7日、米テキサス州フォートワースで開かれていた「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で優勝の栄冠を獲得した全盲の辻井伸行さん(20)はずば抜けた音色の美しさと叙情性で、多くの聴衆に強い感銘を与えた。
辻井さんの快挙の報を新聞記事で読んで感動していたら、私は私自身の音感のことを、昔から恥ずかしく思っていたことをこの機に白状しておこうと思いついた。辻井さんが優勝して大変目出度いことのついでに、私ごとき者のことを一葉に肩を並べて文字を綴ると言うのは、非常に破天荒なことだということは理解しています。でも、幾ら理不尽なことでも、思いついたらやりきらないと気がすまない性格なのです。
中学時代のことです。授業では、算数も理科も国語も割りとよくできた方だった。特別褒められるまではいかなかったけれど、十分胸張って、誇り高い中学生だった。体育に関しては超A級でした。球技、体操、陸上、なんでもこい状態でした。山野を駆け回っていましたから。
ところが、音楽だけはどうにもならなかった。それは努力すれば、何とかなるってなもんではなかった。ペーパー試験においては、意味が解らなくても覚えておけばなんとかなるのですが、和音の聞き取りのテストには参りました。いろんな和音はあるのでしょうが、そのときはドミソ、ドファラ、シレソの三種類を先生がピアノの鍵盤を叩いて、どの和音であるかを、答えるものでした。どの和音を弾かれても、私には区別が全然つきませんでした。幸い音楽担当の先生が、私が入部していたバスケット部の顧問で、私の生家とは遠縁にあたる人だったのです。そういう特殊な関係にあった先生だったからか、よく諦めもせずに私につきあってくれました。先生の名字は梅田だったので、私たちは陰で梅チュウと呼んでいました。たった一人残されて、異なった和音も混ぜながら、何度繰り返しても最後まで聞き分けられなかった。
そして、大学生になってサッカー部の仲間とカラオケ屋に行ったときのこと、私にとっても楽しいひと時だった筈なのに、私が歌っていると何所からか、クスクスと笑い声が耳に入ってくるではないか、なんじゃ、この冷ややかな笑いは、と想いを巡らしながら歌っていたのでした。一人ひとりが歌うことに飽きて、みんなで合唱したときも、隣で歌っていたQ男は、俺の顔を見て苦笑しているではないか。このイヤな感じは何だろう?
私の音感がおかしいこと、みんなと同じ音階で歌っていないことが原因なんや、と一番親しい友人の金ちゃんから教えてもらって初めて自覚したものでした。家人が、まだ恋人だったときには優しく私に音のはずれた部分を指摘してくれた。女房になってからは、もう激しく酷評されっ放しだ。
そして結婚して子供が生まれて、子供たちはみんなピアノ教室に通った。風呂の中などで、いい気になって大きい声で歌を口ずさみだすと、たちまちの内に子供たちは一斉に大声で笑い出すのです。テレビで、昭和の歌謡大全集?なんて題名の歌番組を見ていて、歌手に合わせてちょっとでも歌おうとでもしたら、白い目攻撃を受けて、その場に居ずらくなり、退散させられてしまうのでした。もうこれは非難中傷の域です。そうして私は、他人の前で焼け糞で歌う意外は、歌うことを躊躇うようになってしまった。
そんな音痴な私には、今回の辻井伸行さんの快挙は想像を絶するものでした。何度も繰り返しますが、辻井さんの快挙と、私の音痴を同じ土俵で著すなんて、なんと荒唐無稽なことだということもよくよく十二分に分かっています。辻井さんのピアノのことをコメントできる資格はないのもよお~く解っています。優勝して賞賛されていることに私はとても幸せな気分になり、私はうっかりちゃっかり脱線したようです。お許しください。
15日、TOKYO FM「クロノス」で辻井さんの帰国後初に演奏したものが、再放送されると新聞記事で知っていたのですが、放送される時間は書いていなかった。ところが、出勤のために車で車庫から出た直後、カーラジオから再放送による演奏が聞こえてきたのです。7時15分ころ、グッドタイミングでした。決勝で演奏したラフマニノフのピアノ協奏曲だった。ピアノのことや音楽のことがサッパリ解らない私にも、何やら不思議な感覚が全身を打った。イチローがWBCで打撃不振に陥ったとき、心が折れそうですと自分の心境を表現して、こんな表現の仕方もあるのかと驚いた。授賞式での辻井さんの表情や記者会見での彼の発言を見聞きして、その優しげな表情や言葉が、もう完全に頭の中に焼付けされ、音楽のことがサッパリ解らない私にも、演奏は全く辻井さんの人となり、「そのもの」なんだろうと思った。辻井さんの演奏からは、人間の心を強さと優しさで、慰撫される感覚を味わった。歌詞などで、文字には非常に感応するタイプなのですが、楽器の演奏だけで、こんな不思議な感覚に陥ったのは、ひょっとして初めての経験かもしれません。
この辻井さんのことは、私のノートにファイルしておかなければならないと思い、あちこちの新聞記事で拾ったものを記録した。
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以下は新聞からの抜粋です。
