会社の机の中をゴソゴソ整理していたら、三段ある引き出しの一番下の奥の方で、ケースからはみ出してぐじゃぐじゃになっている新聞が出てきた。その新聞を広げたら、それは日本(横浜国際総合競技場)で行われたFIFA 日韓共催のサッカー・ワールドカップ(W杯)の決勝戦の内容を告げる号外だったのです。決勝戦を見終わって、帰途のためにJRの新横浜駅に向かう長蛇の列のなかで揉まれながらもらったものだ。新聞の色は薄黄色く焼けていたが、内容はブラジルのロナウドが先制のゴールを決めた瞬間の写真が躍(おど)っていた。
このまま、この新聞を捨て置くわけにはいかないなあ、どうしたらいいものかと思案ロッポウの果てに、このブログにでも貼り付けておこうと決めた。そうしておけば、私的なファイルにもなるし、関心ある人ならば、懐かしく思い出してくれるだろう、と。
同時にあの頃のことが蘇ってきた。
決勝戦は2002年6月30日だったから、大阪の金さんが私に電話をしてきたのは、25日のことです。山岡なあ、ワールド・カップの決勝戦の入場券が4枚手に入りそうなんや、観に行く気があるか?観に行く気があるのんやったら手配するで、一枚?万円や、そりゃ、お世話になった人にお礼もしなくちゃいかんさかいにな、俺と弟は行くわ。金ちゃんには、ボランティアでアメリカのサッカー協会の仕事を手伝っている友人がいて、その人はワールド・カップの本部事務局にも顔が利くということだった。私は、即、入場券を買いたいこと、金額は了解したことを告げた。こんな具合にして、ワールド・カップの決勝戦観戦の準備が始まったのだ。金額については、色々な人に関係が及ぼしたらまずいので、今回は知らん振りをする。高額だったけれども、この入場券はプラチナ以上、ダイヤモンド級の価値はあった。
(当日の入場券)
券は限定4枚だ、一番いい席だった(カテゴリー1)。金ちゃんと金ちゃんの弟と俺で3枚、後は誰にするかと思い巡らして堅い(賢い)生活をし続けているマサチカに声を掛けた。即、オッケーの返事が返ってきた。
そして当日、金ちゃんの弟が石川町(横浜・中区)の叔父さんの家に用事があるというので、4人は横浜中華街で集合して、春巻きとシュウマイで、紹興酒とビールを飲んで下ごしらえをした。久しぶりに会ったことで、話に花が咲いた。幾らでも飲めたのですが、今日は、酒を飲んで馬鹿話に興じる日ではなく、どこの国のサッカーが世界で一番強いのかを決する重要な試合の立ち合いに行くのだ、と金ちゃんの発声で4人は、本来の目的を再確認し合った。
金ちゃんと私は、1990年のイタリアで開催されたワールド・カップに行っているのです。その時は、ベッケンバウアーの西ドイツが優勝した。この年の前年11月、ベルリンの壁は崩壊され、この年の10月に東西のドイツが統一されたのです。イタリアの歴史的な建造物には驚かされた。私に地理や建造物、歴史、美術に知識があったら、否、無くてもだ、この際勉強をしようとする意欲が少しでもあれば、もう一丁有意義な観戦ツアーになっていたのです。恥ずかしい、生来の怠け者を幾ら悔やんでも遅かった。我ら日本人一行を見つけた、きっとイタリア人と思われるオジサンから、ニチ・ドク・イ(日独伊)サンゴク(三国)ドウメイ(同盟)、と呼びかけられたときは、吃驚(びっくり)した。
新横浜駅に着くと、各国入り乱れてのサポーターが、太鼓や笛の鳴り物入り、顔面から手、足、腹、背中を国旗の模様にペインテイング、踊っている、歌っている、わんさかわんさかのお祭り騒ぎだった。サポーターが自分の国の国旗を掲げ、振る。
オーレー、オレオレオレー、オーレー、オレオレオレー。
スタジアムに向かうまでの道路には、各国のユニフォームやTシャツ、その他サッカーグッズの露天の店が並んでいた。店の主(あるじ)は、外人7割日本人3割。
頭はアルコール漬けでいい気分、視界に入る光景は、普段見慣れない、夢の世界のようだった。天気は良かった。
我らが観客席に着いたのは、試合の始まる約1時間程前だった。ゲームの始まる前の、日本の祭りをイメージした演舞は華々しかった。和太鼓、神輿、余りよく憶えていないが、こりゃ東洋的で、日本的で外国の観衆には興味を惹いたことだろう。後日、家人の友人の旦那さんが、警察官なのですが、神輿を担いでいたらしいよ、と聞かされた。隣の席には、30人程ワールドカップの公式スポンサーのコカ・コーラの関係者が占めていた。缶代金を入れても、原価5~6円位のものを100円以上(異常だ)で売り捌く、世界的な飲料の製造販売する会社だ。開発途上国で飲料の植民地化を進めている。国の文化意識が高まれば、この企業はその国から追い出されるのが、今までの常道だ。私はこの40年間、この会社の製品には手をつけたことがありません。
試合が始まる前のドイツのGK オリバー・カーンの緊張したウォーミングアップから、我ら観衆にも否応なしに、その息詰まる雰囲気が伝わってきた。
ブラジルの先制の得点は、しめしめ、うまくいった、ニンマリものだった、だが、ドイツにとっては思わぬ悔やまれる失点だったことだろう。ドイツの2点目の失点も、またしても納得いかぬものだったのではないだろうか。このような緊張した試合では、試合の流れの小さな綻(ほころ)びから、勝敗を決するゴールの得失が生まれるのだ。得た者が勝ち、失った者が負けるのです。
勝負はいつも過酷だ。勝者は歓喜し、敗者は惨憺(さんたん)だ。
試合が終わって、金ちゃん兄弟は新幹線で大阪に帰った。マサチカは葉山へ、私は権太坂に帰った。
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以下は、20020630の読売新聞のW杯速報を知らせる号外の裏表です。
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