楽しみにしていた
地鎮祭と直会(なおらい)と社員旅行
を無事に終えた。
9日は那覇前島でホテル建設のための地鎮祭と直会をやってきたのです。神事は地元、普天間宮の宮司さんに執り行っていただいた。神事の進行は、沖縄も同じだった。沖縄では、神事を夕方から執り行っても、それ程変則的ではないと聞いたので、当方は迷うことなく、夕方から行うことを選択した。暑さを避けたいのと、ゆっくりダラダラ飲みたかったからです。この選択は正しかった。当日の気温は、昼間35度を越えていました。
地鎮祭以外の時間は、海で泳いだり、ちゅら海水族館、ひめゆりの塔、平和祈念公園、首里城公園と思い思いの観光・レジャーを楽しんだ。沖縄料理と幾種類もの泡盛を、足の先から、頭のてっぺんまで、溢れんばかりに飲んで喰ってきました。
私と小見さん、伊藤さんとは、次のホテル建設の候補地探しを地元・友人に案内してもらった。どこまでも、仕事に懲りない連中です。
10月9日 17;00地鎮祭
17:30直会
先発隊は8日から10日。
後発隊は9日から11日の2泊3日。
直会は地元の友人・仲本さんがいろいろと地元の舞踊、三味線、民謡を取り入れてくれて、こちら側から行った者には、モノ珍しいことばかりで大いに楽しませていただいた。とりわけ、沖縄の民族衣装を纏った子供たちによる太鼓を叩きながらの群舞に、我々も気分が高まってきて、つい周りで踊りだしました。イヤ~いやいや、と囃すのです。この「イヤ~いやいや」はなんですか?と宮司さんに尋ねたら、頑張って、頑張って、という意味だと教えられた。踊りは、沖縄の人のようにはいかなかったが、酒の勢いを借りて阿波踊りを真似て、頑張りました。阿波踊りでは、両手を頭の上の方で、リズムに合わせていきよいよく突き上げるようにしますが、沖縄では両手を波のように、横に左右に静かに揺るがせるのです。
こちら側からの特出し企画は餅つきだ。小見取締役がスタッフと飲んでいるときに、沖縄では、めでたい催事において、餅をつく風習がないことに気付いて、その場から沖縄の友人・仲本さんに相談したところ、そりゃ喜びますよ、是非お願いしますよ、と返答あり。解りました、やりましょ、と即答。でも石臼と杵だけは何とかそちらで手配をお願いします、と投げかけた。するとしばらくして、石臼と杵はなんとかなりました、との電話。演舞で頑張ってくれた少年や少女は、ついた餅をみんな平らげてくれました。餡をつけて、おろし大根をつけて。非常に美味しいと言ってくれた。
臼と杵で餅をつくということは、めでたいことなのですよ。豊穣を祈り、豊作を祝う。男女の幸せな交合をイメージしていて、廃(すた)ることのない末永い幸せを祝う。特に田舎などではお祝い事には欠かせないのです。都会では、自治会の行事とか子供会のお楽しみ行事として行われているのです。当日、みんなの前で実演したところ、地元、沖縄の人はすごく興味をもってくれた。小見取締役と業務部のボスの和泉の大勝利だった。ごくろうさん。喝采を受けた。石垣島から来ていただいたい石垣島観光協会会長、ロッテのキャンプ地での後援会長の肩書きをお持ちな名士は、私に、石垣島では餅つきを目の前で見た者はそんなに居ない筈ですよ、と仰っていた。レイコフの山本社長にもついていただいた。「私はぎっちょなんですよ」と少しつきにくかったようです。
踊りました。とにかく、よく踊りました。直会のスピーチ以外は最初から最後まで踊っていました。学生時代の文化祭の夜の打ち上げのようでもあり、ブラジルはリオのカーニバル風のようでもありました。ちっとも、大げさではないですよ、それほど、激しく楽しく踊ったのでした。そして、気がついたときには、うちの会社の者だけが、残って踊っていました。
これらの決められた行事以外は、社員旅行なのですから、自由に勝手に遊びました。
行事と自由時間の様子はカメラが的確に撮っているので、写真を見ていただければ、全てのことが、想像していただけると思います。醜い写真も、恥ずかしい写真も含めて公開した。
〈神事〉
〈直会〉
〈自由時間〉は、遊びに夢中だったのだろう。誰もいい写真を撮っていなかったようです。
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