080917、水、17;00~ ブレヒトの芝居小屋で「夜の空を翔る」を観てきた。
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主催・(社)日本劇団協議会/次世代を担う演劇人育成公演
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夜の空を翔る
~サン=テグジュベリの生涯~
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制作・東京演劇アンサンブル
作・広渡常敏/演出・松下重人/音楽・林光
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東京演劇アンサンブルだ。昨年の年末に我が社の忘年会を兼ねた観劇会を開催した、その精算業務で劇団の太田さんに会わなくてはならないこともあったのです。その時は「銀河鉄道の夜」でした。どうせブレヒトの芝居小屋に行くなら、劇団の入江洋佑さんにも、ご子息の入江リュウタにも会いたいと思った。タイミングよく「夜の空を翔る」が公演中だった。早稲田で同期だった水球部の西田英生をリュウタに会わせてやりたかったので、彼は都合が、どうのこうの、ごちゃごちゃ言っていたけれど、強引に連れ込んだ。西田は学生の頃、リュウタを弟のように可愛がっていた。彼の日常を察しての、友情に溢れた企画だと、理解してくれたかな。実は、彼はお芝居などには全然関心を示す男ではないことぐらいは、百も承知の上だった。
この芝居は、日本劇団協議会が次世代を担う演劇人育成公演として、東京演劇アンサンブルが制作したものです。
芝居の内容は、パン屋を共同経営する7人が、うまいパンを作るにはどうしたらいいのか? うまいパンを作るということはどういうことだろか。自分たちの小集団がどのようにこの時代を生きていくのか。「圧倒的多数の大衆」とは何か、とこだわる彼らの現在と将来の行く末を苦しみながらも、見通そうともがいていた。私たちの会社、アーバンビルドの将来のことも、考え併せて、私は身を乗り出して観入った。いっそうのこと、私もその劇の中の議論の中に飛び入り参加したくなったほどだ。そんな彼らが、サン=テグジュベリの生涯を劇中、劇で演じるのです。サン=テグジュベリは、「星の王子さま」の作者でもあるのですが、「夜間飛行」によって全世界の注目を浴びた人でもあるのです。装備が不十分なまま、次から次に飛行記録を重ねていく。[夜間飛行」は小説の題名でもあるのです。その作家の飛行士としての奮闘ぶりは、彼の著作「人間の土地」の中で、次のように表現されている。「砂漠を、山岳を、海洋を、開発した。彼は一度ならず砂の中、山の中、夜の中、海の中に落ち込んだ。しかも彼が帰ってくるのは、いつも決まってふたたびまた出発するためだった」と。そんな飛行士の私生活のなかに、「星の王子さま」がときどき現れるのです。劇のなかでは、私を刺激する言葉が、噴出するのです。その度に、書き留めなくっちゃ、と思うのですが、猛烈に言葉が行き交うのです。還暦を1週間後に控えたオジサンの頭は混乱状態でした。
私にとって、私を強烈に追い詰めてくる言葉があった。それは「新しいことば」というセリフだった。後の方で渡邊一民氏の文章を紹介させていただくのですが、このセリフには、私には息が詰まるのです。ドストエフスキーの「罪と罰」のなかで、ラスコーリニコフが、強欲な金貸しの老婆の頭を後ろから斧を打ち下ろした後に、老婆を殺した行為を自分の論理では間違ってはいなかったのだ、と自分を納得させようとした。よくよく考え抜いて行ったことだ。ラスコーリニコフは、町を独り言を繰りながら、吐いた言葉が、「新しい言葉が必要なのだ。新しいことばを吐くときには、勇気が必要なのだ」だった。本の内容を確かめずに書いています。一部には、私の記憶違いがあるかも知れませんが。
私には、このお芝居を上手くまとめることはできません。でも、世の中には優秀な人が必ず居らっしゃる。きちんと文章にまとめられているものを拝借した。パンフレットのなかの、フランス文学者渡邊一民氏の「新しいことばを求めて」でした。ここに慎んで転載させていただいた。
劇中の台詞の一部分をパンフレットより拝借して転記した。お芝居を観なかった人にも、上演中の劇場の雰囲気を味わっていただきましょうかな。 六郎太の台詞より。 サン=テクスがはじめてアルゼンチンの夜を飛んだとき、ブエノス・アイレスの灯が眼下にひろがった。それは星影のように平野のそこかしこにともしびばかりが輝く夜だった。あのともしびの一つ一つは見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。ほら、ぼくはこうして空を飛んでいるんだ、暗い闇の中を飛んでいる!!飛びながら、暗い闇の中でなお、人間ってなんだろうと問いかけている!
