(手紙を書く婦人と召使い)
東京・上野の東京美術館で開かれていた「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が14日、閉幕した。私は絵の好きな友人に、前日になって電話で強引に誘われ、最終日の14日の午後に連れて行かれた。
フェルメールなる画家など、今の今まで知らなかった。友人に言わせれば、今回公開される絵画は、ヤマオカ、あなたが生きている間には、二度と日本には来ないだろう。作品の少ない画家なので、日本で過去最多の作品7点が同時に公開されるなんて重大なことなんだよ、と説得された。
商売上、今月は最重要な年末月で、世界同時不況風をモロに受けて、そんな悠長なことをしている場合ではないのだと思いながらも、午後休みにしてもらった。スタッフに頭を下げた。午後3時頃上野駅に下りた。駅から徒歩10分のところに東京美術館があるのですが、どうも同じ目的に向かっているような人が異常に多いように思われた。小雨が降っていた。友人は、早足のスピードをもう一段早く歩きだした。彼の表情の一部に、緊張が走った。私には、そんなに急いでどうするのよ、有名な画家のようだが、たかが絵画展だろう、とブツブツ。ところが、入り口付近に近づいて驚かされた。長蛇の列だ。蛇ではないですぞ。入館を待つ人間の列が長々と続いて、入り口のホールに所狭しと、とぐろを巻いたように並んでいたのです。牛歩、入り口に到達するまで1時間半待った。
館内に入るや、入り口付近に展示されている絵画には見向きもしないで、友人は脱兎の如く私を置き去りにして薄暗闇の混雑した人の渦の中に消え入った。後で、その絵画を観たら、フェルメールの作品ではなかった。彼にとってはイの一番にフェルメールだったようだ。取り残された私は、とりあえず、観るしかないと決心して、人の頭越しに作品を観て回った。素晴らしい絵画だということは、なんとなく解る。私は絵画を観るよりも、説明書きを読むことの方に注力し、我ながら情けない鑑賞家だと自嘲した。一通り観終わって、空いたシートに座って、館内で販売されている絵画紹介本のサンプルを弱い照明の下で読んだ。俺は、何をしに来たのだろう。絵画、それも飛びっきりの名画の鑑賞だった筈だよな。貧しい鑑賞家だ、ここでも自嘲。でもその読書で、オランダのこと、初めて知ったフェルメールのこと、デルフトという小都市のことを学んだ。2時間程経っても、友人とは会えない。館内の照明は薄暗いので、人の顔は近づかないと分からない。携帯電話は禁止されている。しょうがないなあ、ともう一度見直していたら「マルタとマリアの家のキリスト」の前で偶然友人に出くわし、今度は会う場所を指定して、又バラバラに散った。
それから30分、指定し合った場所で待った。暫くしてから友人はやってきて私に声を殺して叱った。「ヤマオカ、お前なあ、腰をすえてゆっくり観ろ。そろそろ入り口は閉ざされる。混雑はおさまる。これからもう一度最初から、ゆっくり、ゆっくり、じっと絵を見つめてごらん、そしたら、何かが見えてくる。名画ならではの良さを感じてくるものだよ。ええか、ゆっくり睨み付けるんだぞ」。「俺も偉そうに言っているが、画法も技法も解らないが、じっと見つめているだけなんだ」。事実、館内は空いてきた。
そして、三度目の鑑賞という「仕事」にとりかかった。もう簡単には済まされメエ。必ず何かを掴んで帰るぞ。光の天才画家って書いてあったな。なるほど、どの絵にも光が窓から射している。窓辺では明るく、部屋の奥の方の明度は弱い。影は濃いところから薄いところへ、その濃淡の中にそれぞれに変化をもたせて描かれている。光と影の濃淡の世界のなかに、自分が描きたい主体を炙(あぶ)り出している。その主体を際立たせるために、白、黄、赤だったり、青色だったりする。私には、これ以上作品を論じることは不可能なので、ここからは、専門家が書いたと思われるネットで仕入れた文章を転用させていただく。「静謐(せいひつ)で写実的な迫真性のある画面は、綿密な空間構成と巧みな光と質感のある表現に支えられている」。その通りでした。
館内は人込みも疎らになり、顔を絵画にくっつけて観ることができた。グラビアや雑誌で観るのとは、立体感においても全然違うことに、恥ずかしながら、その場で実感した。館内での滞在時間はゆうに4時間は過ぎていた。
