水曜日は弊社の営業が休みなので、私はこの水曜日を、日常とは趣を変えて有効に使いたいと思っている。出勤日とか休日とか言ったって、余り代わり映えしない、考えることは会社のことばかり、自宅に居るよりは、会社の近辺に居る方が、何かと便利。会社では先週の出来事を振り返ったり、休み明けからの仕事の準備をしたり、後は本を読んだり、経済誌を読んだり、そんなことで時間を過ごしている。折角の休みなんだからと言われても、ちょっと冒険して映画を観るぐらいなんだ。でも、これでいつもは充分リラックスしているのです。
今日(20100414)は、弊社で運営している相模原にあるホテルの生垣やその周りの雑草を取ることにした。生垣はツツジなのですが、まだ若木を植えつけてから2年しか経っていない。きちんと枝や葉が詰まってなくて型が定まらず隙間だらけだ。枯れたのを植え替えた。雑草が生えていたのが、気になってしょうがなかったのです。なんてたって、ホテルの敷地内のことですから、目障りはよくない。緊張感は保ちたい。生えている草は、今も変わらぬシッカリモノの草、ドクダミ、スギナとハコベの3種だ。懐かしい奴らだ。
湿った土に顔を近づけると、昔懐かしい土の臭いがする。草を引き抜くと、根が張っていた部分の土が掘り起こされ、そこからは、土の本当の臭いがする。私の故郷の懐かしい臭いだ。今日は気温が15度、春らしい日差しが射していて、私の気分はいい.
萌え出る小さな草の芽からは息吹が感じられ、可愛らしい。パワーが感じられてたのもしい。きっと、春が来るのを心待ちにしていたのでしょう。
私は鬼になって、それらを容赦なく、三日月形の鉄製の刃のついた鍬で、地表を掻いて草の茎をなで切る。大きくなった草は、根こそぎ抜いた。
茎をなで切ってもどうにもならないのがドクダミとスギナです。両方とも、地下で根や茎を張り巡らしているのです。ドクダミは宿根草。地中に根を網の目のように広げて、あっちこっちから芽を出す。スギナは地下茎だ。雑草のなかでは、この両者の防除難易度は高い。この両者の根や茎は地中深くても、地表面が層の厚い砂利であろうと、地表の光を求めて芽を出す。植物のもつ向日性だ。その根や茎を用心深く追っていっても、その元まではたどり着けないものです。途中で切れてしまうのです。
大きなタンポポを根こそぎ取った。長く太い中が空洞の茎を、3センチぐらいに輪切りにして、笛にして鳴らした。これは、今でも私の得意技なのです。笛にして、歌を奏でることができるのです。音階、音程は、大いに狂っているのでしょうが、大きな音から小さな音、高い音から低い音、自由自在ですぞ。このタンポポの笛の鳴らし方を、文字にして皆さんに理解してもらえるほど、私の筆力は豊かではない。でも、実技では見本を見せることができるので、希望者は手にタンポポをぶら下げて、声をかけてください。喜んで、秘中の秘伝をご披露しましよう。
ドクダミは特別の臭気がある。
ドクダミには解毒作用があって、虫下しとして、私が子供の頃は祖母がこの葉を煎じて飲ましてくれた。学校でも虫下しの薬を定期的に飲んだ。そんな時代だった。味は苦かった。どこの家でも、その敷地の陽の射さない所には、必ず見かける、毎度御馴染みの草だ。雑草のことが気になる家主にとっては、さぞかし悩みのタネだろう。が、私にとっては、かって薬草としてお世話になったお守りの草だ。
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スギナ。
スギナはシダ類だ。春にツクシとして、現われる。ツクシは漢字では土筆という文字があてられることは、飲み屋にそんな名前の店があったので、30年前に知った。このツクシは春の山菜として、親しまれていることは知っていたが、食べたのは、結婚して家人に料理してもらったのが最初だ。彼女にとっても、ツクシを料理したのは初めてだった。料理は灰汁抜きをしたものを煮たのです。独身時代、こん炉で焼いて食ったが、あまり美味いとは思わなかった。