*辻井さんが上野学園大学に入学して以来、指導しているピアニストで同大教授の田部京子さんは、「本当に嬉しい。『全盲のピアニスト』じゃなくて、一人のアーティストとして彼を見て欲しい、とずっと思ってきた。優勝でそのスタートラインに立てた」と喜ぶ。辻井さんは、右手と左手の音を別々に録音したテープを聴いて覚えてから、レッスンを受けた。「最初のころは、私の後に続けてその通りに彼が弾く。耳のよさ、反応の速さ、感受性の鋭さは格別だった」と語る。2年目からは自分はあまり弾かず、「この曲をどう感じるか」などと問いかけて辻井さんの音楽作りの道を手助けした。
*「もし目が見えたら何が見たいか」と問われると、「両親の顔が見たい」と答えつつも「今は心の目で見ているので満足しています」と笑みを浮かべた。
*吉原真理=予選の演奏で、ショパンの練習曲ハ長調作品10の1が始まってわずか数小節で、1,2分もたつと辻井さんが盲目であることはすっかり忘れてしまった。実にまっすぐな解釈でありながら音楽的に洗練され、聴衆の心に訴える演奏なのだ。演奏の後、聴衆は総立ちでブラボーを連呼し、拍手は5分以上も続いた。ソロ・リサイタルだけでなく、セミ・ファイナルで課される室内楽とファイナルでの協奏曲に至るまで、彼の演奏はあくまで誠実で深い人間性にあふれたものだった。それはあたかも人類への希望や信頼を聴衆に与えるかのような幸福な音楽だった。決勝では、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾いた。
*辻井さんは生まれつきの全盲。生後8ヶ月の頃、ショパンの「英雄ポロネーズ」のCDを聴いて足をばたつかせて喜ぶ姿に母のいつ子さん(49)が芸術的な感性を感じ取った。すべての感性を豊かに育てることが、音楽家としての人生を豊かにする。そんな思いからいつ子さんは辻井さんを美術館にも積極的に連れて行った。作品ごとに、目の前の芸術の色、形、様子を語って聞かせる。「花火に行っても、心の中で色とりどりの花火が開く。母のおかげで、何でも心の中で見られるようになった。不自由はありません」。今回のコンクールではベートーベンが聴覚を失ってから書いたソナタ「ハンマークラビーア」を選び、奏でた。「障害を乗り越えてこんな素晴らしい作品を書いたベートーベンに挑んでみたかった」。
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20090618
朝日・夕刊
熱狂が隠す本質/辻井さん報道とコンクール
岩田純子
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バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんが、各地で凱旋公演中だ。副賞として3年間のコンサートツアーも決定、一躍寵児になりつつある。しかし、日本の多くのメディアはいまだに「全盲」を強調し、辻井さんの演奏家としての正当な評価を覆い隠し続けている。
このコンクールは米のピアニスト、バン・クライバー(74)が冷戦下の58年、旧ソ連のチャイコフスキー国際コンクールに優勝したことをたたえ、62年に米テキサス州の音楽愛好家や地元の富豪家らが設立した。「チャイコフスキーやショパンなどの大コンクールと並ぶ登竜門」と報じたメディアもあったが、世界には何百もの国際コンクールがあるわけで、これは正確ではない。ボランティアや地元有志の手で育てられてきた。人肌感を残す温かなコンクールとして理解するのが自然だ。
むしろ注目すべきは、弦楽四重奏との競演でアンサンブルの資質を見るなどの独自の基準だろう。中でも主催者が作曲家に新曲を委嘱し、1曲を選んで弾かせるのは個性的。辻井さんは、その新曲演奏にも最も秀でた人に贈られる「ビバリー・テイラー・スミス賞」も受賞した。
これは辻井伸行というピアニストの個性を知るうえで、とても重要だ。辻井さんは他のどのフャイナリストも選ばなかった難曲を耳で記憶し、自らの解釈で生き生きと奏でてみせた。単独インタビューの際には「ジャズみたいなリズムが楽しく、自分に合っていると」と選曲の理由をひょうひょうと語ってくれた。つまり、このコンクールが明らかにしたのは、辻井さんがすでに自分の資質を知った、成熟したアーティストであるということだ。
辻井さんが筆者に最も生き生きと話したのは、母のいつ子さんとウィーンを訪れ、クリムトの「接吻」に接した時のこと。「一番の思い出」と繰り返し、魅力を語り続けた。街中の雑踏から切り離された、静謐な美術館の空気。そして愛する母の、優しく穏やかな語り口。そういった空気すべてで、辻井さんの心はクリムトを確かに感じたのだろう。
辻井さんは「全盲ピアニスト世界一」というメデイアが創作したドラマの主人公になることを望んでいない。帰国翌日の記者会見後、取材を抑制しているのもそのためだ。彼が見据えているのは、もっと大きな壁、偉大な作曲家たちの世界だ。
辻井さんの活躍は、障害のある子やその親を勇気づけたに違いない。みな彼が、世界の一流の芸術家たちと同じ土俵で切磋琢磨する姿を見たいと願っていることだろう。ならばなおさら、我々は「全盲」のレッテル抜きで、芸術家としての辻井さんの今後を冷静に見守っていくべきではないだろうか。
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写真は全て、朝日新聞の紙面から拝借させて頂きました。
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