今回の展示会の会期中の総入場者数は、93万4222人だそうだ。日本で開かれた美術の展覧会の中で歴代4位になるという新聞報道もあった。私のような無粋な人間にも、今回はいい勉強になった。60歳にして、初めての経験でした。
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江戸幕府の鎖国政策時にも、オランダはヨーロッパの国のなかでも長崎出島で貿易が許された唯一の国だった。フェルメールが生まれた都市がデルフトだということはパンフレットで知った。その都市を調べていたら、この都市から遠く日本にやってきて、徳川家康に信任されたヤン・ヨーステンがいたことも初めて知った。
ヤン・ヨーステンのことを親しみを込めて呼べるのは、はるか40年ほど前の受験勉強で完全マスターしていたからだ。今もあるのかないのか定かではないが、培風館発行の「日本史精義」だけは、完全に制覇していた。受験勉強用の参考書だったのですが、教科書には載ってないことも書かれていて、相当難しい試験にでも対応できるシロものでした。この本の一語一句を丸暗記していた。
(東京都中央区八重洲にあるヤン・ヨーステンとリーフデ号の彫像)
ヤン・ヨーステンは、オランダ船リーフデ号に乗り込み、航海長であるイギリス人ウィリアムス・アダムスとともに、1600年豊後に漂着した。徳川家康に重宝され、江戸丸の内に邸を貰い、日本人と結婚した。彼の屋敷が東京・八重洲の語源である。東南アジア方面での朱印船貿易を行い、その後帰国しようとバタヴィアに渡ったが帰国交渉ができず、再び日本へ帰還中、乗船していた船がインドネシアで座礁して溺死した。
航海長のウィリアムス・アダムスも西洋の科学的知識を家康に見込まれ、幕府の外交顧問として活躍した。家康から日本橋の屋敷と相州三浦郡逸見村(現・横須賀市逸見)に領地を与えられ、三浦安(按)針という日本名を名乗った。夫婦の墓は「安針塚」と呼ばれ、京浜急行の駅名にもなった。(ここの文章はネットから得たものです)
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フェルメール展
光の天才画家とデルフトの巨匠たち
(館内で無料で頂いたパンフレットの案内文を転記させていただいた)
上野・東京美術館
8月2日~12月14日
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ヨハネス・フェルメール(1632~1675)は、オランダのハーグ近くのデルフトという小都市に生まれました。彼がその生涯で残した作品は、わずか三十数点。この作品の少なさと、光を紡ぐ独特の技法の美しさから、彼は光の天才画家といえるでしょう。フェルメールの作品が展覧会へ出品されることは、ほとんどありません。しかし2008年、日本との修交15周年を記念する欧米各国の多大なるご尽力により、フェルメ-ルの作品を中心に、オランダ絵画の黄金期を代表するデルフトの巨匠たちの絵画を一堂に集めた奇跡の展覧会が実現することになりました。出品されるフェルメールの作品は、晩年の優れた様式で描かれた《手紙を書く婦人と召使い》、光に満ちた美しい空間を描いた風俗画の傑作《ワイングラスを持つ娘》、現存する2点の風景画のうちの1点《小路》、近年フェルメール作と認定され大きな話題となった《ヴャージナルの前に座る若い女》、《マルタとマリアの家のキリスト》、《ディアナとニンフたち》そして《リュートを調弦する女》の日本初公開5点を含む今世紀最多の7点の来日です。このほかレンブラントに天才と称され、フエルメールの師であるとの説もあるカレル・ファブリティウス《1622~1654)や、デルフトに特有の技法を確立させたピーテル・デ・ホーホ《1629~1684》など、世界的にもごく稀少で非常に評価の高いデルフトの巨匠の作品、約40点が展示されます。デルフトの芸術家による名作がこれほど一堂に集うことは、本国オランダでこ稀有であり、この奇跡の展覧会は、私たちにとってまさに一生に一度しかめぐり合えることのない機会といえるでしょう。
(ディアナとニンフた ち) | (マルタとマリアの家のキリスト) |
(小路) | (リュートを調弦する女) |
(ワイングラスを持つ娘) | ヴァージナルの前に座る女)’ |
(楽器商のいるデルフトの眺望)
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