代表質問で、沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見は)軍の関与を否定するものではない。☆ 06年度の教科書検定は、沖縄の集団自決に関する記述について軍の関与を否定するものではなく、集団自決された沖縄住民のすべてに対して自決の軍命令が下されたか否かを断定できない、という考えに基づいてなされたと承知している。☆ 沖縄県民の思いを重く受け止め、文部科学省でしっかりと検討している。(教科書会社から訂正申請があった場合には)☆ 真摯に対応する。☆沖縄戦は住民を巻き込んだ悲惨な戦いであり、これからも学校教育においてしっかり教えていかなければならない(と強調した)

教科書検定を「透明に」

検定審議会は現在。中立・公正を保つために、原則非公開。総会は議事要旨のみが事後的に公開されているが、具体的な審議をする部会や小委員会は開催日時を含めて、明らかにされていない。

渡海文部科学省のコメント

☆ 非公開でする部分はちゃんと説明し、それ以外の部分については基本は公開でおこなうということが、様々な疑義が生じないことで大事だ。☆ (ただ)途中段階で議論はこうなっているということになると、委員が自由にものが言える環境にならないかもしれない(全面公開は難しいとした)。

発端の訴訟 11月に山場

検定意見が付く発端となったのは、座間見島の第1戦隊長だった梅沢裕さん(90)と渡嘉敷島で第3戦隊長だった故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(74)が、岩波新書「沖縄ノート」(70年)の著者で作家の大江健三郎さんと岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟だ。11月9日、大江さんの証人尋問が大阪地裁であり、山場を迎える。「生存者らが戦後、遺族年金を得るために軍の命令だったと証言したのが真相だ」と主張する原告側に対し、大江さん側は、地元の資料などから、「軍の命令はあった」と反論してきた。

2007 10 3

朝日朝刊   天声人語

ざわざわ ざわわ~と繰り返す「さとうきび畑」は、好きな曲だ。沖縄の悲しみを、情感を込めて歌う。だが、以前から少し気になっていたところがある。〈むかし 海の向こうから いくさがやってきた〉のくだりである。

戦争は、海に生まれた台風ではない。「鉄の暴風」と言われる沖縄戦の悲劇は、自然の営みではなく人間のおろかな営みの果てに起きた。「いくさがやってきた」が呼び起こすイメージは、美しすぎはしないか。やって来たのは、武器を携えた「日米の軍隊」だったのだから。

日本軍は住民を避難させず、戦いにも駆り出した。軍民混在の戦場は、「ありったけの地獄を集めた」(米軍報告書)と形容された惨状を生む。集団死(自決)も各地で起きた。軍の強制があったことは沖縄では常識である。

その記述が教科書から消されることに、沖縄は怒った。抗議の県民大会は11万人でうねった。「分厚い教科書の中のたた一文、たった一言かもしれない。しかし、その中には失われた多くの尊い命があります」。高校生、照屋奈津美さんの訴えが胸を突く。

大学に進んで、日本史の教師になりたいという。醜くても真実を教科書にとどめ、沖縄の痛みを共有してほしい。そんな願いを込めた、本土への呼びかけでもあっただろう。

ざわわ~は、詩と旋律が深い悲しみをたたえ、それゆえに人を癒す不思議な歌だ。その癒しの花が、「ありったけの地獄」に根ざしていることは、知っておきたい。島の悲しみが、容易には消えないことも。

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