昨年の年末、忘年会を兼ねた観劇会「銀河鉄道の夜」の上演前に、参加してくれた人たちに私は話したことを思い出した。「15年前、私は軽便鉄道に乗って、横浜の関内の上空から下界を見下ろしていた。バブルがはじけて火の車、阿鼻叫喚、自殺、夜逃げ。そんな光景を見ながら飛んでいた。私は空から、私の私が、そのなかでもがいているさまを見ていた。アーバンビルドのアーバンビルドが、難破しかかっているのを、見ていた」。
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『夜間飛行』より。 人生には解決などない。あるのはただ、前進してゆく力だけだ。その力を創造しなければならない。解決などはそのあとで見つかる。
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世の中にはたったひとつの贅沢しかない。
それは人間関係だ。 サン=テグジュベリ
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新しいことばを求めて 〈 渡邊一民 〉
「夜の空を翔る」は、時代に反抗して自分たちのことばを探すため、パン製造販売とカフェテラスを共同経営する七人の仲間が、仲間の一人六郎太の心酔するサン=テグジュベリの生涯をとりあげた素人芝居を上演するという趣向である。しかし劇が展開していくうち、サン=テクスの事蹟と作品、それにサン=テクスをめぐって考える六郎太の過去への思いが混じりあい、上演に協力する七人の共同生活にも溶け込んで、いつか現実とフィクションの境界が曖昧となり、一種独特な幻想的舞台が現出するところに、この劇の特徴があると言えよう。
七人の仲間について麦子はこう宣言するーーーー「労働者階級というのは資本家のおこぼれにあずかろうと、そればかり考えてる人々のことよ。わたしたちは労働者ということばをなくしてしまったのよ。わたしたちは新しいことばを探しているのよ。そうでしょ?ほんとうにおいしいパンを焼くために新しいことばが必要なのよ。そうでしょう圭介?新しいことばのためにあんたは大学なんか途中で放っぽり出したのよ、そうでしょう六郎太?新しいことばのために人並みの就職を放棄してパン焼き職人になったのよ、そうでしょ洋平?」そして六郎太がサン=テクスに夢中になってその愛機プリゲ14型機の実物大模型を作りあげ、それを囲んでサン=テクスの芝居を上演しようと思い立ったのも、過去に「ある女」と一緒に彼の作品を読んで、その後女の影から逃れるため、ジュヌヴィエーヴにとらわれた自己脱出を「南方郵便機」を書くことで成就したサン=テクスにならい、飛行機に自分を賭けたからであった。とはいえ女への未練の断ち切れぬ六郎太は、劇中に既婚の「ある女」を呼び出しサン=テクス役の六郎太の恋人をつとめる淳子に、いざとなると現実に背いて想像のうちに逃避する、その消極的な生き方を批判されるのだ。
このようにして、パン工場の現実と六郎太の過去、サン=テクスの現実と作品の世界---それらの織り成す舞台は、サン=テクスにかかわる、「こどもの国」で生まれたみずみずしいことば、管理社会への反抗の姿勢、仲間との友情と連帯などをとおして、新しいことばを探し出す第一歩として七人の仲間は、まず麦子が「自由に自分のことばを喋るのよ。自由に喋りあえば、それが集団なのよ」と表現する七人の集団を何よりも尊重し、淳子がガウディについて語る、「ごく少数の人と協力して、ほんとうに作りたいと思うものを創り出す」ことを信条として生きるという結論に達する。「夜の空を翔る」は、「パンを焼きながら、料理をしながら、ちゃんと顔をあげて喋りはじめるのよ、わたしたち」という麦子の台詞の余韻を響かせながら、サン=テクスは地中海上で行方不明の告知で幕がおりるのだ。
サン=テグジュベリは「星の王子さま」の作者として知られているが、1931年「夜間飛行」によって全世界の注目を集めた。それは、レーダーもなく地上との唯一のつながりを気象まかせの無電機に託し、一瞬の隙間も許されぬ息詰まるような自然との孤独な闘いに身を挺する初期パイロットの姿を描きだし、宇宙の無限の拡がりをはじめて読者に経験させるものだった。以後44年の飛行士としての生涯にわたり、その闘いから生まれた原始の人間への憧憬や人間の本性への関心を彼は作品に書き続けた。「夜間飛行」が戦前いち早く邦訳されて以来、ほとんどの作品が翻訳され、よく知られた作家であるだけに、「夜の空を翔る」の劇中でもその生涯は詳細にたどられている。ただこれまでわが国では、祖国を奪われアメリカに亡命したサン=テクスの、ついに二度とその土を踏むことのなかった祖国への深い愛と不正への激しい敵意が、見逃されがちだったといえる。そうしたものまで「夜の空を翔る」の劇中劇に加えられていたならば、パン屋一党の新しい生き方がもっと力強いものとなったのではないかと、わたしはいささか残念に思う。
それにしても今回の再演は、「次世代を担う演劇人育成公演」の一環としておこなわれる。松下重人君はじめ若手の劇団員により、元気いっぱいな舞台が実現されることを大いに期待している。
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