2006年11月22日水曜日

ドフトエフスキーが、本屋さんから消えた?

 



私には持病がある。何かの拍子にやってくる「ドフトエフスキー病」です。無性に、ドフトエフスキーを読みたくなるのです。 

太宰 治が、トカ トン トン と表現したような感じで近づいてくる。きたかな、と思いきや、今度は突然急に。それも、(カラマーゾフの兄弟)を。そろそろかな、と予感がしていた矢先、もう全く完全な病人状態になってしまった。


(カラマーゾフの兄弟)を最初に読んだのは、大学3年生夏合宿の前後1ヶ月で。


大学生の間には、代表的なロシア文学はだいたい読破した。


大学4年間のうち2年間は、校舎はロックアウトされていて中には入れなかった。クラス討論とそのあとのデモで忙しかった。昼間は本物の体育会のサッカー部員だった。



 

 

2回目は37歳の秋、某電鉄系レジャー施設運営企業を9年7ヶ月勤めて退社した時。それまで勤めていた会社の社長さんは、日本体?協!とか日本オ?ン!ック#員会とかの組織の要職について、鼻息荒い二代目だった。この人、ちょっと胡散臭いぞ、と思ったときには、辞表提出済みだった。その約25年後、この二代目は事業家としては、悲しい結末をもかえることになった。事業家としては、落第だった。逮捕まで、されちゃった。



 

 

3回目は、53歳の時、平成13年だ。


バブル崩壊後、我が社は荒波に呑み込まれる寸前の難破船状態だったが、なんとかほぼ10年を経て(ゼロ)の位置にたどりつけるようになった、その頃だ。難破船時には、以前の社員は皆、恐れを感じて去って行った。専務と私以外は、新しく参加してくれた社員のみになった。



 

 

今回、再発したのは4回目。平成18年11月だ。58歳の今だ。



 

 

「ドフトエフスキー病」が発症するときは、自分の内に何かが、起こっているときなのです。



 

 

居ても立ってもいられなくなって、チェーン店になっている古本屋さんに、(カラマーゾフの兄弟)を買い求めに行った。以前に読んだ本は私の本棚を探せばあるのだろうが、今回は活字の大きい本で読みたかったのです。


その店には(カラマーゾフの兄弟)が見つからなかった。


(カラマーゾフの兄弟)だけではなく、古典的な名作といわれる本の類が、何も、何処を探しても、見つからない。現代作家の著作物は、棚に溢れているのに。


商売にならないのだろうか?誰も古典的な作品を買おうとしないのだろうか?


古典的名著は、もう読まれないの?


読んだ本を、古本屋には持ち込まないで、自分の書庫にしまいこんでいるのだろうか。


どうなっているのだろう? 不思議だ?



 

 

私は、腑に落ちないまま、次の古本屋に行く覚悟をして、その店を出た。


が、しかし、もう一軒の古本屋にも無かった。学生街の古本屋にでも行けば、あるのだろうか、とも考えたが、そんなところへ行く時間がない。


古本屋さんで買い求めるのは諦めた。


しょうがないから、宮部みゆきさん、桐野夏生さん。長編、ダーク、ブレイブ ストーリーを買わせていただきました。


けっして、ドフトエフスキーさんの代打ではありませんから。私は、あなたたちの真剣な読者ですから、あしからず。



この数年間のうちに、本を買うのは古本屋さんで、という習慣が知らず知らずのうちに、身についてしまったようだ。そう言えば、駅前の情報誌やコミックをメインにしている本屋さん以外の、総合的に品そろえしている本屋さんには、永いこと行ってないことに、驚いた。



古本屋さんからは、間違いなく、ドフトエフスキーさん、トルストイ、チェーホフさんもいなくなっちゃいました。



 

 

新刊なら、本屋さんにあるの?



 

 

2006年11月21日


横浜駅ビルのなかにある、横浜では有名な本屋さんに行ってみた。さすが、有名な本屋さんだけあって、「カラマーゾフの兄弟」はあった。全て文庫本になっていた。買った。経済的に多少余裕ができたことと、小さい字では疲れるので、大きい字の本を手に入れたかったのだが、もうそんな本はなかった。やっぱり、この店にも、古典的名作といわれている本は少なかった。




宮部さん、桐野さんの次には、憧れのドフトエフスキーさんの苦悩の世界に突入するぞ。



 

 

この苦悩の世界が、たまらないのです。


この苦悩が人を成長させるのだろう。

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