ツクシと呼ばれる胞子茎を出し、胞子を放出する。シダ類なので胞子だ、だから花は咲かない。「袴」と呼ばれる茶色で輪状になっているのが葉で、茎を取り巻いている。到底その輪状のものが、葉とは見えない。ツクシは成長後に、それとは全く外見の異なる栄養茎を伸ばす。これが、日頃目にするスギナです。この栄養茎は茎と葉からなり、光合成を行なう。鮮やかな緑色。主軸の節ごとに間接のある緑色の棒状の葉を輪生させる。全体を見ると、スギの樹に似ている。
栄養茎と併せて、浅い地下に地下茎を伸ばして繁茂する。冬になると、地上の栄養茎は枯れるけれど、この地下茎は生き延びるのです。
このスギナの項では、ネット(Wikipedia)を参考にした。
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最後はハコベだ。
春の七草の一種だ。このハコベも、地表の何処にでも、さりげなく、必ずちゃんと生えている。何故か、七草での呼称はハコベラだ。このハコベにも懐かしさが込上げてくるのです。子供の頃、よく祖母から頼まれてこのハコベを小さな籠にいっぱい摘み取ってきた。このハコベは自宅で飼っていた鶏の餌だったのです。ひよこ用には、祖母はそのハコベをすり鉢ですりつぶしていました。子どもの私は、そのすりつぶしたハコベを手のひらに載せて、ひよこが小さな嘴(くちばし)で突っつくのを面白がって、いつまでも鳥かごから離れなかった。傍に、祖母がずうっと付き合ってくれたのです。私が生まれた当初、私は祖母が望まぬ男ばかりの三番目の孫だったので、祖母は何かにつけて母に辛くあたったそうだ。でも、小学校に行き出した頃から、祖母は私のことを一番可愛がってくれていた。ハコベは、昔は人間さまの食用でもあったそうだ。
私は紛(まぎ)れもない歴(れっき)とした貧乏農家の子せがれだったので、百姓が困ることは身をもって理解していた。このドクダミやスギナは厄介な雑草の代表だが、他にもヨモギ(蓬)とツユクサが難物でした。ヨモギは宿根草でお馴染みの嫌な奴、ツユクサは茎を切ったぐらいでは枯れないのです。茎を切られても、葉や茎はいつまでも枯れないで耐えられる。そして少しの水気でも感知すれば、その水気を目指して茎から根が生え出すのです。水気を遠ざけるというよりも、腐らせる方法を選んだ方がよかったようだ。何かで工夫して光をあてないようにするか、ビニール袋などに入れて太陽熱で蒸すとかでしょうか。
作業を終えて、ホテルの洗面所で手を洗った。爪に黒い土が挟まって、その土がなかなか取れない。スポンジでこすってみた。爪を洗いながら、田舎での子どもの頃を楽しく思い出していた。毎日、泥んこ遊びや、田畑や山で遊んでいたから、爪はいつも真っ黒だった。こんなことを思い出すだけで、嬉しくなるのです。61歳、この歳のせいだろうか。食事中に、爪の黒いのを祖母に見つかっては叱られた。父のは私以上に黒かったので、自分のバツの悪さもあってか、怒る祖母を父がなだめてくれた。おばあちゃん、子どもにそんなに怒らんでもええやろう、と。
子供の頃の追憶はさらに続く。爪の間に挟まった黒い土を風呂に入って石鹸で洗っても、なかなか取れない。逆の手の爪で穿(ほじく)り出すのですが、それでもなかなか取れない。でも、風呂を出た時には、爪の土はきれいに取れていて、どうしてこんなにすっかり取れたのか、長いこと、それが謎だったのです。ところが、その後解ったのです。シャンプーをつけて、両の手で頭の髪をごしごし擦(こす)るときに、髪の毛の一本一本が爪の隙間を洗ってくれていたのだということが。
今日は、五時に孫を保育園に迎えに行った。初めての経験だ。孫から、ジジイに迎えに来て欲しいとせがまれていたのです。自宅に戻ってからは、一緒にサッカーして、一緒に長女の自宅の建築現場を見て、一緒に晩飯を食って、一緒に風呂に入った。
そんな休日でした。
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